移住できるかな

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万策尽きて日も暮れて

西本和美 移住できるかな

「空き家バンク」を利用しての農地取得は諦めました。

理由その①
農家の敷地内には、さまざまな建物が建っています。母屋、離れ、納屋、乾燥小屋、牛小屋etc. 古家を再生するつもりなら、小さな古材にも利用価値を見いだせるでしょう。しかし新築する予定の私にとって、建物の取り壊し費用は無駄な出費。また、状態の良い空き家であれば、壊すのは忍びない気がします。

理由その②
「空き家バンク」では、賃貸・売買の条件はオーナー次第。一般的な契約なら雨漏りや設備の修理はオーナーの役目ですが、「空き家バンク」ではあくまで厚意。つまり全く修理・保全をしないオーナーもいます。取り壊すのだから半壊でも全壊でも構わないのですが、そういう無責任なオーナーほど、相場より高額を提示するんですねぇ……(溜息)。

何軒も空き家を訪ねていると、オーナーの顔が見えてきます。やむなく空き家になったが愛着のある家なのか、相続したものの持て余しているのか。後者の場合、手入れは怠りがち。とくに遠方に住むオーナーは、草刈りや樹木の剪定などを地域住民の善意に甘えて迷惑がられていたりします。
最後に見学した空き家では、近所に友人家族が住んでいました。見学に立ち会ってもらい、その空き家の履歴を聞けば、残念ながら後者です。家の前から続く畑は、草刈りの手間を省くためかコンクリートを流し込んでいます。これを剥がすだけで相当の出費になりそう。「あなたは、捜し方を間違っているんじゃないの?」と友人。
そもそも空き家バンクは、空き家を手に入れたい人のための仲介機関です。農地を手に入れる手段ではありません。空き家バンクには、私の求める移住地は無いのです。

もちろん正攻法も試み不動産屋に相談しました。
「田舎暮らしを応援します」と銘打つH町の不動産屋に、東京から電話しました。すると、「急に来られても紹介できる物件はない、後日連絡しますよ」と社長さん。あら? 田舎暮らしを応援しているのに手持ちの物件がない? 不信感が芽生えます。数週間後に電話してきた社長さんは、「なんだっけ? たくさん相談が来るので、まとめて返事をしているんだが」と要領を得ません。かなり不信感を抱きましたが、再度こちらの希望を伝えました。2反(約600坪)以下の農地が欲しいこと、家のすぐ前から田畑の続く「昔ながらの小規模農家の構え」が欲しいこと。それなら安くて良い物件がある、と社長さん。
見学の日時を決め、航空券を予約し、帰省。待ち合わせ場所に現れた若い社員は、社長との事前の遣り取りを知らない様子。そうして案内された土地は、驚いたことに、こちらの希望要件を何ひとつ満たしていません。宅地と田畑は線路や道路に隔たれて遠く、数カ所に点在しています。しかも一部には不法占拠された家が立つ、訳あり物件。若い社員はひたすら謝ってくれましたが、あきれはてました。噂によると、この不動産会社の社長さんはとても正直な人で、「都会から移住して来るやつはカモだ」と公言してはばからないそうです。やれやれ。

I町の不動産屋の社長さんは、丁寧な対応で仕事熱心な方でした。HPで事前に選んだ物件を、社長自ら運転して案内してくれます。ある物件は、山の上の5,000坪。高低差のある田畑や果樹園は夏草や低木に埋もれています。とても私の手に負えません、と降参。ある物件は、海を見下ろす見晴らしの良い分譲地。畑は裏手の農家に借りるよう交渉してくれるそう。分譲地にはすでに数件の家が建ち、いずれも県外からの移住者で、定年退職したご夫婦ばかり。「移住者同士なら話も会うし、暮らしやすいですよー」と、しきりに薦めます。いえいえ、むしろ地元の農家の方に話を聞きたいんで、と私。
それならば、と、これから開発予定の1,000坪の山林を買わないかと持ちかけられました。「山林」といっても分譲地の奥に続く、緩やかな斜面。海は見えないけれど、踏み入れないほど荒れた雑木林だけど、陽当たりは申し分ありません。で、お値段は? 現状のままで2万円/坪、整地して道路と電気水道を敷設すれば3万円/坪。……もし私が、いわゆる富裕層なら、「あら、お手頃ね、いただきましょう」などと言ったでしょうか。この地域は近頃、別荘地として人気だそうです。不動産屋には、不動産屋が「売りたい物件」があるのです。

さて、万策尽きて日も暮れて、これからどうしましょう?

空き家バンクの田園風景

胸開かれる田園風景。「空き家バンク」に登録された某家からの眺め。とても魅力的だと思うのですが、オーナーは愛着がない様子。なぜかなぁ?

著者について

西本和美

西本和美にしもと・かずみ
編集者・ライター
1958年 大分県生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。住まいマガジンびお編集顧問。主に国産材を用いた木造住宅や暮らし廻りの手仕事の道具に関心を寄せてきた。編集者として関わった雑誌は『CONFORT(1〜28号)』『チルチンびと(1〜12号)』『住む。(1〜50号)』。