びおソーラーを設置した屋根瓦

青い空、漆喰の白、石州瓦の赤。
美しい色彩のコントラストの中、
太陽の恵みをダイレクトに取り込む
びおソーラーの集熱面が、控えめに佇んでいた。

島根県津和野町の重要伝統的建造物群保存地区の一画に、創業寛政10年(1798年)の古い薬店があります。この春、家屋の一部が改修され、空気集熱式・びおソーラーを導入、太陽とともにある暮らしがはじまりました。

Vol.1  髙津屋 伊藤博石堂

創業寛政10年。
一等丸いっとうがん”の「髙津たかつ屋 伊藤博石堂いとうはくせきどう

山陰の小京都とも呼ばれる島根県は津和野町つわのちょう。文豪・森鴎外や画家・安野光雅あんのみつまさなどの文化人を生んだ場所としても知られている町です。中心部には城下町の風情が今も残り、殿町通とのまちどおり一帯は「重要伝統的建造物群保存地区」(いわゆる「伝建地区」)に指定されています。

そんな伝建地区の一画に、古い薬店があります。漢方胃腸薬『一等丸』を代々扱ってきた「髙津屋 伊藤博石堂」です。

一等丸で有名な島根県の薬屋高津屋の外観創業寛政10年(1798年)「高津屋」外観。

高津屋は、創業寛政10年(1798年)、11代将軍・徳川家斉いえなりの時代に石見國いわみのくに津和野の薬種問屋としてはじまり、代々津和野藩のご典医だった森家にも薬草を納めていた店です。

御合薬所伊藤薬舗製高津屋の袋

永き歩みを写す「高津屋」の包装袋。

一等丸は、明治29年(1896年)、五代目利兵衛りへえが開発した丸薬で、陸軍軍医だった森鴎外も日露戦争に出征した際、餞別せんべつとして利兵衛から贈られたこの一等丸を携行していました。鴎外はその即効性に大いに喜び、以後愛用していたそうです。

高津屋の薬びんや一等丸が並ぶ店内

薬箪笥や処狭しと並ぶ茶色い薬瓶の数々が、薬問屋の永い歴史を物語る。

厳選した生薬から成り、香り高い気薬きぐすりを多く含むため、ストレスから胃腸を守り、頓服として飲むだけでなく、毎日少量ずつ服用する愛用者も多いといいます。

漢方胃腸薬一等丸の効能・飲み方

「家伝・一等丸」の極意が書かれた木板と一等丸。

一等丸の中身

“毎日10粒の習慣”がおすすめだそうです。

九代目利兵衛の伊藤志摩子さんは、一等丸についてこう語ります。「伝統的な薬なので、薬事法への対応など大変なこともありますが、主な成分は昔から変わらず守り続けています。日本全国に愛用者がいるものの高齢の方が多く、若い人たちにも一等丸の良さを知ってほしい」。

高津屋の伊藤志摩子さん高津屋の伊藤志摩子さん

“日常の生活空間を快適に”──この思いに応えたいと

ここで代々受け継がれてきたのは薬だけでありません、建物も同じでした。年月を重ねる家での暮らしは、次第に冬の寒さが身心に堪え、それでも、伝建地区という環境から、長年耐えてきた志摩子さん。“制約もあるけれど、せめて日常の生活空間くらいは快適にしたい”という思いを抱きはじめた中、それに応えたのが、津和野町の隣、有機農業の村として知られる柿木村かきのきむらで工務店を営む、田村浩一((株)リンケン・代表取締役)さんでした。
津和野町で民家改修等に携わっていたことが縁で繋がった志摩子さんと田村さん。田村さんは志摩子さんに、改修計画にあたり、太陽の熱と空気で、足元からじんわり温まる空気集熱式・びおソーラーを提案しました。

リンケン田村浩一社長

(株)リンケン 田村浩一社長。9年前、柿木村にある石見瓦いわみがわらの自邸を、「どうしたら現代を生きる家になるか」と考え、改修・再生。その取り組みを続けている。(写真は改修後の自邸内部写真)

髙津屋伊藤博石堂は、津和野町旧城下町の主要道路である殿町通りに面して東側に建っています。間口が狭く奥行が深い敷地に建ち、主屋は木造切妻造きりづまづくり桟瓦葺さんがわらぶき二階建ての平入ひらいり。妻側及び正面も、開口部以外は白漆喰しっくい塗にて両妻側は大壁、軒裏も妻側及び正面二階の両側半間を白漆喰で塗り込められています。

髙津屋 伊藤博石堂の図面

「髙津屋 伊藤博石堂」建物概要と配置図


現在の主屋は、その棟札むねふだによれば、胃腸薬「一等丸」を考案した5代目・利兵衛によって、明治44(1911)年4月11日に上棟されました。その後、昭和10年代初頭に南側の平屋部分を、平成になって主屋と庭を隔てるわたり廊下でつながる風呂を、そして令和を目の前にしたこの春、日常の主な生活スペース部分をと、改修を重ねられています。

当初、敷地内には土蔵が5棟ありましたが、五号蔵は解体され、四号蔵までが現存しています。

アイデアに工夫を重ね、風景に溶け込む佇まいに

暮らしの中に太陽の熱を活かす「びおソーラー」を実現する上で、伝建地区という制約の中、どう集熱面を確保するか、これが問題となりました。
「もちろん、殿町通りから見える屋根に集熱ガラスを載せるわけにはいきません。また、伝統の石州瓦の上にどう集熱パネルを設置するかも問題でした(田村さん)」。検討を重ねた結果、集熱面は主屋に隣接する下屋の屋根面を利用することとし、瓦への設置は瓦の形をした金物を制作、それを土台にして集熱パネルを設置することにしました。
加えて問題となったのは、ダクトやファンボックスの設置場所でした。「下屋屋根のため懐がなく、どうしても室内に出てしまうのです」。そこで、天井の一部を下げ、ダクトとファンボックスを納めることにしました。

今回の集熱パネルの
設置プロセス

びおソーラーを設置した場所屋根伏図

屋根瓦にソーラーのベースを設置① 屋根に架台を設置するベースを準備します。

支持瓦で空気集熱器を固定② 架台の固定用には、市販の支持瓦しじがわらを使用しました。

瓦屋根の空気集熱用ダクト接続口③ 瓦屋根の一番の課題は、ダクト貫通部の雨仕舞です。今回は、同質支持瓦という穴開き瓦を使用し、三重の防水対策を施しました。

瓦屋根に空気集熱のダクト接続部を入れ込む④ 特別に設計したダクト接続部を入れ込みます。

屋根の空気集熱パネル設置用架台⑤ 今回用の専用架台(集熱パネル4枚)を組みます。

屋根瓦に設置された空気集熱パネル⑥ 架台の上に、集熱パネルを設置しました。

太陽とともにある暮らしのはじまり

改修工事はこの春に終わり、これから新しい暮らしの場での生活がはじまる志摩子さん。「工事中は、屋根の上にガラスが載るし、室内にも見慣れないダクトや箱が持ち込まれるしで、どうなることやら不安でした。でも、完成してみると、きれいな生活空間が出迎えてくれ喜んでいます。早速夏から働いてくれるという話を聞きましたので、これから楽しみです」と、弾む心を語ってくれました。

木のぬくもりが感じられるリフォーム後のリビング気持ちよく改修された生活スペース。

日当たりが良い庭のデッキ

ダイニングからデッキを見る。緑の成長は、やがてデッキに、涼やかな木陰を生んでくれる。

改修された部屋からは、庭を望むことができます。主屋や納戸には古い調薬棚や陳列棚なども大切に保管されていました。古き良きものと自然エネルギーを利用した快適化の技術が融合して、これからもこの店は受け継がれていきます。冒頭の屋根の写真は、それを象徴する一枚となりました。

高津屋伊藤博石堂の庭

庭を見る。快適化の技術との融合が、新しい暮らしのリズムを生む。

島根県鹿足群津和野の味わいがある板塀雨風に磨かれた味わいある板塀。看板は、「重要伝統的建造物群保存地区」の案内。

*髙津屋伊藤博石堂
http://itohakuseki-do.shop-pro.jp

島根県鹿足郡津和野町後田口231 TEL:0856-72-0023

*田村浩一さん 関連記事
森里海の色 柿木村の一輪挿し

(2017年10月から2018年9月まで連載)

※1:瓦の屋根

著者について

びお編集部

びお編集部びおへんしゅうぶ

青い空、漆喰の白、石州瓦の赤。
美しい色彩のコントラストの中、
太陽の恵みをダイレクトに取り込む
びおソーラーの集熱面が、控えめに佇んでいた。について

島根県津和野町の重要伝統的建造物群保存地区の一画に、創業寛政10年(1798年)の古い薬店があります。この春、家屋の一部が改修され、空気集熱式・びおソーラーを導入、太陽とともにある暮らしがはじまりました。