色、いろいろの七十二候
第5回
紅花栄・緑の感じ方
楝色 #98D98E
萌葱色 #86A22F
二十四節気の「小満」は、「万物盈満すれば草木枝葉繁る」とされ、いろいろなものが育ち、繁る頃とされています。
七十二候は「蚕起食桑」「紅花栄」「麦秋至」と、みな植物にかかわるものが選ばれています。
あたりを見渡すと、すっかり緑が濃くなっています。
植物の葉の緑色は、葉緑素(クロロフィル)によるものです。
クロロフィルは光の三原色のうち、赤と青の波長の光を吸収し、緑の波長は吸収しにくく、反射されて外に出てきます。緑の波長が反射されるため、植物の葉は緑に見えるわけです。
科学的に「葉が緑に見えるわけ」を説明すると、こんな感じになりますが、それはあくまで人の目で見た時の話。
たとえばモンシロチョウにとっては、葉の緑は、人が見ている緑とはまったく違うようなのです。
人が色を感じ取るのは、網膜の錐状体が、ある範囲内の電磁波に刺激されることを脳が感知するからです。
くだけて書くと、目にある範囲の電磁波が届くことで、脳が色を理解します。
この「ある範囲の電磁波」が、いわゆる可視光線です。
可視光線は、電磁波の中の一部の波長のものに限られます。
可視光線の波長は380nm〜760nm程度といわれています。紫外線はこれより短く、赤外線は波長が長く、どちらも人の目では見ることが出来ません。
モンシロチョウの見ている風景が違うのは、この紫外線が、彼らには見えているからです。モンシロチョウは紫外線の吸収率を見て花を探します。私たちには鮮やかな色に見える花は、彼らにどう見えているのか、確かなことはわかりませんが、花びらと花の基部でも紫外線の吸収率が違っていて、それによって蜜が吸える花を探しているようです。
おどろくことに雄雌の羽根で紫外線の吸収率が違っていて、これによってパートナー選びも円滑(?)に行えるようです。
人の目は、赤、緑、青の三種類の色覚受容体があって、これをもとに「光の三原色」などというわけですが、これはあくまで人の目に見える三原色、ということです。モンシロチョウだけでなくて、昆虫や爬虫類、魚類などはこの受容体が人とは違っています。哺乳類でも、犬や猫は、受容体は2種類で、緑の見分けは人のようには出来ないといわれています。
人の目も、全員が同じように色を見ているわけではありません。
色覚検査では、日本人男性の20人に1人、5%ほどが「色覚異常」と診断されます。女性ではこの率はぐっとさがり、白人になるともう少し率があがるようです。
大多数とは違うから「異常」という言葉が用いられるのでしょう。「色盲」「色弱」などという言葉もありました。どれも違和感がある言葉ですが、日本人だけで見ても、男性の5%がそういう診断をされるということは、裏を返せば「みなが同じように見えているわけではない」ということの顕著な例です。
科学的知見も、ときに変化することがあります。不可視光の紫外線は、日焼けのもとになるものです。
かつては、紫外線にあたる日光浴が推奨されていました。母子手帳にも、日光浴のすすめが載っていました。夏休み明けの小学校では、日焼けコンテストのようなものも行われ、日焼けはいいことだ、とされていた時代がありました。
日光浴によってビタミンDがつくられる、というのも推奨されていた理由のひとつでしたが、いまでは栄養状態も改善されていて、むしろ紫外線による皮膚癌や皮膚のダメージのほうがクローズアップされるようになったのです。
知覚の差は生き物それぞれに違うし、人それぞれで違います。科学的知見も、多くの例からの類推でこそあれ、それが必ずしもすべて自分に当てはまるとは限りません。
シェルター化した住まいに、スイッチ一つ(いや、スイッチのオンオフさえ自動制御かも)で「快適」と定義された環境が、外部の環境にかかわらず手に入る時代です。そんなシェルターにこもっていると、いろいろなことを感じ取る力が弱くなってしまうかもしれません。
でもね、人は本来、外が好きなんですよ。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年05月21日の過去記事より再掲載)