びおの七十二候

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霜止出苗・しもやんでなえいずる

穀雨次候・霜止出苗

霜止出苗と書いて、しもやんでなえいずると読みます。霜が降りるのが終わって、稲の苗が生長する頃をいいます。
霜が発生することを、よく「霜が降りる」と言います。霜は、乾燥した地域の冬の朝によくみられる現象で、散歩のために家を出て、寒さぶるぶると襲われる日、植物の葉や茎、地面、建物や車の窓などに霜が降りています。
霜は、農業に対する影響が大きく、殊に茶業は凍霜害が重大な被害をもたらすことから、お茶の農家が多い静岡では、地方気象台が全国で唯一、遅霜予報(おそじもよほう/翌朝の霜の有無を予報)を行っています。茶業関係者は、遅霜予報を聞いて、防霜ファンの駆動制御やシート掛けなどの対策を講じます。

その霜が消えて、霜止出苗の候をむかえると、稲作農家は、田植えが近づいたことを知り、いそいそと田植えの準備に入ります。初夏の太陽が降り注ぐと、田に水をいっぱい張ります。そうすると、田んぼがたちまちイキイキするから不思議です。
むかし、田植えする娘たちを早乙女と呼びました。
かすりの衣に、赤いたすきを掛けて並んで手植えする姿は、もはや各地の「御田植え祭」で見られるだけになりました。しろかきなどの仕事は男性、田植えは女性の仕事と分けられていました。けれども、田植機の導入が進んで、今や作業の主役は田植機に奪われてしまいました。
早乙女が、足首を田んぼに入れ、股を大きく開いて田植えすると、その狭い「股間」の空間に、みどりが広がります。森澄雄すみお(1919年~)は、そんな光景を、こう詠みました。

早乙女の股間もみどり透きとほる

大地をつかむ足と、股間がズームインされたかと思うと、次には、その向こうに広がるみどりに焦点が合います。苗は、「透きとほる」ように、淡くて、いとしげです。
この「透きとほる」というところに、作者の老いの目が働いているのでは、と思えたりします。股間という言葉が、あまりに刺激的です。けれども「透きとほる」ことで浄化されて、残るのは清新なエロチシズムです。このようなエロチシズムを感じさせる句として他に有名なのは、

おそるべき君等の乳房夏来る

という西東三鬼さいとう さんきの句です。この句を口にすると、「おじさんの妄想」といわれかねないのでイヤですが、この二つの句は見事にリアリズムであって、二人の句は、状態を捉えて正確無比です。
この二つの句の違いは、三鬼の句に、中年の男の目があるのに対して、森澄雄の句は、もう少し枯れている、ということでしょうか。

妹がかぶる手拭白し苗代田

この句は、寺田寅彦の句です。この句は、二人の句ほど露わな言葉で詠まれていませんが、二人の句と同じような清新なエロチシズムが、どこか漂っています。寅彦は、田植えをする若い女性の身体から発せられる、うっすらとした香りを、そこに感じていたように思います。若い女性にとっては、この微細なまでの男の目は、ほとんど鬱陶しいことなのでしょうが……。

森澄雄の俳句を、幾つか紹介しておきます。

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり
枯るる貧しさ厠に妻の尿聞こゆ
おのが息おのれに聞え冬山椒
なれゆゑにこの世よかりし盆の花
水仙のしづけさをいまおのれとす
おのれまたおのれに問うて春の闇
家に時計なければ雪はとめどなし

どの句を詠んでも、濃くて、深い情が溢れています。森澄雄は、「俳人」と呼ばれることを嫌い、「俳人である前に一人の人間でじゅうぶん」だといいます。「妻を愛し、子供を愛し、身近な人と愛し合いながら生きていきたい。それを平凡なおのれの生き方の芯としてきた」のが森澄雄です。
この俳句への態度は、フィリピン・ボルネオでの苛酷な戦争体験が影響しているといわれます。惨憺さんたんたる戦争から還ってきて、もっとも自然な生き方を自己に問うたとき、この境地に達したのだと思います。
澄雄ほど妻を詠んだ俳人は他にないといわれます。その最愛の妻が突然亡くなりました。そして自分も半身不随の病になり、常臥とこぶの生活を強いられます。

窓より無心に天日を仰いでいる

妻の死に際して、その恋しさから詠まれた句です。まるでお経を上げるようにして詠まれた句だといわれます。

文/びお編集部

鳥をみる

鳥の名前を覚えると楽しみが広がりますね祖父江ヒロコ

「びお」編集部の近くには、佐鳴湖という湖があります。周囲が6kmほどの湖です。
満潮時には海水の流入もあるため、汽水性の魚も見られます。
魚を目当てにやってくる鳥も多く、年間を通じて150種ほどの野鳥が確認されています。

「青い宝石」などと呼ばれるカワセミも度々見られ、カワセミ発見の報が新聞に載ったりすると、多くのバードウォッチャーでにぎわいます。

宝石の「翡翠ひすい」は、中国でのカワセミの呼び名でもあり、その羽毛の色から名付けられたといわれています。
「翡」が雄のカワセミ、「翠」が雌のカワセミを指しました。
カワセミの青と、翡翠の緑ではずいぶん違いがあるように見えますが、陽射しや角度、あるいは時代によって色が違ったりしたのでしょうか。それとも、翡翠のほうの色が変わってきたのでしょうか。
日本では、「蘇邇杼理そにどり」と呼ばれていました。「そにどり」が「みどり」になった、という説もあります。やっぱりカワセミは緑だったのでしょうか?

そうした、美しさも鳥の魅力ではありますが、外見だけでない鳥の魅力は、どこかからやってきて、またどこかへ去っていく、ということ。

鳥信仰といえるようなものは、世界の各地にのこされています。
エジプトのホルス神はハヤブサの化身であり、ヨーロッパではコウノトリが赤ん坊を運んでくるとされ、アジアでも鳳凰や朱雀といった瑞鳥が生まれました。日本神話にも八咫烏やたがらすが神武天皇を導いたとされました。全国にある八幡神社の神使は鳩です。鳥は、神的世界と私たちの世界を結ぶメッセンジャーのように考えられてきました。

私たちが、鳥に魅力をおぼえるのは、そういう神秘性や越境性にあるのかもしれません。

先頃、フランスの造園家、ジル・クレマンの著作「動いている庭」の日本語版が刊行されました。
帯には、「一坪里山」等でご一緒している田瀬理夫さんの推薦文があります。

『ジル・クレマンは、「建物が建てられていない部分は、生物に満たされ、動きがある。それが庭の実質である」として、いかなる形にも定められない存在としての庭を夢み、「動いている庭」を見出した』

種子は虫や鳥によって運ばれ、思わぬところから芽を出します。そうして変化したところに、また虫や鳥達がやってきます。

「静的秩序」の庭では、定められた生き物以外が存在するのは無秩序であり望ましくない、と考えられてきました。
「動的秩序」の庭では、思わぬ芽吹きも、そしてそれを求めてやってくる鳥達も、動いている庭の進化の真っ只中にあり、それらを排除することが無秩序だ、という考え方です。

樹木は落ち葉が、鳥は糞が、ということで、都市部の住宅からは排除されてきました。構成する住宅がそんなですから、都市自体が静的秩序に包まれて、固定されています。

クレマンは「人間という媒介者は最良の切り札なのだ」とも言っています。固定された不自然な自然から、現代の花鳥風月を取り戻すための切り札は、私たち自身なのです。

後日追記
ジル・クレマンが来日した際の連続講演会の様子です。

文/びお編集部
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年04月25日・2015年04月20日の過去記事より再掲載)