びおの七十二候

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東風解凍・はるかぜこおりをとく

立春初候・東風解凍

節分とは、季節の移り変わる時を意味します。しかし、今では冬から春への変わり目、立春の前日、その年越しの夜をさす言葉になりました。
節分の翌日は立春なので、どこか明るい気分が漂います。歌舞伎の『三人吉三巴白浪さんにんきちざともえのしらなみ』(/作・河竹黙阿弥)の大川端の場のお嬢吉三のセリフ「月もおぼろに白魚のかがりも霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よく浮か浮かと、浮れ鳥の只一羽ねぐらへ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中落ちた夜鷹よたかは厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から縁起がいいわえ」ではありませんが、もうここには冬の気配はなく、春の気分が横溢しています。七五調のこのセリフを口にすると、誰もが気分は春になるから不思議です。

久保田万太郎に、節分を詠んだ句があります。

節分の何げなき雪ふりにけり

春だというのに、何だ季節はずれの雪か、とでもいわんばかりです。万太郎らしい渋い一句です。

春や来し年や行きけん小晦日  芭蕉
年のうちの春やたしかな水の音  千代女

やはり、春が来たのですね。芭蕉や千代女も詠んでるよ、というわけです。
その中にあって、幸田露伴の

節分や肩すぼめ行く行脚僧

という句は異質です。節分の鬼を払う修正会しゅうしょうえによって、「鬼は外福は内」と豆を投げられ、鬼を追い払うところに居合わせた行脚僧の破目を、どこかおかしみを誘いながら詠んでいる句です。加藤楸邨かとうしゅうそんによれば、これは旧暦から新暦に変わり、古くは大晦日の行事だった追儺が節分の日にやられるようになった行脚僧の戸惑いを表しているといいます。
露伴は、江戸文学や漢籍への造詣が深く、もし露伴でなければ、節分の日の行脚僧を、こんなふうに詠まなかったのではといわれています。

幸田 露伴(こうだろはん/1867・慶応3年〜1947・昭和22年)は、別号、蝸牛庵かぎゅうあん。蝸牛庵は、愛知県の明治村に移築されていて、今も見ることができます。『五重塔』『運命』などの小説で知られ、尾崎紅葉とともに紅露時代を築きました。多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残しました。
日本資本主義の勃興期、金満家が輩出するなかで、露伴は、徳の高い人間が正当に評価されず、不遇を囲っている現実にガマンならず、「高士世に容れざるの恨み」とするテーマの作品を書きました。その代表的な作品が『五重塔』でした。この作品には、しがない職人の「のっそり十兵衛」が五重塔の棟梁として世間を見返す過程が描かれています。「のっそり十兵衛」は、日本の職人の一典型とされ、露伴は、金銭欲を持たない十兵衛の道徳的資質を高く評価しています。

永井荷風は、早くから露伴を敬愛していたことで知られています。露伴の葬儀のときに、荷風は門外にたたずんで、静かに弔意を表したエピソードは有名です。
露伴の娘の幸田文は、随筆家、後に小説も書きました。その子である玉も随筆家で、またその子である奈緒はエッセイストとして知られます。

さて、節分の翌日は立春。
新暦のお正月ではなく、この日に「立春大吉」と書いて年賀状を送る人がいます。『立春大吉』とは、立春の日に、禅家で門口に貼る札の文句です。その年賀状は、どこか春の匂いがしていい感じです。
二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされます。
春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を”Spring”とします。これに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心として、その中間に各季節の区切りとして、四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけました。ここに中国暦法の大きな特徴があるといわれます。

立春・猫も恋をする季節
暦の上では春。猫も恋をする季節です

季節を表す「春」という言葉には、実はけっこうな幅があります。
太陽暦では、一般的に3月から5月まで。
正月を新春というように、陰暦では1月から3月までが春。
天文学では、春分から夏至の前日までを指し、二十四節気では、2月4日の立春から、立夏の前日までを春とします。

植物が芽吹き、生き物の活動が活発になることからか、勢いがあることを「我が世の春」などと言ったりもします。青春、思春期、という言葉にも、春のもつイメージが込められています。

もうひとつ、「春」には、色情をあらわす意味もあります。

立春のころは、猫の恋がピークを迎えます。猫たちに、人間の「春」という言葉など知る由もありません。彼らの恋の季節は、日の長さに影響されているといいます。
冬至を過ぎて、日が長くなり始めると、メスの身体は妊娠の準備をはじめます。
立春頃にピークを迎えた発情期は、3月頃には終了します。

これが、野生の猫(いわゆる野良猫)の恋のスケジュールです。けれど、発情した猫の、あの独特の鳴き声は、2月に留まらず、夏にも秋にも聞こえてきます。どうしてでしょうか。

まずあげられるのは、栄養状態がいい場合です。飼い猫はもちろん、野良猫でも、誰かに餌をもらったりして、十分な栄養状態にある場合は、猫はそのエネルギーを繁殖に回してしまいます。動物の本能として、可能な限り子孫を残そう、というわけです。
また、都市部では夜間もずっと明るい場所もあり、日の長さに影響されるはずの繁殖のリズムが狂ってしまうこともあるかもしれません。

そうしたことから、猫は本来より多産になっているようですが、もともとの、一番の恋の季節はやっぱり春なのです。

さて、ヒトの話。

ヒトの場合は栄養状態も、日の長さも、全然関係ありません。妊娠できない状態でのセックスがほとんどです。

…という話、当たり前ですが、あまり大っぴらにされることはありません。

住まいには、プライバシーの低いことと、高いことが混ざっています。それをどう組み合わせるかが設計です。「就寝、排泄、セックス」は、なかでもプライバシーの高い三つです。

ところが、このあたりの話題は、住まいづくりの時も、往々にしてぼやかされがちです。「お宅のは激しいほうですか」と伺うわけにはいかず、けれど寝室の位置やつくりかた、イメージには必要な情報なので、このご夫婦ならこうではないかと、下世話な類推しながら設計せざるを得ない…。

「男と女の家」で宮脇檀さんが書いていることです。
この本は、1998年に出版されたものです。

「陰湿ではなく、隠し事ではなくて、夫婦だから当然あるような性の感じというのが、どうも日本の家にはなさすぎる」
「家の中で男と女が、男と女として向き合っていない。お父さん、お母さんとしてしか向き合っていない」
という思いから、「男と女の家」というタイトルの書を記したわけですが、果たして、この十数年で状況は変わったのでしょうか。

引き続き、そうしたことがおおっぴらに話されることはありません。むしろ前より減っている、家でそういうことしないんじゃないか、という話も聞きました。

和歌には恋愛を詠んだものが多く、それは男女が「和む」歌だった、という説もあります。『古事記』も性描写のオンパレードです。これが近代になって、すっかり「隠すもの・陰湿なもの」になってしまいました。

「重要なプライバシー項目」だからといって、存在しないもの、触れてはならないもの、ではないはずです。そうはいっても、じゃあ自分のことならハッキリ言えるのか、と問われると、口ごもってしまいそうな…。みなさんはどう考えますか。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年02月04日・2015年02月04日の過去記事より再掲載)