びおの七十二候

28

乃東枯・なつかれくさかるる

夏至初侯なつかれくさかるる

乃東枯と書いて、なつかれくさかるる、と読みます。
乃東とは漢方薬に用いられる夏枯草の古名で、その正体はウツボグサ(靫草)です。紫色のきれいな花で、田んぼの畦や草地でよく見掛ける草です。この草は、冬至の頃に芽を出して夏至の頃に、花穂が黒色化して枯れたように見えます。草木が生命活動を謳歌し、繁茂する時季に、この草だけが枯れたように見えることから乃東枯と呼ばれるようになりました。

乃東枯は、二十四節気の夏至の初候にあたります。
夏至は、日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も北寄りになる時季をいいます。即ち、昼が最も長く、夜が最も短くなる時季です。『暦便覧』には「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」と記されています。このため、夏至は別名、日永(ひなが)とも呼ばれます。
北回帰線上の観測点から見ると、夏至の日の太陽は正午に天頂を通過します。
北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜となり、一方、南緯66.6度以南の南極圏全域では極夜となります。

白夜の時期に、北欧ラップランドのイナリ湖周辺に滞在したことがあります。北極海にすぐという距離に位置します。ここでは、太陽は、午前2時位に少し高度を下げたかと思ったら、持ち直すかのように、また高度を上げました。
これが白夜なんだ、と思ったのでした。
白夜のラップランドは、気温が上昇します。温度計を見たら27℃を超えていました。暑苦しく、しかも蚊が大量に発生します。これはたまらないと思い、夜のある生活が恋しくなりました。

イナリ湖(フィンランド)イナリ湖(フィンランド)

地球の上に朝が来る、という歌があります。
第二次大戦前に、川田義雄とミルク・ブラザーズによって歌われた歌です。

白夜のラップランドに朝はありません。ずっと明けたままです。
ずっと地表が温められるので、当然に温度は上昇します。地表が冷やされることのない、金星という星が持つ嘆かわしさを思いました。極夜が続く火星もいやですが・・・。

三重県二見浦ふたみがうらに、夏至祭があります。白装束に身を包んだ300人近くの善男善女が、天照大神を迎えるために、祝詞のりとを唱え気合いを入れつつ海に入り、朝日が昇ろうとする夫婦岩に向けて歩いていきます。毎年、繰り返される行事です。
二見浦には、夏至の時期だけ夫婦岩の間から朝日が昇ります。これは夏至の日の前後2ヶ月しか見られない光景です。
夏至を詠んだ句はたくさんあります。

夏至今日と思ひつつ書を閉ぢにけり  高浜虚子きょし
鳶の輪の高きに夏至はきておりぬ  永田耕一郎
葛飾や夏至のつばめをかほの前  黒田杏子ももこ
海は目の高さまで満つ夏至夕  各務麗至かがみれいじ
鹿島槍夏至残光をかかげたり  小澤みのる
夏至の日の手足明るく目覚めけり  岡本 ひとみ
菜箸の油にぬれし夏至の月  如月きさらぎ真菜まな
エプロンに卵かかえて夏至通過  北原志満子

きょうの句、角川源義の

金借りに鉄扉重しや夏至の雨

も夏至を詠んだ句です。北原志満子との世界の違いに、俳句の世界が持つ幅を感じます。
角川源義の句は、昨今の経済事情をみると、身につまされる人が少なくないと思われます。この金繰りのやりきれなさは、経営者でなければ分かりません。

角川源義(かどかわ げんよし/1917〜1975年)は、よく知られる角川書店の創業者です。角川源義は富山の出身で、生家は北陸一と言われた米穀問屋でした。古書店で折口信夫の著書『古代研究』に出会い、父の反対を押し切って国文学に進みます。中学校の教師を経て、敗戦間もない1945年11月に角川書店を設立します。阿部次郎の『三太郎の日記』を発行し、それがベストセラーになって出版人として成功し、1949年に角川文庫の発行によって地歩を固めます。
角川源義は、癇癪かんしゃく持ちと言われ、漁色家でもありました。複数の愛人を作って私生児を産ませるなど奔放な生き方の人でした。角川春樹、辺見じゅん、角川歴彦つぐひこの父親でありますが、この一族の軌跡と、特異な人々の才能やエピソードから、源義その人の影響がもたらしたものを感じます。長男であり、出版界・映画界の風雲児として知られる角川春樹が書いた「私の履歴書」に、父に対しての反逆心が出発点だったと述べられています。
しかし、血は争えぬもので、春樹も俳人でありました。

獄凍てぬ不二男に負けじと飯くらふ

という句が春樹にあります。不二男とは、「京大俳句事件」で獄中に身を置いた俳人、秋元不死男のことです。それと自分を重ねた句ですが、不死男は、思想弾圧の無実の罪によって獄中生活を余儀なくされた俳人なのであり、春樹は、麻薬法違反で検挙されて監獄に入りました。これを一緒くたにするところに、角川春樹の思い込みの幼児性と、あまりの政治音痴を指摘する声があります。しかし、俳句そのものはなかなかのものです。

そこにあるすすきが遠し檻の中

同じく春樹の句です。才能の輝きを感じはしますが、人は句の中に俳人の生き方を見ますので、この句を読んで白ける人も少なくありません。
父の源義の句も、成功物語の陰にこういうことがあったのか、という受け止め方をしてしまいます。しかし、勝手気ままな生き方をした源義にも、多分、内なる地獄があったはずで、源義にとって俳句は、その意味で正直なものだったように思います。
今回の句で感じることは、金繰りの重苦しさと、夏至という言葉がもつ、どうしょうもない明るさとのコントラストです。
源義の代表的な句を紹介しておきます。

冷酒や蟹はなけれど烏賊裂かん
からしあへの菊一盞の酒欲れり
ロダンの首泰山木は花得たり
花枇杷や砂丘をひらき家と墓
花あれば西行の日とおもふべし
夜の秋美しき死ともひ寝む
月の人のひとりとならむ車椅子
引越の日の十三夜無月なり
盆三日あまり短かし帰る刻
花桐や手提を鳴らし少女過ぐ
夜へ継ぐ工場の炎や半夏雨
灯ともせば雨音渡る茂りかな
秋風のかがやきを云ひ見舞客

(出雲にて早暁に記す)

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年06月21日の過去記事より再掲載)

乃東枯と猫