色、いろいろの七十二候
第61回
蟄虫啓戸・雪解水
ねこやなぎ色 #D2CC94
若緑#98D98E
西行の春の歌に、
道行きにくきあしがらの山
というものがあります。
「雪とくる」は、雪溶けるという意味。「しみみにしだ(拉)く」は、強く踏みしめながらという意味。「かささき」で、風先きのこと。「あしがらの山」は、相模と駿河の国境の足柄山のこと。
解けかかった雪をぎしぎしと踏み固めながら、足柄峠を越えて行くのだけれど、風上に向かう道はとてもあるきにくい、と解すればいいのでしょうか。
あゆみ久しと思うしずけさ
この歌は、釈迢空が長野県の遠山郷を訪ねた際に詠まれたものです。遠山郷は霜月祭の村として知られ、また峠を越えて遠江に入ると田楽能の村として知られる西浦があって、釈迢空はそれらを見にやってきましたが、この歌は、それらと時期がずれています。それだけに、この歌は実感がこもっていていいと思います。
西行のものと、釈迢空の歌は、同じ残雪を詠んでいるのですが、微妙に違います。西行のそれは解けかかった雪なのに対し、釈迢空のそれは、凍てつく残雪という感じで、しんとして寒いけれど、それがこの山峡の歴史を思うのにいい、と詠みます。
西行といえば桜です。西行には桜の歌が230首あるといいます。
そのきさらぎの望月の頃
桜を詠んだ、西行の最も有名な歌ですが、西行の歌は、桜の絶顛に散ることが意識されています。その極みというべき歌が、
さめても胸のさわぐなりけり
というものです。西行にとってだけでなく、詠み人にとって「花」とは、桜を意味するのですが、西行の残雪の歌は、春に向かう雪解けの道に難儀しながら、桜散る「おのが心」を、どこかで意識しているように思われます。
雪解けの道は、たいがい難儀するものですが、それでも春の兆しを感じさせて、どこかウキウキしたものが溢れています。
23歳のときに放浪の旅に出た西行は、風雅の人と思われがちですが、絶望がいつもつき纏っています。その生涯は謎につつまれているが故に、いつも気掛かりな人です。
最後に、たかだみつみさんの版画に寄せて……。
(2012年03月05日の過去記事より再掲載)