びおの珠玉記事
第49回
端午の節供は誰のもの?
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2009年05月05日の過去記事より再掲載)
「屋根より高い…」の童謡にもうたわれる様に、鯉のぼりに代表される端午の節供です。
ところが、外を見渡してみても、鯉のぼりが見えない…という風景が、あたり前になってきているようです。
少子化もさることながら、庭のない集合住宅住まいや、一戸建てでも近隣との関係が希薄化してきており、大きな鯉のぼりをあげる、ということは減り、ベランダ用のものが売れ筋だそうです。
最近では、自治会などで古くなった鯉のぼりを集め、広場や川など、公共の場所に掲げるのが報じられることも多く、もはや日本の風景としての鯉のぼりは、「屋根より高い」ではなく、「鯉の群れ」になりつつある、というと言い過ぎなのでしょうが、屋根より高い鯉のぼりを見ることが減っているのは確かです。
一方、家の中に飾る五月人形は、「巣ごもり消費」の傾向か、小型でも凝ったものを求める人が多いようです。例年は徳川家康、伊達政宗の兜が人気のようですが、近年はNHK大河ドラマ「天地人」の影響で、直江兼続の兜も人気だそうです。しかし、どうしてこどもの日に鯉のぼりや兜をかざるのでしょうか? どうして5月5日がこどもの日なのでしょうか?
端午の節供の歴史
「こどもの日」は、1948(昭和23)年に公布・施行された、「国民の祝日に関する法律」で制定されました。その趣旨は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とされています。
実際には、「母に感謝する」という日であることはあまり知られておらず、もっぱら男の子がお祝いされる日になっているという印象です。
どうして5月5日がこどもの日になったのか、その歴史を辿ってみます。
祝日名は「こどもの日」ですが、もともとこの日が「端午の節供(節句)」だったことから制定されました。
端午の節供は奈良時代から行われている行事で、「端」は初めを意味し、5月の初めの「午」の日を指しました。端午は5月以外の月にもありますが、5月5日となったのは、「午」が「五」に通じるためともいわれますが、5月が午の月であったためではないか、という説があります。
「午」は、古代から中国に伝わる五行思想では「火」を意味し、午の月の午の日(5月5日)は火が重なることから縁起が悪いとされ、この穢れを祓うための節供が端午の節供だった、というのです。
こどもの日の話ではありませんが「丙午」も、火の属性の「丙」と、「午」が重なることから、この年に生まれた女性は気が強い、などの迷信が生まれています。
また、端午の節供は古くは「女の家」といわれ、女性の節供でした。
旧暦五月、皐月は、田植えの頃であり、田植えとは、田の神を祀る神聖な行事でした。この重要な役割を担う早乙女が、穢れを祓う植物といわれる菖蒲で屋根を葺いて囲ったり、菖蒲湯に入って禊を行う、ということが、端午の節供の始まりといわれています。
あれ、これでは、端午の節供は、女性の節供ですね。こどもはどこにも出てきませんね。
どうしてこれが男の子のお祝いになったのでしょうか?
女性の節供から、武家の行事へ
端午の節供は五行に基づいた穢れを祓うものだったのですが、鎌倉時代頃から、「菖蒲」が「尚武(武を大切なものと考える気風)」や「勝負」に通じるところから、武家に取り入れられていきました。
武者の絵や武器等を庭先に飾る風習があらわれ、それがやがて家の中に飾られる様になったのが、「五月人形」だといわれています。
また、武家の間では鯉は縁起のいい魚として尊ばれていました。「登竜門」の語源となった、黄河上流の竜門を鯉が上りきれば龍に成る、という言い伝えや、俎板にのせられても堂々としているところなどから、世継ぎである男の子が生まれると、鯉にあやかろうということで、鯉の絵を描いた幟を立てたといわれます。
この幟は、吹き流し型ではなく、幟旗だったのですが、やがてこれが変化して吹き流し型の鯉のぼりが生まれました。当初は紙で出来ていたものが、大正時代頃には錦に、昭和の半ばには合成繊維のものがうまれ、今に至ります。
その他、こどもの日といえば、粽や柏餅が思いつきますが、これらの起源はどうなのでしょうか。
粽の由来
中国・戦国時代の政治家・詩人である屈原(紀元前343年〜紀元前278年)が、主君を諌めたところ聞き入れられず、失意のうちに入水自殺しました。その亡骸が魚に食べられないよう、餌として粽を川に投げ入れたことから、屈原の命日である5月5日に粽を食べて供養する風習が始まったといわれます。
柏餅の由来
柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちないため、こどもが生まれるまで親が死なない、家系が絶えない、ということから、縁起をかつぎ、江戸時代にはじまったといわれます。
これからの「こどもの日」とは?
端午の節供は、神聖な行事である田植えと、縁起の悪いとされる午の月、午の日の厄払いからはじまったものだったのが、武家社会を迎え、男の子を重んじるようになり、「菖蒲」が「尚武」「勝負」という、いわばダジャレで男の節供にされてしまったというわけです。
5月5日は日本玩具協会が「おもちゃの日」としており、鯉のぼりや五月人形とあわせて、「こどもの日」は重要なマーケットのようです。法律上は男の子の節供とはなっていませんから、おじいちゃんやおばあちゃんが、長男だけでなく、次男や女の子にも何かを買ってあげたくなる日です。
また、法律では「母に感謝する」日でもあり、もともと女性の節供だったことからも、もうしばらくすると、5月5日に祝ってもらえないのは、大人の男だけ、なんてことになるかもしれませんね。
それはさておき、「あー、ゴールデンウィークも、あと少しで終わりだなあ…」なんて思っているアナタ! たしかにそれはそうですが、かように5月5日は、古い歴史と多用な由来を持つ日なのです。
本来の趣旨にも思いを馳せ、こどもにも母親にも、収穫(のための田植え)にも感謝の気持ちで過ごす一日にしてみませんか。