物語 郊外住宅の百年
第7回
なぜ、レッチワースは
ステキであり続けたのか(1)
今も絶えない、日本からの視察者
田園調布は高級住宅として崇められ、レッチワースはその元祖として、百年以上にわたって、官民を問わず、日本から数多くの視察団が送られた。
高度経済成長期をむかえ、各地でニュータウン建設が始まると、日本からレッチワースへの視察は一種のブームを来し、都市計画者やデベロッパー、ハウスメーカーから工務店に至るまで、引きも切らず視察が繰り返された。
日本人の海外視察は、ツアーコンダクターに従い、得てして旅行気分が勝っている。
筆者が、カナダのオタワで開かれた住宅に関する国際会議に代表団の一員として参加した折、ナイヤガラ瀑布見学と、カナディアンロッキーの旅とゴルフがおまけについていた。レッチワースへの旅には、必ずと言っていいほどロンドン市内の観光地見学が付帯していて、なかには湖岸地方やスコットランドのエジンバラを回るコースもあったりする。
このような視察は、最近になっても行われていて、例えば2013年秋に中央省庁の外郭団体が企画したツアーには、日本の名だたるハウスメーカー、建材メーカー、都市計画コンサルタント会社のメンバーが参加している、といった具合である。
その参加者が書いたレポートを読んでいたら、レッチワースについて「築年数が経過した建物でも評価が高く、高額で売買されている。駅前の不動産屋を覗くと、建物の大きさにもよるが日本円にして4,000〜5,000万円という物件が普通に掲示してあった。ロンドン中心地から車で1時間かかる立地での金額とは思えず、かなり驚いた」と書かれていた。
レッチワースが誕生してから100年以上になるが、レッチワースは今もイギリス国内で人気は衰えない。しかし、その理由が何なのか、視察者のレポートからそれを読み取ることはできない。レッチワースが、なぜイギリス人によって支持され、いまなお、物件として魅力を持ち続けているのか、その真実は何なのか、さっぱり分からないのである。
無論、すぐれたレポートも少なくない。レッチワースに居を構え、あるいは研究者として留学し、長年にわたり観察し続けた人もいる。文献を調べ上げ、レッチワースについて書き表された著作もあまたある。
通り一遍のツアー旅行を取り上げても詮ないことで、枝葉末節な話と思われるかも知れない。けれども、これほど夥しい数のツアー者がレッチワースに通い続けた理由を知ることは、日本人にとってレッチワースとは何かを解く一つのカギになるだろう。
余談になるが、かつて日本には、村落共同体による参拝講が多く見られた。代表的なものに伊勢講、三峯講、秋葉講などがあげられる。これらの参拝講の多くは、講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」だった。
一軒の家で旅費を賄うのは無理でも、講の戸主に見合った旅費を積み立てれば、毎年、決まった人数を代参者として順次送り出すことができる。講を組むことで、各地で「一生に一度はお伊勢参り」の実現を見たのである。
世界には様々な巡礼のカタチがある。キリスト教ではサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼、メキシコのグアダルーペの聖母巡礼、エルサレムやクムランへの巡礼があり、イスラム教では一生に一度メッカ巡礼を務める義務があり、チベット仏教にも、ヒンドゥー教にも、ユダヤ教にもある。
これら世界の巡礼は宗教色が強く、各人の体力と財力の限りを尽くすことが求められるが、日本の「代参講」は、巡礼というより巡拝というべき性格のもので、実に安気なものだった。
日本にも、山伏による水断、穀断、懺悔などの苛酷な修験道があり、若い頃、和歌森太郎の『山伏―入峰・修行・呪法』(中公新書)を読んで、そのあまりの激しさに驚いたことがある。映画『劒岳 点の記』に出てくる、劒岳山頂で発見された錫杖は平安時代のもので、山伏が置いて行ったものとされる。四国八十八ヶ所巡りのお遍路も決して生易しいものではない。
したがって巡礼比較論は意味を持たないのであるが、レッチワースへの旅は「代参講」に近かったと見ると、それが観光や娯楽の意味合いを持ち、参拝のような性格のものだったと解すれば、目くじらを立てることではない。けれども、それに付き合い、受け入れ、説明を繰り返してきたレッチワースの関係者の立場に立てば苦い話かも知れない。