色、いろいろの七十二候
第70回
葭始生・春霖
二十四節気
穀雨
威光茶 #A8A256
七十二候
葭始生
紅梅色 #F2A0A1
春の長雨は、春霖。秋の長雨は、秋霖。
霖は、ながあめという意味の漢字です。当用漢字に入っていないので、気象庁はこの言葉を用いないで、放送などでは「春の長雨」「秋の長雨」と言っています。
黒川路子
塩見武弘
春霖という言葉は、梅雨ほどの鬱陶しさは感じられず、秋霖のような暗さもありませんが、やや生硬な感じがあります。春霖と菜種梅雨は同意語ですので、こちらの方が春の長雨の感じがよく出ているように思われます。
加藤楸邨
森川暁水
菜の花梅雨といわないで、何故、菜種なのか。菜種は、採油用の油菜です。
冬の寒さを乗りこえて、一雨ごとに若芽が育っていくための実感が、菜種という言葉にあります。春の恵みというのでしょうか。
菜の花だけでなく、色々な花を咲かせる雨ということで、催花雨ともいいます。杏花雨も、木の芽梅雨も同じです。
秋山牧車
「下品やさしく」は、人と人とのかかわりをいい、「上品つよし」は、天地自然の神仏の教えをいいます。春の雨には、恵みの雨がみちみちています。
しかし、最も耳に馴染んでいるのは、やはり春雨でしょうか。
蕪村
保科その子
蕪村の句は、思わずニヤリとしてしまいますね。奈良の宿に泊まると、今でもそんな感じがあって、京の木屋町あたりの宿と、何故か違うのです。
保科その子の句は、木々の成長と同じ意味合いですが、一角獣は犀を意味していて、犀の角が伸びていく力強さを表わしているところが愉快です。
春時雨ともいいます。
小林清之介
山頭火に「うしろ姿をしぐれていくか」という句があります。この時雨は、冬の時雨です。雲水の果てのなさを感じさせて、寒々としています。小林清之介の句と比べると、その相違は、あまりに明瞭です。
春雨の向こうには、明るい菜の花が似合います。
久保田万太郎
木下夕爾
長谷川逝水
蕪村
菜の花の咲く頃、日は西に傾き、月は東に出ています。
五七五の17字で、天体と地上で繰り広げられる世界を詠んでいる点で、芭蕉の、「荒海や佐渡に横たふ天の川」と双璧をなす、大きな句だと思います。芭蕉が、佐渡を臨む出雲崎に立った日は大雨でした。芭蕉は、想像でこの句を詠んだのでした。蕪村はどうだったのでしょうか。
(2012年04月20日の過去記事より再掲載)