まちの中の建築スケッチ

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ひがし茶屋街——残る町屋建築

我が国では、すべての建物が建築基準法で設計される。1950年に、最低基準を定めるものとして制定されたが、その後の震災や火災対応、あるいは、日照権や超高層建築の計算基準など、頻繁な改正のたびに条項が増え、今や制定当初の10倍くらいにもなっており、全貌の内容を理解できる人は行政にももちろん建築士でもいないのでは、と思われるほどである。
1998年に性能規定化を謳い文句とした改正が行われた。しかし性能規定にはほど遠い詳細な施行令・告示が作られたことに疑問を持ち、200人ほどの専門家に声をかけて2003年に建築基本法制定準備会を立ち上げた。全国一律の規制をそろそろ見直すために、上位法として建築の理念や専門家責任を謳う法を導入して、新しい制度体系にすることを訴えてきている。
特に、大工棟梁の技が作る伝統木造建築は、建築基準法では認めておらず、何らかの制度を作らないと、長いこと日本の伝統として生まれた技術が、神社・仏閣以外に消えてしまいかねない。のみかんなのような高度な技術がなくても組めるものを法律で認められると技術は評価されない。加えて、性能の良い貫構造や土壁が計算に乗らないからと認められないのは、どうみてもおかしい。そんなこともあって、昨年、建築基本法制定準備会で議論し、伝統木造をテーマにしたシンポジウムの金沢開催を企画した。
そしてこの2月16日、何年かぶりに、金沢を訪れた。「伝統のまちなみ保存と建築基本法」というテーマで、金沢工業大学の先生方や日本建築家協会北陸支部の方々と建築制度のあり方について議論した。金沢らしさを受け継いでいくためにも、戦災を免れた金沢には木造建築がふさわしい。これまでの市政の取り組みも踏まえて、建築家や行政の立場からも、建築基本法の制定が期待されるという声が多く聞かれた。

ひがし茶屋街

今年の北陸地方の雪はすさまじく、金沢でも80㎝の積雪を見たというが、幸いようやく道路や舗道も通行できるようになった状態であった。浅野川畔のお寿司屋さんでの懇親会でも議論は続き、さらにひがし茶屋街の「ハの福」のカウンターで、6人でめいめい好みのアルコールを片手に最後の余韻を味わった。昔は、茶屋の2階は宴会が盛んで、光や音も街路に溢れていたというが、今は昼間こそ観光客で賑わうが、夜は灯りも少なくとても静かである。
翌朝、みぞれ交じりの小雨の中、再びひがし茶屋街に足を運んだ。石畳の舗道の両側は、200年来の雰囲気を残した町屋建築で、眺めるほどに心地よい。お茶屋さんはもはや少数で、観光客相手の土産物屋やカフェになっている。佇まいは板壁が雨のしみ模様を見せており、2階の横連窓が家ごとに少しプロポーションを変えて、全体として茶屋街を構成している。
夜は気づかなかったが、「ハの福」はきれいに改築されていた。このようにして、少しずつ全体が保存再生されていく様は、古い家なみの中の新しい家の存在が時間を感じさせる。建築基準法の例外適用となる重要伝統建築物群保存地区であるが、そこに生活が営まれていることが大切である。
金沢にはひがし茶屋街のほか、主計町茶屋街、にし茶屋街と3カ所が保存されている。共通の課題として、耐震性や防火性を確認しながら維持管理していくという街区としての取り組みがある。まちとして歴史的な建築の価値を認識し、訪れる人々に魅力ある空間を提供できるためには、その裏でそれを可能にする取り組みが必要だ。そしてそれが例外としてではなく、伝統を次世代につなぐしくみにしていかなくてはいけない。
庇の下で雪交じりの雨を除けながら、かじかむ指で、壁を共有してつながる木造町屋の軒の微妙な違いのリズムを描いた。屋根には、まだ雪が残っている。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。