びおの七十二候

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梅子黄・うめのみきばむ

芒種末候梅子黄

梅子黄と書いて、うめのみきばむ、と読みます。梅の実が黄ばんで熟す時候をいいます。梅雨つゆは、まさに梅の実が熟れる時季の雨であって、きれいな言葉ですね。
梅干しを漬けるには、この黄ばんだ状態になった梅を漬けるのが一番です。
梅干しについては、びおの珠玉記事第10回「体験しました!「梅の土用干し」にくわしく書かれていますので、ぜひ、ご一読ください。

梅雨は、かびが繁殖する時季でもあるので、黴雨とも書かれます。黴雨が転じて梅雨になったという説があります。中国の古い言葉に霉雨メイユーがあり、「霉」は「黴」のことなので、黴雨と同じ意味です。だとすると、ロマンがなくて、何だか黴臭くて嫌ですね。
ふだんより倍も雨が降るから倍雨、とする説がありますが、これはこじつけに過ぎないようです。
人は、概して晴れを好み、雨は概して好まれませんが、童謡の世界になると、雨はたのしいもの、うれしいものに転じます。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

北原白秋の『あめふり』です。野口雨情には『雨降りお月さん』があります。

雨降りお月さん
雲の蔭
お嫁にゆくときゃ
誰とゆく
ひとりで傘(からかさ)
さしてゆく
傘ないときゃ
誰とゆく
シャラ シャラ
シャン シャン
鈴つけた
お馬にゆられて
濡れてゆく

冬の氷雨はつらいけれど、春から夏に掛けての雨は、これらの童謡に見られるように、苦痛ばかりではないのです。けれど、梅雨の晴れ間は、やっぱりうれしいものがあります。
北原白秋には、『梅雨の晴れ間』という詩もあります。

廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、
円天井のその屋根に、青い空透き、日の光
七宝(しつぱふ)のごときらきらと、
化粧部屋(けしやうべや)にも笑ふなり。

梅雨(つゆ)の晴れ間(ま)の一日(いちにち)を、
せめて楽しく浮かれよと
廻り舞台も滑(すべ)るなり、
水を汲み出せ、
そのしたの葱の畑(はたけ)のたまり水。
(「柳河風俗詩」より)

北原白秋は、水郷柳川の人でした。
こんな梅雨の晴れ間には、デッキに出たいものです。
きょうの菅野奈都子(1971年〜)の句、

波音に午後をあづけてデッキチェア

は、そんな句です。
デッキチェアというと、プールサイドや、船の甲板にあるリクライニングチェアを想像します。デッキチェアは、小さなベッドで、足を伸ばしてデッキチェアに寝そべり、目をつぶり、耳を澄ますと、自然と思い浮かんでくるような句です。

デッキチェア

菅野奈都子は、「俳句は日記」という考えの持ち主で、「日々の暮しの小さなことを両手ですくい上げて慈しむ」俳人といわれます。 

木犀もくせいの風をまとひて逢ひにゆく

という奈都子の句は、若い女性の感性がよく出ていて、そのときを、たしかに「両手ですくい上げて慈しむ」ような句です。
句風は、黛まどかがいう「ヘップバーン風」です。「ヘップバーン風」とは。「花鳥風月に憧れるのと同時に、目の前にある現実を直視し、それを詠んでゆくこと」(『ヘップバーンな女たち』リヨン社)です。この本のなかに奈都子の句とエッセイも掲載されていて、その句は、

君とゐてレモンティー二つ分の距離

というものです。別れの予感が、この句にありますが、そのことはエッセイに書かれていて、喫茶店で彼と向かい合いながら、クールで感情を表に出さない彼の気持ちをはかりかね、「自分一人が恋をしているだけなのかもしれない」と感じられ、そのときテーブルに置かれた二つのティーカップの距離が遠く感じられたといいます。
この句を詠みながら、わたしは「ゆさぶれ青い梢を」という立原道造たちはらみちぞうの詩が思い浮かびました。彼女を苦しめているのは、ゆさぶられないもどかしさで、その微妙がこの句に滲んでいます。
彼女は、大学卒業後、大阪に戻って就職し、ときおり東京に出向きますが、この句に詠まれた恋は「自然消滅」しました。それは彼女にとって、もっとも残酷なことでした。けれども、それが青春だということを彼女は噛みしめるのでした。彼女は、この本のなかで、自分の作句テーマを「日常に見え隠れする一瞬の輝き」と書いています。そうなのです、この恋は「自然消滅」してしまったけれど、それはそれで青春だけが持ち得る「一瞬の輝き」だったのだと思います。
紹介した句が掲載されている、『デッキチェア』(発行/文学の森)は、ヘップバーン叢書そうしょ※1の第1号として発行された、文庫サイズの全句横書きの句集です。

菅野奈都子の句をwebで探すと、『俳句座シーズンズ』が出てきます。
それは2006年から続けられています。
6月の句だけを、ここに載せておきます。

06年6月 / 風のくちづけ
回覧板一軒とばし麦の秋
街薄暑ジーパンの裾だぶつかせ
さくらんぼつまんで従兄弟同士かな
蝋燭を一本ともしさみだるゝ
くるぶしに風のくちづけミュールかな
07年6月 / 虹
片蔭にひらく句帳の白さかな
虹二重空に抜けたる子らのこゑ
その前に女を佇たせ薔薇香る
冷し中華末広がりに具を盛りて
函入りの句集八十八夜かな
08年6月 / 風を連ねて
耳打ちをされて真紅の薔薇香る
泥んこの帽子も靴も夕焼けぬ
明易しグラスに残る紅の跡
鈴蘭の香る新婦の手紙かな
ふるさとの風を連ねて鯉のぼり

ことしの6月の句が待たれます。

ウッドデッキと椅子

ここに載せた写真は、デッキチェアではありませんが、梅雨の晴れ間に、食堂の椅子をデッキに運び出して、レモンティーを飲みながら風に吹かれるのも悪くありません。それも一つのデッキチェアだと思います。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年06月16日の過去記事より再掲載)

※1:同じ種類や分野のものをまとめて編集した書物

梅子黄と猫