“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第12回
実家
久しぶりに会った友人たちと話していたときに、将来「実家」をどうするかということが話題となった。私以外のふたりは大学進学を機に、それぞれ関西と九州の実家から東京に引っ越した。彼女たちは大学卒業後、都内の会社に就職した。その後、結婚して、今は東京まで電車で1時間ほどの郊外の家で暮らしている。ふたりは、「将来、田舎に戻って暮らす予定はないから、実家をどうするか、いつかは親と話し合わなければならない」といっていた。彼女たちにとっての「実家」は、辞書通りの意味、つまり「自分の生まれた家。生家。また、父母の家」(出典:デジタル大辞泉)だ。それはずっと同じ場所にある、不動の存在だ。そこには「家族」の歴史に関わる大切な物がつまっているし、それ自体に「家族」の歴史が刻まれている。だから、簡単に手放したりはできないという。
私にとっての「実家」は、友人たちとは違う。私が生まれてすぐの頃に住んでいたのは都内にある賃貸マンションで、とうの昔に取り壊された。そこには1年も住まなかったので、私の記憶には残っていない。その後、国内外で引っ越しを重ね、私が中学になった頃に両親は離婚して父は出て行った。だから不動の存在としての「実家」はない。私にとっての「実家」は、これまでもこれからも母が暮らしている場所だ。母は今、兄とふたりで賃貸マンションで暮らしている。4年前、老朽化した賃貸の一軒家から引っ越した。そのときに「断捨離」を実行したので、母の持ち物はかなり少なくなった。そもそも、引っ越しを何度もしてきた母の持ち物は、同じ場所に住み続けている人に比べると少なかったが、さらにスッキリした。母がずっと持ち続けてきた物は、使い慣れた調理器具、お気に入りの食器と、忘れがたい思い出が記録された写真や資料だ。
母にとって今のマンションがいわゆる「終の住処」になるかは、わからない。同居している兄が、結婚や仕事などの事情で引っ越すことになったら、母がひとりで暮らすには広すぎるので別の場所に移ることになるだろう。母はここ数年、膝の関節症など加齢に伴う身体的な問題を感じ始めている。介護が必要な状態になったら、どこでどのように暮らすのがよいだろうかと、ときどき私と話をするようになった。
そんな母の話を思い起こしながらネットサーフィンをしていたときに、車輪がついていて移動可能な「トレーラーハウス」についての記事が目にとまった。トレーラーハウスといえば、映画やドラマで見たことがあった。昨年には、期間限定で東京の神楽坂で営業されていたトレーラーハウス型のダイナー「TRAILER」を訪れ、初めて実物も見た。最近では、暮らしに必要なさまざまな設備が整えられた、魅力的なデザインのトレーラーハウスがたくさんある。今回見かけたいくつかの記事では、急に親が介護が必要な状態になったときなどに、一時的に自宅の駐車スペースなどに設置して使える介護目的のトレーラーハウスが紹介されていた。介護をする側もされる側も、同居するか、介護施設を利用するかについてすぐに決断できない場合も多いだろう。そんなときに、トレーラーハウスを暫定的な解決策として使える可能性があるということだ。このアイディアには驚いた。どんな問題も発想を転換すれば、いろいろな乗り越え方が見えてくるのかもしれないと希望を感じた。
この話を母にしたら、「そういう選択肢もあるのね」とおもしろがっていた。引っ越しを何度も経験して、さまざまなタイプの住居を自分なりに住みこなしてきた、好奇心旺盛な母ならではのリアクションだった。母が暮らす場所としての「実家」をどうするか、これから母と一緒に考えてみたい。実際にトレーラーハウスを活用するかはわからないが、新しい発想を生み出すきっかけを与えてくれた。
※参考情報:トレーラーハウスをめぐっては法律や制度がじゅうぶんに認識されていない、整備されていないといった議論もある。「日本トレーラーハウス協会(http://www.trailerhouse.or.jp/)」が設立され、現在の法律を厳守して運搬・設置を行なうとともに、新しい基準を決め、法律を改善しトレーラーハウスの普及をすすめるための活動が行なわれている。