森里海の色
木版画が彩る世界「オオバコ」

踏まれても踏まれても立ち直る。多くの人が持つ「雑草」のイメージです。踏まれて強い雑草の代表が、このオオバコです。けれど、踏まれるのに強いわけではなく、踏まれなければ生きられない、そんな事情があるのでした。


 
オオバコは踏みつけに強い植物だ。漢字では車前草とも書く。車の轍があるような場所に生える、という意味で、まさに踏まれることに強そうな名前だ。
実際に踏まれると伸びる性質を持つ。けれど、踏まれないような場所では、他の植物が育ってしまうから、オオバコはそれほど伸びられない。
踏まれても立ち直る、というよりは、踏まれる場所というニッチを選択し、そこで生き延びることを選んだ植物だ。

「雑草」とされる植物以外もみな、環境にあわせて自分を変えたものだけが生き残っている。根性どころか、そうしないと生きていけない、子孫を残していけない。だから、踏まれる植物だろうが、そうでなかろうが、みな尊い。
みんな尊いんだけど、オオバコについては、特別に好きなエピソードがあるので紹介しよう。

オオバコの学名は「プランタゴ」、造園家の田瀬理夫さんの事務所の名前の由来になっている。

「びお」にも連載いただいている西村佳哲さんによる、『ひとの居場所をつくる ランドスケープデザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて』(筑摩書房)に紹介されている、田瀬さんの原点のような話だ。
田瀬さんの母校の都立学校のグラウンドは、雑草が生えながらも、広場のように近所の人たちも親しまれていたが、あるとき関係者以外立ち入り禁止の高いフェンスで囲まれ、土も土壌改良されて埃を飛ばしてくるだけの場所になってしまった。
その固くなってしまったグラウンドに忍び込んで、3年余りオオバコの種を撒き続けた、というのだ。

公共空間のあり方は、田瀬さんがずっと持ち続けているテーマで、このエピソードは「公共が私物化したものを、民間人が公的な状態に取り戻す」という気持ちが顕著にあらわれたものだ。
本エピソードのおわりに、田瀬さんは以下の言葉を語っている。

ランドスケープをデザインするというのは、緑をきれいに配置することではなくて、人々がパブリック・マインドを獲得するきっかけづくりにつながっていないと、やっても面白くないと思う。

造園に限らず、多くの人に噛みしめてほしい言葉である。

文/佐塚昌則