山口由美
2025年12月07日更新

仙之助編 二十二の十一

仙之助はあらためてカウボーイとして過ごした日々を振り返った。

乗馬が下手くそな自分と違い、自在に馬を操り、巧みに牛の群れを追う富三郎の姿は実に精悍(せいかん)だった。水を得た魚のようでもあった。武士出身の彼にとって、遊郭の番頭や移民団のとりまとめは適職とは言いがたかったのだろう。その点、カウボーイという仕事には、どこか武士と共通点があったのかもしれない。
「富三郎の気持ちも考えずに無理強いをしてしまったのだな」

仙之助は神妙な表情でつぶやいた。
「本当に嫌だったら一緒にここまで来ませんよ」
…………
「牛のロングクルーズを思いついた仙之助さんの発想には感服しました。本当ですよ。そんなこと誰も思いつかない。それは本心です」
…………
「だから腹をくくって帰国するつもりでした。何度も言いますが、嫌々ではなくてね。でも、あの浜尾という男があらわれた時、ふとカウボーイへの未練が頭をもたげてしまったのです。気がついたら彼を誘っておりました」

富三郎はそう言って笑った。
「そうか……、未練か」
「まあ、そんなところです」

仙之助は、ジョーイの形見のカウボーイハットを脱いだ。
「カウボーイに人生を賭けるというのなら、ジョーイの魂も連れていってくれ」
「私には自分の汗がしみこんだハットがあるから大丈夫です。ジョーイの魂は仙之助さんのお守りにして下さい。それに……
「なんだ?」
「浜尾という男に牛の扱いをどうにも任せられなかったら、その時は、私も同行して船に乗ります。大事な牛どもを死なせる訳にはいきません」
「でもまあ、賢そうな男ではないか」
「はい、ですが、賢い仙之助さんが馬乗りは下手なように、誰にでも得手不得手はありますから」
「それを言われると言い返せないじゃないか」

仙之助と富三郎は、お互いを小突きながら笑い合った。

牛のロングドライブで野営する時と同じように、二人は交代で仮眠をとった。

夜が明けるとまもなく、旅行カバンを持った浜尾新が桟橋にやってきた。

金色の朝陽の先に三人の陰が長く延びる。不安と期待が入り交じったような表情の浜尾に仙之助は、初めて捕鯨船に乗り込んだ日の自分を重ねていた。

なんとか牛を乗船させると、朝一番の蒸気船は静かに桟橋を離れた。

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次回更新日 2025年12月14日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお