びおの七十二候
第39回
蒙霧升降・ふかききりまとう
立秋の末候は蒙霧升降です。「蒙霧」とは、もうもうとまとわりつくように立ちこめる濃い霧をいいます。物理的には同じ現象ですが、春は、霞といいます。秋は、霧といいます。地面に近い空気が冷やされ、水蒸気が凝結して小さな水滴になり、浮遊している状態をいいます。
春の霞は、夜になると霞は朧と呼ばれます。朧月夜の朧です。吉井勇が「月は朧に東山」(『祇園小唄』)と歌った朧です。遠景がぼやけて見えることを一般に霞と呼んでいますが、春の霞は、この唄にみられるように、なんとなく温かいイメージがあります。
これに対して秋の霧は、何だかひんやりしていて冷たそうです。
霧は音を立てません。けれども、高原で夏を過ごしていると、霧が音を立ててやってくるような錯覚を覚えることがあります。秋櫻子の句は、そんな感じがよく表現されています。
秋櫻子が詠んだのは、山霧です。
霧には、海霧、川霧、谷霧、盆地霧、都市霧、沿岸霧といろいろあります。
気象観測では、見通せる距離(視程)が1km以上の場合は靄と呼んで、霧と区別しています。霧粒は直径数μm〜数十μmの大きさのものをいい、1cm³の空気中に数個〜数百個含まれています。水の量を霧水量といいます。
この霧粒の状態による分類では、湿霧、乾霧、氷霧、霧氷霧、過冷却霧、スモッグなどがあります。霧は各種交通の障害になります。スモッグになると健康にもよくありません。北海道の釧路、根室(根釧地域といいます)などの地域は、冬の日照率は意外といいのですが、夏に海霧がやってきます。一年を通してみると、日本で最も平均気温が低い地域であり、夏に海水浴のできない地域でもあります。
原田康子の『晩夏』という小説は、霧の街、釧路が舞台でした。宿命を背負った美少女の物語の舞台として、釧路は格好の場所でした。でも、冬はからっと晴れる日が多く、寒いけれど(雪はあまり降りません)陽気な町でもあります。
根釧地域の夏は、雨に打たれたように霧が海から押し寄せてきて、視界を遮り、大地を覆い尽くします。農作物を守るため、海岸近くに防霧林を植えて、海霧を水滴に変えます。植えられる樹は、ヤチダモ、シナノキ、トドマツ、イチイなどで、まるで樹海のように広大な森となっています。
山形県酒田地方は米どころとして知られますが、この穀倉地帯を守るための庄内砂丘海岸林は、全長16km、900haに及んでいます。防風だけでなく、濃霧から農作物を守る海岸林は、意外と各地にみられます。
霧といえば、イギリスを想像する人が多いことでしょう。
イギリスの霧は、メキシコ湾からやって来る暖流と、北極から来る寒流が、イギリス諸島付近でぶつかり合って生まれる海霧です。
シェークスピアの『ハムレット』も、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』も、霧なくしては興趣に欠けます。
カスタネットやギターは、乾いたスペインのものですが、霧の中から現れるバグパイプは、スコットランドのものです。もし、この国に霧がなかったら、20年着ても型崩れしない丈夫な縫製のバーバリーコートは生まれなかったという人もいます。ロンドンの紳士にとってコートは、防寒着というより、まず霧対策の衣服なのです。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年08月18日の過去記事より再掲載)