<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること
第6回
3月:雪解け
馬にニンジン
馬にリンゴ、でもいいのですが、ある馬と仲良くなろうとするとき、ニンジンとかリンゴとかのおやつをあげる、ということがあります。ただちょっと待って。と、ホーストレーナーたちが言うことがあります。あなたがおやつをあげようとしている馬とあなたはどんな関係?
馬が人のすぐ横でリラックスできているということは、人が馬を怖れさせていないことですから、人と馬の関係の基本としてとても大事です。けれどもそれだけでは十分ではありません。相手は400キロ、500キロ。体重50キロの人にとっては8倍から10倍の体重で、人をはるかにしのぐ強大な力を持っています。彼らが頭部で軽くひと押しするだけでも人は容易によろめいてしまいます。ましてや本気になられたら到底太刀打ちできるものではありません。
信頼に基づいた絆をつくることはとても重要です。ですが、それだけでは馬と人がともに長く楽しく安全に暮らしていくためには足りません。馬からのリスペクトが大事だ、と多くのホーストレーナーたちが言います。両者が対等で親しいだけの関係は、やがて馬が人に対してなれなれしく厚かましくなり、乱暴な行いをするようになる芽を含んでいるのです。これは人間関係の進展の中でもしばしば起こりうることで、そういえば、「親しき仲にも礼儀あり」という戒めがありました。
英語圏のホースマンたちがいうリスペクトは、日本語の尊敬という言葉に置き換えると少し伝わらないニュアンスが残ると思います。リスペクトの本義は「価値あるものに対してそれにふさわしい敬意を払う」ということだそうですから、この場合は、ある馬がある人に対して常に注意や関心を払っていると同時に、その人のパーソナルスペースにその人の許可なく侵入しない、というような意識及び身体的な行為として現れます。
この関係を構築することなく、馬にニンジン、馬にリンゴが繰り返されると、あの人は好物を与えてくれる優しくて便利な餌やり装置ぐらいに馬は思うようになって、もっとニンジンを寄こせリンゴを与えろと体を使ってパーソナルスペースに乱暴に侵犯してくる、つまり馬から人へのリスペクトが欠如した、人にとって危険な関係になってしまうことがあります。なので、相互信頼関係の構築と同時に、馬から人へのリスペクト関係を構築し維持し続けることはセットで重要となります。その方法はまた時間があればおいおい。
ヤマザクラやコブシの花が咲き、木々の芽吹きが始まるのはまだひと月ぐらい先のことですが、朝5時過ぎには夜が明けるようになりました。農家の人たちも少し気忙しく田畑の準備を本格化させ始めた3月の日々です。