森里海から「あののぉ」
第13回
泊り屋
前回紹介した茶堂とよく似た「泊り屋(とまりや)」と呼ばれる小屋が高知県宿毛市郊外に点在しています。
この地区では幕末から明治にかけて、泊り屋を建てて若い衆が宿泊する風習があったそうで、かつては百八十箇所も存在していたといいます。今では芳奈地区に4箇所を残すだけとなったようです。
泊り屋は別名やぐらともいわれ、戦国時代の一村一域の頃、見張りのために建てられたやぐらがその起源であると言われているようです。そのためか、すべて集落の入口か中央の見晴らしの良いところに建てられていたようです。
この泊り屋は、集落の警備や若衆の夜なべ、娯楽、研修、あるいは社交の場となり、幕末以降全盛を極めましたが、明治末年頃より夜学が盛んとなって、床の低い公会堂に改築され、あるいは風紀を乱すという理由でつぎつぎと取り壊されていったようです。(芳奈の泊り屋 立て看板より)。
芳奈地区に残る4つの泊り屋のうち「浜田の泊り屋」は、その機能及び建築様式において、最も代表的で重要なものである(文化庁データベース)として国指定の重要有形民俗文化財となっています。
浜田の泊り屋は、九尺四方、木造高床式の平屋建てで屋根は入母屋造り桟瓦葺である。明治十四・五年頃の改築で、四隅には根の張った自然木を踏ん張らせ、下部に比して部屋は小さくし、屋根の勾配をゆるく、軒先には僅かに反りをもたせ、いかにも美しく、しかも安定した風格のある姿で、幡多の各地にあった泊り屋の中でも最高クラスのものである。他三カ所の泊り屋もすべて木造高床式平屋建てで一間半に二間、下組の泊り屋は柱も自然木を使い、屋根は切妻、杉皮葺で明治中期頃のもの、靴抜と道の川の泊り屋は柱も四角、屋根は瓦葺きで明治末と大正初期のものである。(芳奈の泊り屋 立て看板より)
他三カ所の泊り屋もそれぞれ「高知県有形民俗文化財」の指定を受けています。
宿毛に今も点在する(かつては百八十箇所も存在したという)独特の土着建築「泊り屋」。存在感のあるこのユニークな小屋は、この地域独特の風景を作っています。地域の風景と建築、この小さな小屋は現代の建築のあり方に少なからず問題提起をしているように思えてなりません。
街の風景の中にどうあるべきか・・・それもまた建築の重要な役割なのだと再認識するこの頃です。
※ 本連載は、菅組が発行する季刊誌『あののぉ』で著者が連載している内容を転載しています。