ぐるり雑考
第21回
モノ、うつわ、呼吸
20年ほど前、矢野顕子さんが「私は少ないもので豊かに生きるのが好き」と語っているのを読んで、深く頷いた。
頷いたけど「そんなふうに生きてみたい」という話で、自分の暮らしときたらそれどころか…という感じ。デザインの仕事をしていると、サンプルや試作品を含み、生活空間が膨大なモノで溢れかえる。
と書きながら、以前サウンドアーティストの鈴木昭男さんが聞かせてくれた話を思い出した。昔、一緒に暮らしていた女性が〝レコードを1枚しか持たないひと〟だった話。同じものを何度もくり返し聴いて、次の1枚は、必ずそれを売ってから買うひとでした、と。
「無人島に持って行く1冊」という設問がよくあるが、既に普段からそうしている人がいるんだな。
自分の話に戻ると、仕事がら増えがちなモノや書籍と別に、この十数年とくに悩ましく感じてきたのは〝
器については素敵な一品も、応援したいつくり手も多くて、本当に困る。
そんな中、新潟でデザインやモノづくりに取り組んでいるエフスタイルという2人組の友人と再会した。彼女たちは仕事柄、年間を通じて各地のいい店を訪れるし、魅力的なつくり手にも多数出会っている。素敵な品々、とくに器との出会いは多いはずで、「どうしているんだろう?」と思っていた。
彼女たちの場合「足りている」という理由で買わないような、インクが詰まって出ないボールペンのようではないみたいで(この表現自虐的ですね)、「わっ!」と心に響くものがあれば、どうやら迷わず買っている。
しかし、たまに放出市のようなものをひらいて、もう手放そうと思ったモノを、次の使い手にゆずり渡しているという。
「いいものを、一生つかう」という考えもとくにない様子だった。出会ったときには強く惹かれて買っても、日々触れてゆく中で次第に小さな違和感をおぼえるようになったり。あるいは逆に、変わらず良さを感じつづけていたり。
自分の変わってゆく部分、変わらない部分。
モノの価値というより、モノを通じて、いまこの瞬間の自分の感受性を確かめているような、そんなあり方を楽しげに聞かせてもらい心が軽くなった。
昭男さんの元同居人しかり、エフスタイルの2人しかり。モノも、生きてゆく中で呼吸のように出入りしていいし、むしろその呼吸の中で、自分のあり様がわかる。そこに面白さもあるんだな、と。