色、いろいろの七十二候

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蟄虫啓戸・雪解水

雪解け水
こよみの色
啓蟄
ねこやなぎ色 #D2CC94
蟄虫啓戸
若緑わかみどり#98D98E

西行の春の歌に、

雪とくるしみみにしだくかささきの
道行きにくきあしがらの山

というものがあります。
「雪とくる」は、雪溶けるという意味。「しみみにしだ(拉)く」は、強く踏みしめながらという意味。「かささき」で、風先きのこと。「あしがらの山」は、相模と駿河の国境の足柄山のこと。
解けかかった雪をぎしぎしと踏み固めながら、足柄峠を越えて行くのだけれど、風上に向かう道はとてもあるきにくい、と解すればいいのでしょうか。

山峡の残雪の道を踏み来つる
あゆみ久しと思うしずけさ

この歌は、釈迢空が長野県の遠山郷を訪ねた際に詠まれたものです。遠山郷は霜月祭の村として知られ、また峠を越えて遠江に入ると田楽能の村として知られる西浦(にしうれ)があって、釈迢空はそれらを見にやってきましたが、この歌は、それらと時期がずれています。それだけに、この歌は実感がこもっていていいと思います。
西行のものと、釈迢空の歌は、同じ残雪を詠んでいるのですが、微妙に違います。西行のそれは解けかかった雪なのに対し、釈迢空のそれは、凍てつく残雪という感じで、しんとして寒いけれど、それがこの山峡の歴史を思うのにいい、と詠みます。
西行といえば桜です。西行には桜の歌が230首あるといいます。

願はくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月の頃

桜を詠んだ、西行の最も有名な歌ですが、西行の歌は、桜の絶顛に散ることが意識されています。その極みというべき歌が、

春風の花を散らすと見る夢は
さめても胸のさわぐなりけり

というものです。西行にとってだけでなく、詠み人にとって「花」とは、桜を意味するのですが、西行の残雪の歌は、春に向かう雪解けの道に難儀しながら、桜散る「おのが心」を、どこかで意識しているように思われます。
雪解けの道は、たいがい難儀するものですが、それでも春の兆しを感じさせて、どこかウキウキしたものが溢れています。

雪解や妹が炬燵に足袋かたし  蕪村
雪とけて村一ぱいの子ども哉  一茶
雪解川名山けづる響かな  普羅
雪解や竹はね返る日の表  子規
雪解けの音になじみて菜を洗ふ  貞

23歳のときに放浪の旅に出た西行は、風雅の人と思われがちですが、絶望がいつもつき纏っています。その生涯は謎につつまれているが故に、いつも気掛かりな人です。
最後に、たかだみつみさんの版画に寄せて……。

雪解水光琳笹に奏でをり  風生
文/小池一三

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年03月05日の過去記事より再掲載)