太陽にまつわるエトセトラ

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太陽が10個あった?中国神話「太陽を射落とした男」から旬を考える

旬と言うとあなたは何を思いうかべるだろうか?
こう問われたら、野菜や魚介類などの味のもっとも良い時季と答える人が多かった。でも、それは日本語だけの意味らしい。中国語では旬は十日間のことを指す。なるほど、そう言われれば日本語でも上旬・中旬・下旬など一か月をほぼ十日ごとに分けたときこの旬を使う。また十日に一回刊行されることを旬刊と呼ぶらしい。
旬、という言葉を知ってからそれまでとは違う時間体系を私は感じた。その感覚は二十四節気や七十二候を知ったときと同じだ。

この旬、もとは十個の太陽の総称だった。しかも十個の太陽は兄弟で、それぞれ名前がつけられている。何だと思う? 太郎・次郎・三郎……。いやいやこれは中国のお話。

答えは

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

すなわち十干だ。この十干を旬と呼ぶ。察しの良い方はおわかりの通り筆者の名前、甲太郎の「甲」はこの最初の太陽からとられている。だから甲太郎の「甲」も「太郎」も長男という意味で、まるで「一太郎」みたいなネーミングだ。

羿

武氏祠石刻。右端から羿が射る。扶桑の木と鳥が描かれている。

この十個の太陽は、中国神話で東の神さま帝シュンとその妻である羲和ギワのあいだに出来た十人兄弟だった。彼らは扶桑の木から六頭の竜がひく車に乗って一日一人ずつ空を駆けた。でも繰り返される日々に飽き飽きした十人兄弟は勝手に十人一緒に空を駆けてしまう。地上の草木は熱さで枯れた。これに困ったのが地上を治めていた帝ギョウ。帝堯は弓の名手である羿ゲイに頼み十人兄弟を射落とさせようとする。羿は一つの太陽を残し九つの太陽を射落とす。こうして地上にはめでたく太陽は一個だけになったとさ。これには続きがあるんだけれど、それはあなた自身で調べてみたほうがいい。この射日神話は後漢時代に書かれた「楚辞」の解釈書に記述されている。

堯命羿仰射十日、中其九日、日中九烏皆死、墮其羽翼、故留其一日也。(王逸「楚辞章句」天問注)

え、漢文は読めない? ぜひ高校の時の教科書をひっぱりだして読んでみて欲しい。太陽のなかには烏がいて射落とされたのは九羽の烏と書かれている。太陽に烏というとサッカー日本代表のエンブレムでもある八咫烏ともつながる話だ。ちなみに、このとき逃げられた太陽が十人兄弟の誰かは、分かっていない。

十個の太陽が実際に空に出たことは、たぶん中国四千年の歴史で一度もない。おそらく「太陽がもっと強い光を出したらどうなるだろう」と古代中国人の杞憂がこの射日神話を生んだのだろう。羿は太陽を一個だけ逃したが、すべて射落とさなかったのは、太陽がありがたいものだと知っていたからだし、太陽はほどほどがベストだと理解していたからだ。

著者について

林 甲太郎

林 甲太郎はやし・こうたろう
編集者
住まいマガジンびおの下っ端編集者、俳句と養命酒を少々。

連載について

太陽のめぐみを受けて回る地球。その地球上で、太陽の光を受けて生きる動植物たち、そして人間。化石燃料の恩恵を受けるようになってから、私たち人間は太陽のありがたさを忘れつつあるのではないでしょうか? 太陽と人間のかかわりを神話・歴史・科学・文化などさまざまな切り口から探っていきます。