小池一三の週一回

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運慶展と「大日如来像」

待望していた「運慶」特別展が、東京国立博物館で開かれている。
ほとんどの作品を背中側からも見ることができるとのことで、ガラスケースのない露出展示という。私が一番見たいのは、奈良・忍辱にんにく円成寺えんじょうじに安置されている、デビュー作とされる「大日如来坐像」である。
運慶の生年は不明であるが、運慶が20代でこの像を彫ったことはハッキリしている。このことは、大日如来像の台座蓮肉天板の裏面に、運慶自署による墨書銘があり、運慶はこの像を11ケ月かけて制作し、仏像本体の代金として上品8丈の絹43疋を賜ったと記されているからである。
私は、35年前に林文雄さんが書かれた『運慶―転形期の芸術家』という本を読み、この仏像につよく惹かれた。この本には、こう書かれていた。

しずかに、しかし、しなやかに直立する胴と、ゆったりと台座上に組まれた分厚い両膝によってかこまれたその彫刻的空間は、息づくように深い。胸の前で智拳印ちけんいんをむすぶ手と指の肉付は、内部からおしあげげてくるような弾力を見せているし、鉛直に引き起こされた左手の人差指のつけねから手の甲に波及する、目にみえないほどかすかな肉の緊張も美しい。像の側面から見たそのプロフィールは、若々しく、聡明そのものであり、こころよくくびれた腰のしなやかさも、画期的な新鮮味を発揮している(中略)
広く秀でたひたいの下に、見るからに賢しげで若々しい眉・目・鼻・口を配したその横顔は、それだけで十分新鮮で美しいが、その上に、鼻梁びりょうの上端を日本人らしくやや低目につくった鼻の、しかも柔らかくて品位を失わないつくり具合によって、この大日如来像のプロフィールはエキゾチックな仏くささを克服し、いかにも日本の青年らしいういういしい思惟しい相好そうごうを見せている。

私は京都生まれなので、何かの折に仏像に触れる機会はあったが、それまで仏像に興味を持ったことはなかった。この一文を読んで、この仏像を自分の目で見たい思いが募り、私は二度まで山深い円成寺に足を運んだのだった。
この像が彫られた当時、等身大の像の制作期間はおよそ3か月程度とされた。それより長い日数をかけて造仏していることから、運慶が他の仏師の助力を得ず、独力で制作したものと考えられる。仏師自らが名を記した像はこれが最古の例とされ、運慶による仏像は、この例外を除いては仏師工房によって彫られている。
運慶は、大日如来像を彫るため、大変な道程を経て忍辱山円成寺にやって来た。古道を調べると、円成寺に行くための柳生街道の起源は、鎌倉時代初期に存在した説は見られるものの、定かでない。元の柳生街道は、今の奈良公園から、春日山と高円山の谷を越え忍辱山を経て柳生に至る道で、その後「滝坂道」といわれるようになった古道である。
運慶がここにやってきたのは、安元元年(1175年)なので、平安時代の中頃である。つまり運慶は道なき道をかき分けて円成寺に辿たどり着いたことになる。運慶は一人でここにやってきて、11ケ月も住み込み、この仏像を彫ったのである。
円成寺は、柳生の手前7kmの位置にあたる古刹こさつである。バスは2時間に1本しか運行していない。バス停に降りて、少し戻ると門があり、道幅わずか2m程の参道を歩くと、左側に浄土式船遊庭園が広がっていて、右側に石段が見える。石段の上に桧皮葺の「楼門」が建っているが、参拝受付所は奥まったところにある石段の上にある。そのすぐ横に大日如来像が収められた多宝塔が建っている。
この塔は、平成2年(1990年)に再建されたばかりで、下層が方形、上層は円形。上層の軒の出が大きく、よく見ると二重塔ではなく、裳階もこし(差しかけの屋根)が付いた一重塔で、朱色の装飾が妙に毳毳けばけばしく、私はしばし呆気あっけに取られた。この派手な塔のなかに、あの大日如来像が安置されているのだろうか? 内部は狭く、窮屈この上ない空間である。大日如来像は身を縮めてそこに据えられていた。ガラス越しに見えるだけで、そのガラスに太陽光が反射して表情が読み取れなかった。
私は、この7月15日にもう一度円成寺を訪ねた。まさかあのときのままではあるまいと一縷いちるの望みのみを抱いて訪ねたが、しかし、前に来た時と何も変わっていなかった。私は失望し、もと来た道をとぼとぼと引き返した。
JR奈良駅から京都に向かう車中、Webで運慶を検索したら、この秋、興福寺中金堂再建を記念して開かれる運慶展に目が止まった。史上最大規模の運慶展が開催されるという。地獄に仏というか、2度までも報われない旅に出掛けた自分へのご褒美のように思われた。
「運慶展」を前に、新聞も雑誌も特集を組み、書籍も発行されている。朝日新聞の夕刊に連載されている「運慶をたどって」に、円成寺にもう一体の大日如来像が運び込まれたことが報じられていた。クローンの大日如来像を藝大の学生がのみを振るって彫り、それが寺に収められ、本物はガラスなしで拝観できるように、新たに造営される「相應殿」に収められ、クローンは多宝塔に収められるという。狐につままれたような話であるが、まずは上野の博物館に足を運ぼうと思う。

特別展「運慶」東京国立博物館

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。