びおの七十二候
第5回
霞始靆・かすみはじめてたなびく
霞始靆、かすみはじめてたなびくと読みます。
霞は読めますが書けるかどうか不安です。靆は、麻生太郎でなくても読めませんし、書けません。
前に書きましたが、秋の霧(秋立つ霧)と春の霞(春立つ霞) は、気象的には同じ現象です。微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして、遠方がはっきりと見えない気象現象をいいます。霞、霧と、靄との違いは、視界が1km以上の場合が靄、1km未満のときに霞や霧になるそうです。
わたしは中学生を京都で過ごしましたが、その中学校の校歌は「月輪山の春霞、夢麗しく若き日の、ただひたすらに智を磨き~」で始まりました。吉井勇の作詞でした。泉涌寺の境内にある中学校で、山道を歩いて登校すると木立の間を春霞が靆いていました。遠くをみると、若草色と薄桃色が合わさったような色をしていて、多分、水滴の浮遊が樹木の花や葉をおおって、霞がかかっていたのだと思います。当時は、ただ幻想的で、大人になった気分でその道を歩いていたように思います。
さて今回は、前回に続きたんぽぽを詠んだ句です。
寺山修司の十代の句です。寺山は、言葉の錬金術師の異名をとり、膨大な量の文芸作品(小説・エッセイ・評論・戯曲・シナリオなど)を残しました。
『書を捨てよ、町へ出よう』や『家出のすすめ』などのエッセイ、小説『ああ荒野』、あるいは映画『田園に死す』などの作品によって知られています。
寺山は、本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返したといいます。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わしました。テレビやラジオでは、青森弁なのか、津軽弁なのか判別がつきませんが、訛りのつよい語り口で、「下北半島は、斧のかたちをしている。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」なんてことを喋っていました。
寺山は、二十歳そこそこで俳句と「絶縁」しました。
夏休みは終わった。僕は変わった。
しかし僕は変わりはしたが、立場を転倒したのではなかった。
青年から大人へ変わってゆくとき、青年の日の美しさに比例して「大人となった自分」への嫌悪の念は大きいものである。
しかし、そのせいで立場を転倒させて、現在ある「いい大人たち」のカテゴリイに自分をあてはめようとする性急さは、自分の過ちを容認することでしかない。
僕が俳句をやめたのは、それを契機にして自分の立場に理由の台石をすえ、転倒させようとしたのではなく、この洋服がもはや僕の伸びた身長に合わなくなったからである。
そうだ。僕は二十才。五尺七寸になった。
ふたたびぼくは、俳句を書かないだろう。(「青年俳句」昭和31年12月)
10代で詠まれたこの句は、寺山の天才性を示しています。
この句は、馬車か荷車の下にもぐり込んで車輪に何かが絡んで、それを繕っている男の頬に、地を這って咲いているたんぽぽがくっついた、と詠んでいる句です。寺山が10代の頃の青森で、よく見かけた光景だったのでしょう。ごくありふれた現実を、「たんぽゝに頬つけて」と詠むことで、寺山は、別種の世界へとアウフヘーベン(止揚)させるのです。見事としかいいようがありません。
雨水・桃の節句
三種の神器、日本三景、三位一体、御三家、結婚祝辞の「三つの袋」。三という数字には、めでたさや、集まることの強さのようなものがこめられています。
三という数字は、奇数の中では一番小さな素数、つまり割り切れない数字でもあります。三十三観音、三十三間堂、三々九度、など、この割り切れない「三」を重ねると、さらにこの数字の持つ力が強まります。
桃の節句は、もともとは上巳の節句といって、3月の最初の巳の日に行われるものでしたが、三を重ねることを尊んだのか、3月3日に行われるようになりました。
上巳の節句の宴は曲水宴{きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん)}といわれ、曲水(曲がった水流)に盃を流し、それが流れている間に詩が出来たらお酒が飲める、という行事でした。曲水宴は中国から渡来しましたが、やがて雛祭りという形に姿を変えます。
桃花酒を飲み、室内に雛人形を飾るという雛祭りのスタイルが出来ていくのが室町時代頃ですから、雛祭りもずいぶん歴史を持っています。
当然ながら、長い年月をかけて、地域ごとに少しずつ違うスタイルが出来ていきました。
食べ物の種類もさまざまです。
まぜごはん、まきずし、ちらし寿司。蛤のお吸い物、焼き蛤。しじみ。たにし。浅葱の酢味噌和え。菱餅は、二色だったり三色だったり。桃の花は、枝を花瓶に挿すところあり、花をお酒やお茶に浮かべたり。桃花酒だったり、白酒だったり甘酒だったり。
呼び方も、桃の節句、雛祭り、といったものだけでなく、春の節句、雛の節句、女の節句、おなごの節句、雛飾り祭り、三月の節句、春の節句など、これもさまざまです。
同じ出自の祭りでも、地域が違うことで、その地域ごとに分化して進化をしてきました。それが、マスメディアが登場して、雛人形のテレビCMが流れるようになると、みんなそっくりな「雛祭り」になっていきました。
特定の環境下で最適化をしすぎることを、ガラパゴス諸島の生物進化になぞらえて「ガラパゴス化」などといいます。かつての雛祭りも、メディアという外乱で均質化されてしまったという点では、ガラパゴス化に似ています。
ビジネスでは、ガラパゴス化することでチャンスを失ったり、外部からのライバルに対応できない、というように、悪い意味で使われる言葉です。
けれど、こと生活文化においていえば、ガラパゴス化、大いに結構、みんな一緒じゃなくていいではないですか。
自分の地域の雛祭り、どんなだったか調べてやってみませんか。
(2009年2月24日・2015年02月19日の過去記事より再掲載)