びおの七十二候

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蚕起食桑・かいこおきてくわをはむ

蚕起食桑

蚕起食桑と書いて、かいこおきてくわをはむ、と読みます。かいこが桑の葉を盛んに食べて成長する時候にあたります。蚕に桑の葉を与えることを給桑きゅうそうといいますが、蚕が餌を食べる音は猛烈で、大雨が屋根を打つ音のようです。
白土三平しらとさんぺいの『カムイ伝』で、スダレ(苔丸が正式名。スダレはあだ名。玉手村の下人で、蚕を飼って生計を立てていた。一揆を起こし失敗したため、人相を変えるため顔にスダレのような傷を付けた)は言います。
「わしら玉手の生まれはこの音をきかなきゃねつかれんもんじゃ」
スダレがいう「この音」とは、蚕が桑の葉を食べる、あのけたたましいばかりの騒音です。それを聴かないと眠りにつけない、とスダレにいわせるところに、『カムイ伝』のリアリズムがあります。
蚕に桑を食べさせるのは過酷な労働です。朝6時、昼11〜12時の間、夕方の6時の3回食べさせますが、その分、蚕の数に応じた量の桑の収穫を必要とします。蚕の食欲が盛んになると、昼だけでは間に合わず、提灯をつけて夜も摘まれ、雨の日には合羽を着て摘まれました。

提灯の匂ひかなしく桑を負ふ  岩村牙童
飼屋の灯母屋の闇と更けにけり  芝不器男しば ふきお

長さ1ミリの稚蚕ちさんが、1ヶ月くらいで60ミリになります。体積にすると何千倍の成長です。この間、人間は食べなくても蚕に桑の葉をやらなければなりません。蚕が桑を食べる音を聴くと睡魔が襲ってくるという『カムイ伝』スダレの言葉は、だから養蚕そのものの姿をリアルに表していると言えるのです。
桑を食べた蚕は、幾度もの「眠」に入りながら、ようやくまゆ作りに入ります。「眠りに入る」とは、脱皮する前にいったん桑を食べ終わって、蚕がじっとしているときのことをいいます。蚕は孵化して桑を食べ始めてから、7〜8日目ぐらいに桑を食べるのをやめます。色が白くなって頭部が大きくなり、やがて脱皮します。このプロセスは、4回繰り返されます。そして、カラダが透き通ったころに、糸を吐き、二昼夜かけて繭を完成させるのです。

繭から生み出されたシルクは、近代日本の最大の輸出商品でした。
今年、横浜は開港150周年を迎えますが、その最盛期に占めたシルクの割合は70%にも達したといいます。その横浜へと運ぶため、日本の隅々に至るシルクロードがあり、糸取り工女は野麦峠のむぎとうげを越えて岡谷のキカヤに働きに出掛けました。工女の郷里である飛騨は養蚕の産地で、現在、世界遺産に指定されている白川郷も、越中五箇山の合掌造も、養蚕のための建物でした。
けれども、今、シルクは衰退し、危機的状況にあるといいます。
シルクの衰退を感じた農家は桑畑を果樹園に変えました。果樹には虫が寄り、その虫を駆除するために農薬が散布され、残されていた桑の葉にも農薬は撒き散り、それを食べた蚕に影響が生じました。
もうあのけたたましいばかりの、蚕の食欲の合唱は聞こえなくなっています。蚕が繭をつくり、繭がシルクになり、それがシルク織物になって、織物文化を形成した歴史は終焉を迎えるのでしょうか。
寝たきりの老人が、シルクの下穿きを身に付けると床ずれが起こらないといいます。
シルクが持つ魅力と効用を、もう一度見直したいと思います。

さて今候は、蚕が桑を食べる音に触れましたので、草野心平しんぺいの蛙の詩を紹介します。

るるる

何だコリャ、という感じです。『春殖』というタイトルが付けられていて、初出では『生殖』と名付けられていました。そのことから分るように、この詩は、明らかに蛙の生殖をうたった詩です。草野は、この詩の前に『冬眠』を発表しています。

というだけの詩です。●は記号なので、文学作品たりえないという批判がありました。これが発表された当時、ふざけた詩だということで、草野に対して非難が寄せられました。よく解釈したとして、「詩ではなく絵画だ」という評価で、詩としては認めがたい、とされました。そんな中にあって、反骨のジャーナリストの宮武外骨みやたけがいこつ(がいこつは戸籍上の本名。幼名は亀四郎)だけが、この詩を高く評価し、自己言及的な傑作だ、と草野を称えました。外骨は、ものがよく見えた人でした。
しかし「●」だけでは、行間がないので「行間を読む」ことができません。そうした批判を耳にして草野が書いたのが「春殖」の「るるる」でした。この詩は、子作りに励む蛙の夫婦の間にたくさんの子蛙ができたことを表している、と言われますが、「る」の数はいくらでもよくて、多ければ多いほどよいとされます。ただ2行にわたってはだめだそうです。
短詩ということでは、こんな詩もあります。

いちめんのなのはな いちめんのなのはな
いちめんのなのはな いちめんのなのはな
いちめんのなのはな いちめんのなのはな
いちめんのなのはな いちめんのなのはな
いちめんのなのはな いちめんのなのはな
いちめんのなのはな いちめんのなのはな

山村暮鳥ぼちょうの「風景」という詩です。「いちめんのなのはな」という文字が何行も綴られているだけの詩です。ひらがなの羅列による、菜の花畑の視覚化といわれます。
これを詩というなら、自分でも書けそうだと思う人もいるでしょうが、いうならそれは、ピカソの抽象画などと一緒のことで、ピカソが描き、草野心平や山村暮鳥が詠んだから有難いのであって、彼らの前後の作品を含め、その総合の中に、絵や詩があることを知ると、そんなバカなことは言えなくなります。
草野心平には、いい短詩が結構あります。


雨に濡れて。
独り。
石がいる。
億年を蔵して、
にぶいひかりの。
もやのなかに。

空間
中原よ。
地球は冬で寒くて暗い。

じゃ。
さようなら。

後者の詩の中原とは、夭折ようせつ※1の詩人・中原中也なかはらちゅうや(1907〜1937年)のことです。この詩は中原の訃報に寄せた詩篇でした。草野は、散文においても中原について書いています。

中原中也の肉体は小さかつたけれども重たく不透明だつた。それはあたりの色をも変色させるやうな毒気をもつてゐたやうに思はれる。
 それでゐて彼の心象はかなしく澄み、いつも半音調の楽器がなつてゐた。彼が酔ふと毒舌になつたり破れたりするのもその悲しい透明な韻律のなす業であつた。彼の律儀さも間にあはなかつた。(草野心平「中原中也」)

さて、草野と言えば蛙の詩です。
草野心平は、蛙を「第百階級」と呼びました。
「第百階級」とは、第一階級を国王・諸侯、第二階級を貴族・僧侶、第三階級をブルジョア・プロレタリアート・農民の総称とした用語を踏まえた上での草野の造語です。蛙には階級がない、自由で平等だという意味です。

俺達は万歳するドロダマ
俺達は生きる!
俺達は死なない!
俺達のコーラスは世界無比だ!
(詩集『第百階級』)

この詩集は、草野の「叙情小曲」として記念碑的なものでしたが、100部印刷されましたが、売れたのは3冊に過ぎませんでした。赤貧の中で生まれた詩でした。
この詩集の序文を高村光太郎が書いていて、その冒頭、高村は

「この世に詩人が居なければ詩はない。詩人が居る以上、この世に詩でないものは有り得ない。詩でないものは、メンロオ、バアクの工場にひき出しにもかくれて居ない。詩人とは特権ではない。不可避である」

といいます。つまり、高村がみるところ、草野心平という存在は「不可避の存在に過ぎない」というのです。「彼の蛙は歌わない。彼は蛙に象徴を見ない」と言い、「彼は蛙でもある。蛙は彼でもある。しかし又そのどちらでもない」と言います。そして最後に、「詩人は、断じて手品師ではない」「根源、それだけの事だ」と言い切ります。
草野は、死ぬまで蛙の詩を書き続けました。眠る蛙、生殖する蛙、子どもに殺される蛙、考える蛙、ほのぼのする蛙など、とても多彩です。

秋の夜の会話
さむいね。
ああさむいね。
虫がないてるね。
ああ虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずゐぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだらうね。
腹だらうかね。
腹とったら死ぬだらうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。

この詩は、草野が早稲田「鶴巻町を歩いていたとき、ふと私のなかではじまった蛙の会話を書きとった」もので、草野の「蛙開眼」と言われる詩です。草野心平が蛙を詠んだ代表的な詩です。
この詩は、詩の朗読の教材にぴったりだと、いつも思います。朗読者によって、その人が、この詩をどう読んでいるのかが、よく表われる詩です。
最後に、蛙の詩を二題紹介しておきます。

青イ花
トテモキレイナ花。
イッパイデス。
イイニホヒ。イッパイ。
オモイクラヒ。
オ母サン。
ボク。
カヘリマセン。
沼ノ水口ノ。
アスコノオモダカノネモトカラ。
ボク。トンダラ。
ヘビノ眼ヒカッタ。
ボクソレカラ。
忘レチャッタ。
オ母サン。
サヨナラ。
大キナ青イ花モエテマス。
河童と蛙
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん
 
河童の皿を月すべり。
じゃぶじゃぶ水をじゃぶつかせ。
かほだけ出して。
踊ってる。
 
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん
 
大河童沼のぐるりの山は。
ぐるりの山は息をのみ。
あしだの手だのふりまはし。
月もじゃぼじゃぼ沸いてゐる。
 
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん
 
立った。立った。水の上。
河童がいきなりぶるるっとたち。
天のあたりをねめまはし。
それから。そのまま。
 
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん
 
もうその唄もきこえない。
沼の底から泡がいくつかあがってきた。
兎と杵の休火山などもはっきり映し。
月だけひとり。
動かない。
 
ぐぶうと一と声。
蛙がないた。
文/びお編集部
※1:若くて死ぬこと。若死。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年05月21日の過去記事より再掲載)

猫と蚕起食桑