物語 郊外住宅の百年

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べラミー『顧みれば』との出会い

ロンドンに戻ったハワードは、国会の審議記録作成を請け負っている会社に就職した。
イギリス議会は、「ウェストミンスター・モデル」で知られるように、議会の国の議会である。下院(庶民院) と上院(貴族院)があり、可決、修正、差し戻しが繰り返され、議論が分かれる法案では審議時間が700時間を超えることもあって、しばしば審議時間は深夜にまで及んだ。その記録にあたる速記者の仕事は体力的にきつかった。
ハワードが勤めた頃のイギリス議会は、それまで貴族院議員に「所有」されていた庶民院の改革問題が浮上し、議会は揺れに揺れていた。速記をしながら、ただただ時間を浪費し、一向に決まらない政治に呆れ、苛立ち、時として稲妻のほとばしる如く脳裏に去来したのは、エマーソンの超絶主義ではなかったか。現実を突き動かすパワーを彼は欲した。
ハワードは、1888年にシカゴのグリフィンから送られてきた1冊の本に刮目する。アメリカの作家、エドワード・ベラミーが書いた『顧みれば 2000-1887』((原題「Looking Backward 2000-1887」)という小説である。

ハワードは、一晩でこれを読み切り、つよい感興を覚えた。
先に述べた、ハワードとアンウィンたちとの微妙な食い違いは、実はこの小説を読んで感じたことで、この小説をハワードが礼賛する意味が解せなかった。しかし、ウィリアム・モリスが『ユートピアだより』に書いたベラミー批判を読んで、なるほどそうだったのかと合点が行った。『ユートピアだより』は、淡々とした筆致で綴られているが、これを書いた当時のモリスは、生涯の中で最も熱心に政治運動に関わった時期だった。ベラミーの小説に見られる一元的社会は、モリスが描く理想と異なるもので、殊にベラミーの労働観に承服しがたいものを感じた。モリスのベラミー批判を、ハワードにアンウィンも読んだに違いない。アンウィンはモリスの信奉者であり、ハワードはベラミーにベタ惚れで、私は小説を読みながら、これは奇態なことになったと戸惑った。


エドワード・ベラミー

それでは、ベラミーの『顧みれば 2000-1887』は、どんな小説なのか。まず、あらすじから見て行こう。
舞台は、1887年のボストンである。裕福な青年ジュリアン・ウェストは、社会への苛立ちがつのり不眠症に悩まされていた、かかりつけの医師に催眠術をかけてもらい、ウェストは地下室で静かに眠りに落ちた。その夜、彼の邸宅は火災に見舞われて召使は焼死、彼も行方不明として扱われることになった。しかし彼は地下室で眠り続け、西暦2000年になって、ようやく目が醒めた。
何と113年間もタイムスリップしてしまったのだ。
西暦2000年のボストンは、19世紀末の様々な社会問題を解消し、理想都市に生まれ変わっていた。貧困に喘ぐ者も、不正を働く者もおらず、全市民がよき統治のもとに不自由なく、整然と暮らしていて、この未来都市の模様は、ドクター・リードとその娘との対話を通じて明らかにされて行く。
貨幣は消滅し、クレジットカードが登場していた。クレジットという言葉は、この小説から生まれた造語である。商品見本の陳列場所で注文すると、即時配送された。今の「eコマース」を思わせる仕組みで、家事全般にわたっても外部サービス化が進み、婦人労働は大幅に軽減され、市民は余暇を満喫している。24時間体制で演奏を続けているホールとは電話回線でつながり、いつでも音楽を楽しめる音楽配信サービスがあったり、個人の主張を出版し、その反響に応じて収入・余暇が得られるセルフ・パブリッシングもあったりして、ベラミーの予見能力は、未来小説の傑作とされるジョージ・オーウェルの『一九八四年』と比べても、先を行っている。


ジョージ・オーウェル『1984』

あらすじから分かるように、上流階級の男性が体験するユートピア小説である。この小説が、何故に140万部もの大ベストセラーを記録したのは、2000年のボストンの描き方にあったといわれている。
ジョージ・オーウェルのそれは1949年に発行された。その61年前に書かれたことを考えると、ベラミーの未来小説はもっと評価されていいのかも知れない。けれども、共に一斉を風靡したに関わらず、この2冊の本は古典小説になり得なかった。ジョージ・オーウェルのそれは、社会主義への一方的な憎悪が目立ち、ベラミーのそれは民主的というものの統治主義に陥っており、歴史に耐えられる洞察力を欠いていたからである。
ハワードは、この小説の一体何に惹かれたのだろうか。未来予知の面白さだったのだろうか。この小説を楽しく読んだかも知れないが、ハワードにとってそれは瑣末なことである。
彼の関心を呼んだのは、スラムの解消や、雇用や福祉、農と食の問題、自然環境の保全などの問題解決は、社会システムそのものを変えない限り成就しないということだった。
ハワードの頭にあったのは、エマーソンの超絶主義であり、ベラミーの小説はまさにそれを描いていた。それが彼の感興を呼んだのだった。
小説にあったもう一つのポイントは、破壊的な暴力革命によって実現するのではなく、無血によって実現されていることだった。この後、ハワードは「明日本」の執筆に取り掛かるのであるが、そのサブタイトルに「真の改革に至る平和な道」と記したのは、この小説の啓示によるものと考えられる。

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。