色、いろいろの七十二候
第98回
鶺鴒鳴・トンボ
二十四節気
白露
素色 #EAE5E3
七十二候
鶺鴒鳴
珊瑚色#F5B1AA
秋の気配が近づいてくると、どこからともなく赤トンボがやってきます。
赤トンボ、と呼ばれるトンボにも多くの種類がありますが、その代表種といえるアキアカネは、なんとも不思議な習性を持ったトンボです。
一般のトンボは、羽化後1〜2週間程度で繁殖活動をはじめ、産卵し、羽化から1〜2ヶ月程度の短い成虫の寿命を終えます。しかしアキアカネは、梅雨時に羽化した後に、繁殖活動をすることなく、高山へ避暑に出かけてしまうのです。
アキアカネは、もともとヨーロッパから中国北部に分布するタイリクアキアカネを先祖に持つといわれています。こうした地域に比べて暑い日本の夏を、避暑地で乗り切ったあとに恋の季節だなんて、なんだかエレガントなトンボだなあ、などと思いますが、実状はもう少し複雑なようです。
多くの昆虫が卵で越年します。ある条件下では休眠状態になっていて、孵化のタイミングが来ると目覚めて成長を始める、というケースがよくみられます。
しかしアキアカネの卵は、あまりしっかりした休眠性をもっていません。夏の高温時には、その休眠がなくなり、卵は育ちやがて孵化してしまいます。アキアカネが羽化後、他のトンボのようにすぐに繁殖活動をしていたら、幼虫はみな秋口に孵化してしまい、冬を越すことができなくなってしまいます。そうしないために、アキアカネは涼しくなるまで繁殖を我慢しているのです。
実際に、夏の温度がそれほど高くない北海道では、アキアカネも夏に産卵しています。タイリクアキアカネも、夏に繁殖するトンボです。本州以南のアキアカネだけが、秋の田んぼに訪れてくるのです。
アキアカネは、黄金色に実った稲穂によく似合います。もともとアキアカネが多く見られるようになったのは、水田という生息場所がうってつけだったのでしょう。水田で羽化し、避暑から戻った後は、また水田に戻ってきます。
三木露風作詞・山田耕筰作曲
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑の実を
小籠に摘んだは、まぼろしか
十五で姐やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿の先
「砂川闘争」は、1955年から在日米軍の飛行場拡張に反対して行われた住民運動です。この闘争で、警官隊と市民が衝突寸前になったときに、市民側から「赤とんぼ」の合唱がはじまり、衝突は回避されたといいます。このとき市民側にも景観側にも、恐らく同じような風景が浮かんでいたでしょう。
額賀誠志作詞・平井康三郎作曲
とんぼの めがねは
水いろ めがね
青いおそらを
とんだから とんだから
とんぼの めがねは
ぴか ぴか めがね
おてんとさまを
みてたから みてたから
とんぼの めがねは
赤いろ めがね
夕焼雲を
とんだから とんだから
「とんぼのめがね」の作詞者は、無医村だった福島県広野村に内科医院を開業した額賀誠志。創作活動を休んでいた額賀は、以下のように心情を語り、創作を再開します。
『戦後日本の子どもたちは、楽しい夢をのせた歌を歌えなくなった。子どもが、卑俗な流行歌を歌うのは、あたかも、煙草の吸いがらを拾ってのむのと同じような悲惨さを感じさせる。私が久しぶりに、童謡を作ろうと発心したのも、そうした実情が余りにも濁りきった流れの中に置き忘れられている現状である。しかし、私は子どもたちを信じ、日本民族の飛躍と将来とを堅く信ずる。この子どもたちが、やがて大人になる頃には、おそらく世界は自然発生的に、その国境を撤廃し、全人類が一丸となって愛情と信頼と平和の中に、画期的な文明を現出する時代が来るであろう。その時に当って、若い日本民族が世界に大きな役割を果たすことを信じ、いささかなりとも今日子どもたちの胸に、愛情の灯をつけておきたいのである。』
果たして額賀の思いが今の世に生きているかと考えると、申し開きが出来るような時代とはとてもいえません。額賀の過ごした広野村は今、福島県双葉郡広野町として、原子力災害に苦しむ日々が続いています。
とんぼの歌を聞いて思い浮かべる風景は、ある時代のノスタルジーかもしれませんが、「子どもたちの胸に、愛情の灯をつけておきたい」、これこそが、大人の最大の役目ではないでしょうか。
(2013年09月07日の過去記事より再掲載)