流しの洋裁人の旅日記
第1回
「服をつくるひと=洋裁人」
になりたい
2011年、友人を頼ってガーナに1週間ほど滞在したのですが、道端に中古コンテナを利用した仕立屋が服を作っている光景を目にしました。ほかにも自動車修理屋さんや内装屋さんなどがあり、イキイキとした生活を垣間見ました。自分のできることを精一杯やって、そして集落でその能力が必要とされて生きている。働くとは生きることに直結した仕事であるのだ、と「働く」についての自分の意識が変わった瞬間でした。
ガーナの仕立屋は、オーダーするとおしゃべりをしている間の数時間に服を作ってくれました。その鮮やかな手さばきに感動したのと同時に、アパレル営業マン時代に感じた、「誰が作って誰のもとに流れていくのかわからない服を企画している違和感」の理由がはっきりしました。
当時、私は大学でアパレル系の授業の助手をしていたのですが、服は機械で自動生産され人が縫っていると思っていない学生がいるということを知りました。これは身近な生活が遠く離れた国の誰かが作ったものによって成り立っているため、普段から生活をつくりあげる光景を直接見ていないからだなと感じていたのです。
これらが相まって、店を持たずに移動した先々で服の発注を受け、洋裁の光景をつくる「流しの洋裁人」が生まれました。自分のできることを精一杯詰め込んだ生業的活動です。
昨年の3月までは京都の大学に勤務しておりましたが、4月から東京を生活拠点に移し、さらには流しの洋裁人一本で食べていくという大転換期が起きました。定期的に職場へ通勤するという制約から外れた今は、全国の友人知人を頼って滞在しながら制作する“流しっぱなし”が実現し、いよいよ家は必要ないのではと考え始めています。
このコラムでは、「流しの洋裁人」という活動を通して、全国各地でさまざまな人に出会い気づいたことを綴っていけたらと思います。
表題写真/撮影=ヨシダキミコ