びおの七十二候
第40回
綿柎開・わたのはなしべひらく
処暑は、太陽黄経が150度のときで、暑さが止む、という意味で処暑といわれます。処暑の初候は、綿柎開、わたのはなしべひらくと書きますが、柎とは、花の萼のことで、綿を包む萼が開き始めることをいいます。このときから、綿の果実は晩秋に向けて成熟し、白棉を付けた種子となります。綿の花も実(コットンボールと呼ばれる「朔」)も、とてもきれいですが、身に纏っているものが合成繊維のものが多くなるにしたがい、綿の花が開く季節といわれてもぴんとこない人が多いものと思われます。
この頃を二百十日ともいいます。台風襲来の特異日とされますが、二百十日というのは、立春を起点にして210日目をいいます。お茶の八十八夜も立春から88日目です。ただ、かつての台風と違って、最近の台風来襲は二百十日を無視している、といわれるほど、季節外れの時期にやってきます。また、最近のものはゲリラ型とされ、突発性、意外性、局地・小規模・激甚性、群発性などの特徴があります。ちまたで伝えられるように、地球温暖化の影響があるのでしょうか。
今回の句は、横光利一です。横光利一は、新感覚派の散文家ですが、句もたくさん残しています。この句は、新感覚派の天才と呼ばれた利一の、感覚の鋭さが横溢していて、一瞬のうちに引き込まれるものがあります。利一の散文は、エンゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」に見られるモンタージュ技法に近いものがあります。新感覚派の文学と映画は近くて、川端康成の小説がしばしば映画になったのは、小説そのものが映画的な感覚を持っていたからといわれます。
この句に詠まれた「蔦の骨」とは、何とまあ映像的なことでしょう。
二百十日といえば、夏目漱石に、ずばりこのタイトルの小説があります。
「豆腐屋の癖に西郷隆盛のような顔をしている」といわれる自分と、圭さんと、後には碌さんも加わって、会話だけでストーリーが構成されている小説です。
「どこへ行ったね」
「ちょっと、町を歩行いて来た」
「何か観るものがあるかい」
「寺が一軒あった」
「それから」
「銀杏の樹が一本、門前にあった」
「それから」
「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」
「這入って見たかい」
「やめて来た」
「そのほかに何もないかね」
「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」
「そうさ、人間の死ぬ所には必ずあるはずじゃないか」
と、こういう会話が延々と続きます。話は縦横無尽で、フランス革命の話に及んだりしながら、阿蘇の山に登ることになり、そこで210日の嵐に遭います。
ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。
「おい。いるか」
「いる。何か考えついたかい」
「いいや。山の模様はどうだい」
「だんだん荒れるばかりだよ」
「今日は何日だっけかね」
「今日は九月二日さ」
「ことによると二百十日かも知れないね」
散々な目に遭いながら、翌日も阿蘇に登ります。
「二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している」
という文言で小説は閉じられます。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年08月25日の過去記事より再掲載)