色、いろいろの七十二候

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乃東枯・紫陽花

あじさい
こよみの色

二十四節気

げし

夏至
鴇色ときいろ #F4B3C2

鴇が飛ぶ姿に見える風切羽根の美しいピンク色から名付けられた。江戸時代から使われてきた色。

七十二候

なつかれくさかるる

乃東枯
半色はしたいろ#A69ABD

深紫(こきむらさき)浅紫(あさむらさき)の中間の紫色のこと。半は「端」と書かれることも。平安時代は「位色」という規定があり、深紫深紅のような濃い色は高貴な身分にしか使用を許されない禁色(きんじき)だった。しかし浅紫などの薄い色や中間に位置する半色許色(ゆるしいろ)と呼ばれ使用が認められ、もともとはどんな色とも呼べない中途半端な色の意味でしたが、人気が集まったため色名として定着していった。

あじさいは、この国の花です。
あじさいという言葉は、『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」と詠まれました。
あず(あつまる)さい(藍色)から生まれた語で、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説が最も有力とされます。
けれどわたしは、出島のオランダ商館医師、フランツ・フォン・シーボルトの逸話に興味をそそられます。シーボルトは、ブルーのあじさいに、自分の妻「おタキさん」の名をとって、 Hydrangea otaksa と命名しました。
シーボルトは、帰国後に「日本植物誌」を著しました。この植物誌の絵は、川原慶賀など日本人絵師らによって描かれ、そのボタニカルアートは実に精密なものでした。牧野富太郎は、後年、シーボルトが自分の妻の名前を学名にしようとしたことを非難しましたが、それは日本女性の素晴らしさを世界に知らしめたことなので、わたしは誇っていいことだと思います。

シーボルトのアジサイHydrangea otaksa
「日本植物誌」より

わたしの友人が、亡くなった妻が庭に植えたバラの花が咲く季節になると、妻は生きている、と思うそうです。藍色のあじさいを見ると、シーボルトの胸中に滝は生きていたのでしょうね。牧野富太郎は、尊敬する明治の人ですが、シーボルトに対する非難は無粋だと思います。
シーボルトは、蝶々夫人のアメリカ海軍士官ピンカートンと違って、終生、お滝さんを愛した人でした。二人の娘、イネは日本人最初の女医さんでした。

紫陽花や藪を小庭の別座敷
  松尾芭蕉
紫陽花の末一色となりにけり
  小林一茶
紫陽花やはなだにかはるきのふけふ
  正岡子規
紫陽花や水辺の夕餉早きかな
  水原秋桜子
紫陽花や帰るさの目の通ひ妻
  石田波郷
紫陽花や折られて花の定まらぬ
  藤原保吉
文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年06月21日の過去記事より再掲載)