“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第6回
“Home”には何が必要か?
“Home”は、日本語では「家」、「家庭」、「故郷」など文脈に応じて色々なことばに訳される。建物としての「家」だけでなく、「家」を中心に営まれる人間関係や暮らし、地域やコミュニティ、さらにそれらに対する思いや感情までも包み込む、広がりのあることばだ。
“Home”をテーマにした映画や本、論文はたくさんある。最近出会ったものの中で印象的だったのは、ジョン・S・アレンという神経人類学者が書いた『Home: How Habitat Made Us Human』という本だ。この本を読むまで神経人類学という分野を知らなかったが、生物としての「ヒト」と、文化的な存在としての「人間」とを組み合わせて考える学問だという。この本では“Home”が人間にとって、生物学的、心理学的、あるいは文化的にどのような意味を持つのかを、歴史や多様な研究を紹介しながら論じている。
この本の中でもっとも共感したポイントは、“Home”について考えるには、建物や構造についての話をしているだけでは不十分だということだ。世界を見渡し、先行研究や事例を見てみると、人は、あらゆる環境、あらゆる構造の中で、さまざまな同居人と過ごしながら、そこを“Home”だと感じていることがわかる。重要なことは、「ここが“Home”だ」という感覚がどのようなもので、それが何によって成り立っているかを考えることだという。これは、私がずっと抱えてきた問いでもある。
私は引越しの多い人生を送ってきて、その度に、自分にとっての“Home”を問い直さざるをえなかった。固定された拠点としての“Home”がなかったので、何があればそこを自分の“Home”だと感じられるのかと考えるようになった。特に2009年から2012年にかけての3年間は、フィンランドの首都ヘルシンキを拠点にしつつも、アルゼンチン、イギリス、日本にも数ヶ月間滞在するという「旅烏」のような暮らしをしていた。当時、有期雇用の研究者とフリーランスで、先行きが見えない生活を送っていた私たち夫婦は、次にどこで働きどこで暮らすのか、私たちにとっての“Home”は? と、度々議論した。ある時、自分たちの“Home”には何が必要なのかを考えるきっかけとして、引越しを繰り返した3年間、ずっと持ち続けていた物を書き出してみたことがあった。
日本を離れるとき、空港でマイルを使って買った一番安い海外対応炊飯器は、毎日おいしくすばやくご飯を炊けるので手放せなかった。日本製の箸は調理する時も食べる時も欠かせなかったし、使い心地の良い竹製の耳かきも、外国では手に入れ難かったので持ち続けていた。そして何と言っても、iPod touchやパソコンは当時も今も必需品だ。これらの機器があれば、世界中どこにいても大切な人びとと連絡をとれる。こうして自分たちが引っ越しても持ち続けてきた、一つひとつの物の意味を考えた。そうすることで、自分たちにとって「ここが“Home”だ」という感覚を得るのに必要な要素は何かが、だんだんと見えてきた。
引越しの経験や予定がない人は、『マイレージ、マイライフ』という映画を観てほしい。主人公ライアンが、こんな問いを人びとに投げかけている。
“バックパックを背負ってる”と想像してください。中にあなたの人生の持ち物を詰めます。まずは棚や引き出しの小物など。重さを感じて。次に大きい物。服や電化製品、ライトやリネン類やテレビ。重くなってきました。さらにカウチ、ベッド、台所のテーブル、車も詰めて。家もです。ワンルームでも2LDKでも。全部それに詰めて。歩いてみて。大変でしょ? 人生も同じ。我々は重荷で動けなくなってる。だが生きるとは動くことだ。バックパックが燃えたら何を取り出す?