“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第8回
「夏小屋」の日記
昨年、5年ぶりにフィンランドを訪れた。フィンランドには、夫の研究のために3年近く住んだ。国土の1/4が北極圏内にあり、人びとの暮らしは季節ごとにドラマチックに変化する厳しい気候と、美しい自然とともにある。10月中旬頃から冬に突入し、4月頃まで平均気温は氷点下になる。冬の間は、日照時間が極端に短くなる。雪のある時期は雪が多少の明るさを生み出してくれるが、雪が降らなければひたすら暗い日々が続く。長い冬が終わり、日光で氷柱が溶けていく様子を、満面の笑みで見つめていた友人の姿を、4月になると思い出す。圧倒的な自然の力に押しつぶされることなく、楽しみながら暮らすにはどうしたらよいのか。私たちは、友人のカリンとルネ夫妻から多くのことを教わった。
彼らは、首都ヘルシンキから長距離バスで1時間半ほどの、人口1万6千人の町で暮らしている。週末になると、フィンランド湾に浮かぶ島にある「夏小屋」で過ごすのが彼らの習慣だ。「夏小屋」と言っても、夏だけでなく通年で使う。夏小屋を所有することは、フィンランドでは珍しいことではない。2012年当時の統計局のデータによると、フィンランドの人口約540万人のうち約50万人が夏小屋を所有している。自分や家族が所有していなくても、友人や親戚の夏小屋に招かれるという人も多い。休暇を夏小屋で過ごすことは、フィンランドの文化のひとつと言えるかもしれない。
カリンとルネの夏小屋は、海に囲まれた森の中にひっそりと佇む。ふたりはこの小屋を、何年もかけて自分たちの手で作った。水道がないので、雨水を貯めて使う。飲料水は、町の自宅から持参する。トイレは「バイオトイレ」と呼ばれるコンポストのような仕組みで作られたもので、用を足したら土やコケなどをかぶせる。電気は引いてあるが、ほとんど使わない。明かりが必要な時はキャンドルに火を灯し、寒い時は暖炉に火を入れる。野菜は自分たちの畑で収穫し、魚は近所の漁師から直接買う。夏小屋での暮らしはかなり手間がかかるが、カリンとルネはそれを楽しんでいた。
フィンランドに住んでいた頃は、年に数回、季節が変わる時期になると、ふたりの夏小屋に招かれた。日中は、森の中を散策して、ブルーベリーやリンゴンベリーを摘んだり、キノコ狩りをしたりする。夕方になると、食卓を囲んでゆっくり話をする。カリンとルネは、夏小屋に来ると、テレビ、パソコン、携帯電話を使わない。
私たちが招かれた時、必ず話の種として持ち出されるものがあった。夏小屋の日記だ。日記というと、個人が日々の出来事を綴ったプライベートな記録を思い浮かべると思うが、夏小屋の日記は違う。主に書き込むのはカリンだが、ルネ、彼らの子ども、親戚、友人など、夏小屋を訪れた人びとにもひらかれた共同的な記録だ。カリン以外の人による書き込みもある。内容は、日付、天気、滞在した人の名前、その日にしたことなどだ。撮影した写真を後から印刷して、貼り付けてあったりもする。この日記は、ずっと同じ棚の中で保管され、更新され続けてきた。
フィンランドを代表する作家トーベ・ヤンソンの夏小屋にも、日記があった。彼女は、それをベースにして『島暮らしの記録』という本を書いたと言われている。その日の海の状態や食べたものなど、些細だとも思える日々の記録を、彼女は創作の源にした。
昨年カリンとルネの夏小屋を5年ぶりに訪れた時も、やはり日記を見ながら語らった。前回の訪問以降、この小屋で起きたさまざまな出来事を、カリンとルネがページをめくりながら話してくれた。この日記は、夏小屋で過ごした人びとの記憶をつなぐとともに、訪れた人びとに豊かな時間をもたらす。ここでしか読めない記録が、この場所に特別な意味を与えている。