色、いろいろの七十二候

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芹乃栄・雪

雪色の動物
こよみの色
小寒
裏葉色うらはいろ #C1D8AC
芹乃栄
縹色はなだいろ #2792C3

切ないまでに美しい曲線を描く西高東低の天気図を見ると、日本海側の人たちの難儀を思います。昨年暮れからお正月に掛けて、そんな日が続きました。
日本海側で雪が降っている時期に、中国の大連を訪ねたことがあります。大連も、同じ曲線の中にあります。けれども、大連は重い雲に覆われていましたが雪は降っておらず、うっすらと残雪があるだけでした。
日本海は、お湯を張った風呂桶みたいなものだと思いました。海面の水蒸気を吸い上げて収束雲をつくり、それに大陸からの寒冷で乾燥した空気がぶつかって雪を降らすのです。 
世界気象のなかで、日本が記録を持っているのは風速と積雪の深さです。宮古島に行ったときに、かの地の風の凄さは聞いており、雪の難儀は、堪忍の人、鈴木牧之すずきぼくしの『北越雪譜』(岩波文庫)に尽きます。江戸時代に書かれた名著です。
雪はつらい存在ですが、しかし穀物の宝庫、越後平野を生んでくれたのも雪です。越後縮えちごちぢみを生んだのも雪です。鈴木牧之は書いています。

雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に濯ぎ、雪上に晒す。雪ありてちぢみあり、さりて越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり、魚沼郡の雪は縮の親というべし

人が、雪を大自然の恵みと考えたときにあの縮が生まれたのですね。

雪で思い浮かべる本は、この『北越雪譜』と、中谷宇吉郎の『雪』(岩波文庫)です。
水が空気中で氷の結晶になったものが雪で、雲の内部でつくられた氷の結晶が降るものが降雪、それが積もったものを積雪というという話から、雪華、六華(花)など、雪の結晶を花にたとえる話に目を開かれる思いを持ちました。そう、シートンの『動物記』を読んだときに感じた、あの興奮と似ています。雪は一時のものです。その雪を、中谷は一心に凝視しつづけたのでした。
中谷宇吉郎は、低温実験室内で雪の結晶を人工的に作ることに初めて成功した人です。中谷は、雪の結晶形はそれが成長するときの大気の温度と水蒸気が補給される度合(過飽和度)で決まることを見出しました。この過飽和度は大きいほど,雪の結晶の成長速度も早くなり、その結果を図にまとめたのが世界に名高い中谷ダイヤグラムです。
中谷宇吉郎の随筆、『冬の華/雪雑記』にこんな一節があります。

夜になって風がなく気温が零下十五度位になった時に静かに降り出す雪は特に美しかった。 真暗なヴェランダに出て懐中電燈を空に向けて見ると、底なしの暗い空の奥から、数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。 それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。 そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれる。(中略) 何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きてくる

「雪は天から送られた手紙である」という、中谷の思いがひしひしと伝わる文章です。

雪にちなむ俳句を四句紹介します。

限りなく降る雪何をもたらすや  西東三鬼
雪はしづかにゆたかにはやし屍室  石田波郷
いくたびも雪の深さを尋ねけり  子規
さらさらと竹に音あり夜の雪  子規

三鬼の雪は、しんしんと降り続く雪です。果てしなく降る雪というのは、想像を逞しくすると恐い話です。まさに「何をもたらすや」です。
波郷は、長い闘病生活を過ごした人で、病室は「屍室」だったんでしょうね。迫りくる死の現実と、雪の透明感、それは生命感といっていい世界との対比が鮮やかです。
有名な子規のこの句は、やはり病床にいる人の句です。子規の不安が痛いほど伝わってきます。いつもの気配と違う外の静けさ。家人が来るたびに、外では雪がどのくらい積もったのかと、子規はつい尋ねてしまいます。次の子規の句も、音に敏感な子規がいます。

文/小池一三

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2011年01月06日の過去記事より再掲載)