「ていねいな暮らし」カタログ
第33回
これからの「工芸」語りの可能性
——『工芸批評』
今回は、2019年10月に発行された『工芸批評』について触れたいと思います。本書は、銀座で開催された同名の展覧会の図録的な立ち位置で作成されたもので雑誌ではありませんが、「暮らし系ブーム」の分岐点について工芸の観点から読み解こうとしており、その意味で本連載に関係すると言えると思います。それと、前回取り上げた『Subsequence』の編集長である井出幸亮氏も寄稿されていることから、そのつながりでご紹介したいと思います。(長くなってしまったので、2回に分けてお送りします。)
「工芸批評」展は、木工家の三谷龍二氏が監修した展覧会で、工芸誌『工芸青花』の編集長である菅野康晴氏、井出氏、工芸ギャラリー「桃居」を運営する広瀬一郎氏、「工藝風向」を運営する高木崇雄氏、哲学者の鞍田崇氏がテーマに合わせて選んだ「工芸品」を展示した展覧会で、本書はこの方々に加えて美術批評家の沢山遼氏の論考も掲載されています。はじめに、各氏の「工芸批評」にまつわる論考が掲載され、中盤からは展覧会の図録となり、巻末には今日の「工芸批評」に欠かせない本の書評と参考文献も付されるなど、工芸について感覚的な言葉だけでなく、すでに語られている言葉や美術の制度の観点から紡ぎだそうという意気込みが伝わってくるような構成になっています。本書の写真は、『Casa BRUTUS』や『Ku:nel』などでもおなじみの久家靖秀氏です。
三谷氏は作家活動だけでなく、作家同士や作家と使い手とを横につなぐことを意識してこられた方で、「クラフトフェアまつもと」の発足から関わられていた方でもあります。文筆活動も盛んで、自身の著作も多くあります。そんな中、『工芸批評』を作るきっかけとして次のことが語られています。
・「デザイン批評」や「広告批評」があるのに、どうして「工芸批評」がないのか・これまでの工芸は、「直に見る」や「体で覚える」など非言語的な姿勢をとることが多かったが、語りにくいことを語るという努力が必要なのではないか・工芸家たちがそれぞれの制作過程でどのようなことを考えているのかを知りたい一方で、作り手の中には制作や制作物の「外側」を含めて語ることのできる人が少ないかもしれない=客観的な視点をもつ批評の必要
これまで、感覚的に扱ってきてしまった工芸について、可能なかぎり言葉にしてみることで、今よりももっと広い層に向けて工芸を伝えることができるのではないか、という思いから、本書を構想したとのことです。この3点については、私自身は膝を打つような気持ちで読みました。主観的な物言いだからダメ、客観的であるから価値がある、といったことではなく、今ある語られ方と別の見方、語り方を探ることが物を見る上で大事なことであると考えるからです。それは、一つの物を語る方法は一つに限らず、歴史的な背景や市場としての価値、作り手や使い手から見える価値などさまざまな見方があるはずだということが一つ。さらには、すでにある「語り」は使い回されている表現であるかもしれず、もしかするともっと的確に表現できる可能性があり、そこから新たな(工芸の)場が広がるのではないかとも思うからです。
三谷氏をはじめ、「生活工芸」をうたう作家たちは、伝統的な工芸とは別の回路(作品制作や展示の仕方など含め)を開こうとしており、本書もその側面が強く出ていると思います 1。「生活」を前面に出す時に、どのような工芸批評が可能となるのか。次稿で考えてみたいと思います。
生活工芸プロジェクト(2010)『生活工芸 new standard crafts』リトル・モア
―――(2011)『作る力 creators for everyday life』リトル・モア
三谷龍二・新潮社編(2014)『「生活工芸」の時代』新潮社
安藤雅信(2018)『どっちつかずのものつくり』河出書房新社
「生活工芸の思想」http://www.gallery-yamahon.com/talkevent/seikatsutalk1 2019年11月25日参照