びおの珠玉記事

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半夏生・近くの蛸と遠くの蛸

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2013年07月02日の過去記事より再掲載)

蛸
今日は夏至の末候・半夏生です。半夏(カラスビシャク)が生える時期ですが、これとは別に、半夏生(カタシログサ)も植物の葉が緑から白に変わる時期(半化粧)でもあります。

この半夏生、関西を中心に、蛸を食べる風習があります。
半夏生には雨が降ることが多く、この雨には毒気があるという言い伝えがあり、それまでに田植えを終えることが農作業の目安とされていました。この日に蛸を食べるのは、八本の足で地面に根をはるように、という願いとともに、蛸にはタウリンが多く含まれ疲労回復につながることもあったのかもしれません。
(地域によっては、鯖だったり、うどんだったりとさまざまです。7月2日は、香川県では「うどんの日」に制定されています)

さて、その蛸ですが、日本人が世界の水揚げの2/3を食べる、と言われています。
日本近海で獲れる蛸は年間5万トン程度ですが、消費量は15万トン以上で、その多くを輸入に頼っています。
スーパーなどでも、西アフリカ産の蛸が目立ちます。モロッコやモーリタニアなど、これらの国では蛸を食べる風習がなく、日本人が蛸猟を伝え、ほぼ全量が日本に輸出されています。このため資源の枯渇が懸念される状態になっています。この2カ国に加え、中国からの輸入で、日本の蛸輸入の8割程度をしめています。中国産の蛸は、店頭で売られているのをみかけません。業務用に使われているのでしょうか。

近くのもの、遠くのもの

関西地方では、弥生時代の遺跡からも蛸壺が出土するなど、古くから蛸を食べていたことがわかっています。もともと地物を食べて農作業の験を担ぐ行事だったと思われる半夏生ですが、今では輸入を含む蛸の販促セールに様変わりしています。

今の日本の生活では多くの物が海外から、あるいは国内の遠くからやってきて、本当に地元の物だけで生活することは困難です。国産の豚や鶏の肉だって、飼料が外国産であるから、ということでカロリーベースの自給率には低いとされています。
(そもそも、それらを運ぶときには大抵石油が使われていますから、石油の自給率まで数えれば、ほとんどの食料は自給出来ていない、ということになってしまいます)

弥生時代の蛸壺が見つかるのは、そこに蛸がいたからに他なりません。元々、人間以外の生き物は、自分が食料調達出来るところに暮らしています。人ももともとはそうだったはずですが、やがて狩猟を覚え、農耕を覚え、そして交易を覚えていきます。海産物は山間地との交易品になっていきます。そういえば、最古の貨幣は貝殻でした。

遠くにあるものは、交易の対象になって、近くまで運ばれてきます。国際的な貿易に限らず、国内でも同じ話です。貿易がなければ現代日本の生活は成立しません。
しかし。山の民が海のものを欲して、山の何かと交換することと、地元のものが高いから、遠くから安く買ってくる、ということは、決して同じではありません。
地元に蛸がいるのに、遠く西アフリカから(しかも安く)持ってくる、ということは、果たしてよいことなのか。しかもその生物を枯渇させてまで。世界規模で経済を考える、というのはそういうことに他ならないのですが…。

関税だけでないTPPの話

TPPの話題はメディアであまり見かけなくなってきました。あまりウケないらしいですね。
蛸にも関税がかかっています。活き蛸、生鮮、冷凍の蛸はWTO協定では7%の関税です。国産蛸とアフリカ蛸には、これ以上の価格の開きがあり、関税撤廃が即座に国産蛸を脅かす、ということはなさそうです。
他の魚類の関税も、それほど高いものではありません。
むしろ、先日報道があったように、漁業補助金の禁止(日本政府は反対の方向)、というような、非関税障壁の撤廃がTPPの要諦といえます。

木材は昭和39年に輸入自由化され、関税がなくなりました。今でも一部製材品に関税があるものの、安い外材に押されて国産材のシェアは減り、拡大された人工林の維持には課題が残ったままです。林業は補助金に頼らなければ成り立たない、と言われて久しいですが、こうした補助金も禁止、となれば、現在の枠組みではなりたたなくなってしまうでしょう。山林は、林業の場であるとともに、保水、土砂災害の防止やCO2の吸収など、さまざまな役割があります。
こうした連続性を無視して、欲しければどこからでも持ってくる、ということが果たしてよいのか、今こそ問わなければなりません。

素材の無償性・自然との連続性

月刊「左官教室」の編集長を務めた小林澄夫さんは、著書「左官礼賛」で、「素材の無償性」について語っています。かつて日本の建築が美しかったのは、土や木といった建築素材が無償性を持ち、素材の無償性は、自然との連続性にあるからだ、と述べています。アルミはもともとアルミだったわけではないけれど、木や土は、もともと自然にそうだった、と。
食材の無償性についても、似たことがいえるように思えます。それ故各地にそれぞれの食文化が育ってきたのです。

建築材料も食材も、地元どころか純国産は極めて難しいのが、今の日本の現状です。貿易が当たり前になって、輸送も簡単に出来るようになって、どこかで作られたものに囲まれて、私たちは自然との連続性を失っているのです。
森は海の恋人、という言葉があるように、よい蛸の産地も、よい森を背景に構えています。
もし半夏生に蛸を食べるなら、どうか、そうしたことも思い出しながら。

参考書籍