びおの七十二候
第62回
熊蟄穴・くまあなにこもる
熊が「冬眠」のために自分の穴に隠れる時節をむかえました。
地球の地軸が変化し、四季が生まれたことにより、寒い冬を越すために生物は体の機能を低下させて代謝を減らし、寒い冬を乗り越える術を身につけました。
冬眠する動物は、冬眠しない動物に比べると死亡率が低く、また寿命も長いといわれます。秋になって気温が下がり出すと、冬眠する動物は、たくさん食べて身体の脂肪(冬眠物質)を溜め込みます。
この冬眠物質は、まだよく解明されていないそうですが、少しずつ実態が明らかになってきているようです。研究者によると、人体に有効な冬眠物質が開発されると、ひょっとすると人間も冬眠できるようになるかも知れない、ということです。冬眠する動物は寿命が長いといいますから、人間も冬眠すると150歳くらいまで生きられるようになるかも知れない、というのです。
不老長寿は、人類の見果てぬ夢で、手塚治虫の漫画などにもよく描かれた話ですが、生物たちの冬眠にヒントを得て解明しようというところが、おもしろいところです。
専門的にいうと、クマには冬眠はないそうですね。
リスなどは、冬眠に入ると叩いても起きないそうですが、クマは時折目が覚めるようです。だから、ほんとうの意味で冬眠とはいえず、あえていうなら「冬ごもり」というべきです。
クマの「冬眠」は、クマ型冬眠と呼ばれ、小さな物音やにおいなどで刺激されると目を覚まします。とても浅い眠りだそうです。クマの冬ごもりは、この時期エサが不足することと、寒さを逃れるための保身の習性だと考えられています。
クマの出産は、実はこの「冬ごもり」の間に行われます。1月下旬から2月初旬に出産し、授乳するので、メスのクマは、たいそう体力を消耗するそうです。春をむかえる頃には、もうげっそり痩せてしまうそうです。
だけど、動物園のクマは「冬ごもり」しません。エサが手に入るので「冬ごもり」モードに切り替わらないというのです。可笑しくて、これには思わずぷっと吹き出してしまいました。しかし、動物園のクマは冬ごもりできない分、いのちを削っているともいえるわけで、笑っている場合ではないと、次には物悲しくなりました。
冬ごもりしているクマの住む穴からは、糞が見つからないといいます。クマは冬ごもりする前に松脂を食べて肛門をふさいでしまうからです。もしたくさんの糞がでると、それに濡れて冬ごもりしなければならないわけで、その強烈な臭いは外にあふれ出し、防禦上、好ましくありません。それを本能的に警戒してのことなのでしょうね。
しかし、秋に栄養のあるものを食べて、脂肪を溜め込むのだから、腸の中は異常発酵し、血液は汚れ、毒素が身体中に回ってしまう筈です。どうやって、それを避けているのでしょうか。それはクマ笹を大量に食べるからだそうです。
クマ笹には、血液を浄化する作用や、腸内で発生する悪臭物質を除去する作用があります。そうしてまた、クマが「冬ごもり」から目覚めたときに一番先に食べるのもクマ笹だそうです。パンダ(クマ科)も笹を食べますが、笹の効能は高く、人間はそれに目をつけて栄養剤として売っているようですが、マルチまがいの事件があって、何ともあさましく感じられます。クマの糞でも煎じて飲め、というところでしょうか。
さて、今候の句は、人間がナマコ(海鼠)になってしまって、冬籠してしまった、という句です。
という句があって、この二人の句と寺田寅彦の句は、共に自分の無様な姿を重ねて、まるで海鼠とそっくりだと自嘲している点で、よく似ています。
ここで、クマに続いてナマコに寄り道します。
ナマコは、潮間帯から水深数千mの深海底まで生息域を持っていますが、深海で浮遊生活(浮遊性ナマコは寒天質)をしているものもあり、泥中に棲むものや、体表から粘液を分泌してそれに砂をつけ全身が砂で覆われているものもあるといいます。
ナマコは細長い芋虫型で、前端に口、後端には肛門があって、どちらが尾とも頭ともおぼつきません。体表は主にコラーゲンによって覆われています。体壁は柔軟で、伸縮性に富みます。体重の90%以上は水分です。ふにゃふにゃして、つかみどころがないのは、それが理由なのですね。
ナマコは、海底をゆっくりと這って生活します。どうみても無様な動物です。芭蕉や去来の句は、そうしたナマコが生来持つところの無様さを、自分に例えているのです。夏目漱石の『吾輩は猫である』に、初めてナマコを食べた人物の胆力に敬服すべき、という一節がありますが、ナマコを見ていると、たしかに最初に口にした人は、この奇怪なる生物をよく口にしたものだと感心します。
《本草和名》によれば、日本では古くナマコを〈こ〉と呼んでいました。生のものが〈なまこ〉で、火にかけていったものが〈いりこ〉、日に干したのが〈ほしこ〉、卵巣を干したのはナマコの子だから〈このこ〉。〈このこ〉は卵巣を塩づけにして乾燥したものですが、〈このわた/海鼠腸〉は内臓を塩づけにしたものです。三河の〈このわた〉は、越前の雲丹(うに)、長崎の唐墨(からすみ)と並んで、江戸三珍の一つとされました。
さて本ちゃんの、寺田寅彦です。
寺田寅彦は、俳人というより、物理学者、随筆家として知る人が多いと思われます。
物理学者としては、「形の物理学」分野での先駆的な研究を行っていて、「金平糖の角の研究」や「ひび割れの研究」が有名です。よく言われる「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれますが、著書中にその文言はありません。
寅彦には「俳諧の本質的概論」「俳句の形式と其進化」「連句の自立性」「子規の追憶」や虚子や漱石に関する小文があり、芭蕉もよく研究しています。しかし、寅彦その人の俳句となると、まとまったものが見当たりません。「書簡集」「日記」などに散らばっているだけです。
「連句の自立性」では、「この国で純粋に日本固有なものは風呂桶と俳諧である」と書き、俳諧とは何かを随筆にしています。しかし、俳諧とはこれだと言わないのが俳諧という結論になっていて、いかにも寅彦という感じです。
寅彦の随筆に、風鈴について書いたものがあります。もし風鈴が、メトロノームのように一定律のものだったら、およそ詰まらないだろう、と寅彦はいいます。
メトロノームは、一定の間隔で音を刻み、ピアノやバイオリンなど、個人で楽器を演奏、あるいは練習する際に、テンポを合わせるために使う音楽用具です。周期のリズムが正確でなければなりません。これに対し、風鈴は周期のリズムがバラバラで、それは変動する微風を受けて鳴るもので、だから涼しく感じられるのだ、と寅彦はいいます。
近年、この考えは扇風機に取り入れられるようになり、電器会社の技師が、霧が峰に出掛けていって、風向・風速を計り、不定律な風のリズムを、扇風機の運転律に取り入れています。不定律であることが人間の脳に刺激を与え、涼しいと感じさせるそうで、通風によって涼を得てきた日本人の記憶を呼び覚まし、この扇風機はヒットしました。最近では、空調機にもこのやり方が導入されています。
寅彦は、地震学者としても知られていて、関東大震災のすぐあと神奈川県の秦野市を視察しました。秦野の丘陵の一部が幅約200mにわたって陥没して湖になり、震生湖と名づけられ、そこに寅彦の句碑が建立されています。
大地震で山が割れ、川がせき止められて出来た湖に、水すましが水面に浮かんでいる、という句です。巨大な地球内部のエネルギーの放出と、水すましとの対比の妙が感じられ、寅彦らしいと思います。
この震生湖という名前は、寅彦が名づけたといわれますが、寅彦が当地を訪れる前に名前が付けられており、「天災は忘れた頃にやってくる」と同様に、寅彦が名づけたとみんな思いたくて、そんな話が広がったものと推量されます。
という寅彦の句は、にんげんのなまこ、という点に自己省察があって、
と同様に、自嘲する自分の姿を、実に冷静にみています。自然や事物への省察が、自分にも向けられていて、寺田寅彦や久保田万太郎は、やはりいいと思います。久保田万太郎は好きな劇作家で、何か別の機会に書きますね。
最後に、寅彦のほかの句を紹介しておきます。
(2008年12月12日の過去記事より再掲載)