<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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10月:馬たちからの挨拶

—アルマ—

アルマは、オーストリア・チロルから遠野に来て3年目の2009年に右眼の扁平上皮癌を発病。その後国内では数少ない馬の眼科専門医を含む医師の指示のもと治療に専念したが、しばらくして片目を失い、義眼となった。やがてもう片方の目の視力も失われ、盲目の馬となり、東日本大震災の起こった2011年の夏、2年間の看病空しく病気で死んだ。

彼女にまだ片方の視力があるとき、僕は彼女の失われた側の視野を補うつもりになって、ともに歩き、また騎乗して森の中を歩いたりした。アルマはそれに応えるように、不整地の森の中をゆっくり一緒に進んだ。

遠野-馬-アルマ

アルマは、人に対する信頼感の強い、また、馬に乗るのが初めての人でも安心して乗ることのできる寛容な馬だった。
たてがみが長く美しく、背中が大きくて温かい、一緒に過ごした人は誰もが大好きになる馬だった。

アルマの両目の視力が失われたとき、草原の放牧地で彼女は戸惑い呆然としているようだった。視力は馬にとってもっとも重要な五感でそれがすべて失われたのだから。けれども、音と皮膚感覚でコンタクトがとれること、交信しようとしている人間が見知った存在の気配をもっていること、だから安心していいことを理解した。そうやって彼女は自分の家に帰るために、馬運車に乗ることができ、クイーンズメドウに着くと、ゆっくりしかし確実な足取りでタラップをおりることを一発でやってのけた。それからしばらくの日々、天気のいい穏やかな日中は、一緒にパドックに出て彼女の体にずっと手を添えながらゆっくりゆっくり散歩を楽しんだ。

荒川高原放牧場-アルマ-エリアナ

元気な頃のアルマと、彼女が特に仲の良かったエリアナとのツーショット。手前エリアナ、向こうアルマ。10月の終わり、荒川高原放牧場にて。

10月上旬、遠野の盆地に広がる田んぼの稲刈りがほぼ終わる。9月には秋の夕日に照らされて、金色に波打つ稲穂の絨毯の上をキラキラと群舞していた無数の赤トンボが姿を消し寂しくなる。中旬、紅葉が高原から里の山にも降りてきて、遠野盆地はぐるりと錦秋に彩られる。この時期、高原に放牧され残っていた各農家の馬たちはそれぞれの厩舎に帰っていく。10月の下旬には本州で唯一の乗用馬市場が開催され、遠野の馬産関係者の忙しいけれども浮き立つような日々が続く。

クイーンズメドウ-馬

盛夏のころ、クイーンズメドウに残ったオスのアルとサイは、日中はひたすらアブの攻撃を逃れて薄暗い馬房に潜んでいた。十月ともなるとすっかり虫たちはいなくなり、快適な暮らしが戻ってくる。出入り自由な馬付き住宅の馬房を経由して、森の放牧地やパドックを気ままに行き来する。
天気がよければ暑すぎず寒すぎずトレーニングにも最適の季節。

これから、ときに季節のことを交え、ときに過去のことに戻りながら、馬たちが教えてくれたこと、いまなお教えてくれることに耳を澄ましつつ、書いていければと思います。今回紹介できなかった馬たちにもおいおい登場してもらいます。

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。