びおの七十二候

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玄鳥至・つばめきたる

清明初候・玄鳥至

玄鳥至。つばめ、きたると読みます。つばめが南からやってくる頃をいいます。
つばめの餌は飛行する昆虫です。空中で捕食します。大多数の鳥が主食とするのは、植物の種子や実であり、地上や樹上にいる小動物です。このため、大多数の鳥は枝や茎に止まったり、地上を歩いたりして餌を獲ります。彼らが飛行して移動するのは、場所を移動するためであって、餌を獲るためではありません。
そこに行くと、つばめは飛びながらしか餌を獲りません。そのため翼が大きく、飛行に適した細長い体型をしています。飛びながら餌を獲る鳥はほかにもいますが、つばめはずっと飛び続けながら餌をとります。そこがつばめのスゴイところです。
つばめは飛びながら空中にいる小昆虫を食べています。空中には、人間が想像する以上に小昆虫が飛び交っていることが分かってきました。けれども、秋になると虫が極端に少なくなるので、南方へと飛び立って行くのです。
つばめは時速50~200kmで、障害物がない広いところを飛び回りますので、否が応でも目立ってしまいます。全長約17cm。黒い羽色は艶やかで、のどと額が赤く、腹は白く、燕尾状に割れた長い尾を持っています。これを真似たのがダンスのスタンダードで着る燕尾服です。
巣は、泥と枯草を唾液で固めてつくります。民家の軒先など、人が住むにぎやかな場所に営巣する習性がありますが、これは、天敵であるカラス等が近寄りにくいからだと考えられています。

さて、今候の句は金井文子さんの

ハモニカの一音はずれ春セーター

という句です。「一音はずれ」にユーモアがあります。ハーモニカを吹く少女が着込んでいるセーターは、淡い色の春セーターです。ウィットに富んでいて、平明へいめいで、女性俳句の良さがでています。こんな句なら、自分にも詠めそうだと思われませんか。
毛糸・毛糸編むは、冬の季語です。最近は毛糸を編んでいる風景は少なくなりましたが、わたしの母は、秋になると、むかしの毛糸のセーターを解いて編み直していました。毛糸というと、編むことに思いがこもりがちです。

ルノアルの女に毛糸編ませたし  阿波野青畝

それまで毛糸を編むことなどなかった彼女が、見よう見まねでセーターを編んでくれて、しかし、着てみたら丈が短かったなんてこと、今はもうないですよね。あの甘酸っぱい感じは忘れられません。
ウール(wool)または羅紗らしゃは、羊の毛(羊毛)またはそれを織った布のことをいいますが、一般的には羊毛を指します。広義では、アンゴラ・アルパカ・ラクダの毛も含まれるそうです。
話が飛びますが、南米チリの最果ての町、プンタアレーナスに行ったことがあります。マゼラン海峡に面した町で、年中、強い風が吹いている町です。伝統的なアルパカのセーターを求めて、町中を探しましたが、売られていたのは中国製のセーターでした。安いということは、地球の果てまで及ぶことだと思い、たいそう驚きましたが、アルパカのセーターは、町の衣料店ではみつかりませんでした。けれど、一軒の土産物屋に入りましたら、そこで売られていました。現地の人が土産物屋でセーターを買うわけがないのであって、つまり、現地の人はアルパカのセーターを、もう着ていないのだと思いました。
プンタアレーナスでも母たちが、古いアルパカのセーターを解いて、編み直している風景はあったでしょうけど、そういう光景も今では消えつつあるのでしょうね。

セーターはマチスの赤や海は春  深草昌子
春セーター淡水をゆき汽水ゆき  深草昌子
妻知らぬセーターを着て町歩く  本井英
春セーター明るき色をまといけり  優嵐

春セーターは、母たちや、見よう見まねの彼女たちが編む毛糸とは、違う感じがします。ちょっぴり、贅沢な感じがします。

文/びお編集部

菜種梅雨

たかだみつみ木版画菜種梅雨

3月下旬から4月上旬にかけて、雨が降り、すっきりしない天気が続く日があります。その頃、どこからとはなく菜の花(別名 菜種)の香りが漂っていて、そんなことから「菜種梅雨なたねつゆ」と呼ばれています。
「菜種梅雨」は、太平洋沿岸部にかけて見られることで、北日本にはみられません。最近は、温暖化の影響があってか、冬に繰り上がりがちです。
「菜種梅雨」が終わると、「たけのこ梅雨」がやってきて、5月中旬になると「卯の花くたし」になり、梅の実が熟すと、本格的な「梅雨」がやってきます。
菜の花は千葉県が有名ですが、私が住む中部地方の近くでは、渥美半島が知られ、約1200万本の菜の花が咲き乱れます。渥美半島では、毎年『菜の花市場(おもてなし市)』が開かれていましたが、東日本大震災の影響で2011年は中止になりました。菜の花は、この災禍をよそに咲き乱れていますが、何故か寂しげにみえてなりません。
菜の花といえば、与謝蕪村(1716〜1783年)です。

菜の花や 月は東に日は西に
菜の花や 鯨もよらず 海暮ぬ
菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる
菜の花を 墓に手向けん 金福寺

三句目の「摩耶」は、六甲山脈の摩耶山をいいます。摩耶山では、江戸時代から明治の末まで飼い馬の無事を祈願する「摩耶詣(祭)」が行われていました。飼い主たちは、愛馬をつれて摩耶山にやってきました。その山麓に、見渡す限り菜の花が咲いていたことが、この句で分かります。この菜の花の向うに広い海原が広がっていて、山を下ると、真っ赤になったおひさまが沈んで行きます。
ほかに三句、

なの花にうしろ下りの住居かな   一茶
菜の花の遙かに黄なり筑後川   夏目漱石
菜の花に 汐さし上る 小川かな  河東碧梧桐かわひがし へきごとう

どの句も情景が目に浮かんできます。

文/小池一三
※1:分かりよくはっきりしていること。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年04月05日・2011年04月05日の過去記事より再掲載)