よいまち、よいいえ
第6回
兵庫県神戸市北区長尾町上津
住宅団地丘陵下に見つけた里の姿
今回は関西のいくつかの地域を歩いた。絵にしたのは、ここに紹介した上津の他に、茅葺の里として知られる京都府美山や、舟屋が海岸際に連続する京都府丹後半島の伊根の街並み、兵庫県城崎の川際の姿、茅葺の集落を再現したかのような旧但東町(現兵庫県富岡市)小谷の町営住宅団地の家並み、嵐山の大河内山荘から俯瞰した京都の市街地などだ。その中で観光化しておらず、人知れず、現在も生き続けているこの小集落の姿を選んだ。
神戸住宅博覧会会場の奥の中世の茶臼山城跡を下ってすぐに田畑と一体した茅葺の家や、堤下の農家の姿も見つけ描いてみたが、更に行くと茅葺現役の農家があちこち見られた。その中の一つ、小川沿い山側がこの場だ。西側すぐには、熊野神社があり、北側は森、南側に降りた手前には、水を張った田があった。茅葺を鉄板で葺いた家もあるが、屋根の上には、千木や雪割りも造られ、姿の再現への努力も感じられた。周辺の他との空間の繋がりとともに、時間もつなげているのだ。首都圏などのいくつかの住宅団地丘陵の下の農家を探し周ったこともあったが、点的なわずかの状態だった。これだけまとまって、いろいろな里の風景に出会えたのは初めての経験だった。
最先端はシェアのデザイン
境のために関係が切れる
良い繋がりは、良い風景も作る。今の家づくりではどうか。戦後つくられた建築基準法では、宅地に造られる家は、敷地境界を明確にして、車も通れる接道条件を満たさねばならない。それは、郊外に自動車の通れる道路を造り、その道沿いを敷地割して市街地とする分譲型をモデルとして、良い住環境とし、開発によって土地売買から、建設産業、自動車産業、家電産業、運輸産業など様々な経済成長につながる政策と合致していたともいえるが、しかし、敷地境が関係を切り、紛争を招くこともある。問題は、新しい市街地ばかりではない。その法の以前に造られた城下町や猟師町などのかつての市街地は、道も自動車通行以前の大八車通行程度の道幅が多く不適合となる。したがって建て替えが難しくなった家も出てくる。
かつて隣と相互に仲よく通行等が行えた場も、敷地境界を明確にしなければならなく、紛争の種ともなる。不便や災害などにともに支えた付きあいも険悪になる。個別の火事ならば消防車も来るが、大災害となれば互いの助け合いが頼りとなるのだが。境づくりが喧嘩の許になるのは、子供どうしの机の使い方に例えてみても、お互い様を譲らず境界線をはっきりさせた途端に、「越えた」「越えない」の論争になる。個の確立は大事だが、これからは、同時に境をお互いにどう共通に対処できるかが問われるのだろう。
自己顕示と差別化からの卒業
区枠された中で、家を建てるとすれば、隣人が誰かもわからない、地域での生活体験がないのが普通だ。だから、まずは自己や家族の夢の実現だろう。それをサポートする設計者や専門家は、その夢をより良く具体化しようとする一方、職能としてライバルを超える特色やパーソナリティも時として必要となる。だから、地域や隣人との関係よりも、競争に生き残るためには、差別化のデザインを目指すことになりがちだ。
デザインや考え方を切磋琢磨する国際的イベントでもある万博は、2015年「地球に食料を、生命にエネルギーを」をテーマにイタリアのミラノで開かれた。区画された場で、国々によって様々な展開が見られたが、多くは自国をアピール、際立てようとする姿だった。ロシアや中国のパビリオンは、建物周りを衣で覆ったような目立つデザインで、テーマについては、従前や最近の延長上の内容だった。一方、デザインや考え方の先駆けをしているオランダのメイン会場は、疲れや暑さの中で休息できる広場が主役で、池と周りに様々なキッチンカーを配し、キーワード「シェア」を掲げていた。国土は、日本の九州程だが、世界第2位の農業輸出高の実績あるオランダとしては、農は更に先を見せて、メインパビリオンから外れた場所では、バイオエネルギーの実践の紹介と、その農業機械の展示があった。個々の差別化のデザインはもうとっくに卒業で、社会的に意義のある農の実践の公開とシェアの場づくりがデザイン姿勢の本質であると問いかけているように感じた。
農や里とのつながり
農を忘れた都市のエゴの問題が問い沙汰されてから久しい。自分の連れ合いは岩手の農家の生まれだから毎年の訪問や、子供が小さい時は長野の山村と都会の親子の交流催しの継続、大学教員時代は学生を募って里での家造りの体験学習など行ったが、そばの刈り取りなど農作業の真似事もすぐにやめたくなり、手伝わず、まったく農的センスは皆無だ。都会に居るそんな自分が、農や里を語る資格はないのだが、わずかでも思い出や繋がりを持てたことは幸せだと思っている。
あちこちのニュータウンでも、周辺の里の案内や催しも盛んになっている昨今だが、生活や豊かさの在り方や分かち合いの本質を自ら問いかける機会になる。住まいが里近くならば、日常にその機会があるのだろうが、ビルに囲まれた都心地域に生活の場を置く者としては、どうすれば良いのだろうか。共同出資で建てた建物屋上に、畑をと目論んだこともあったが、合意形成には至らず、今のところ屋上庭園程度の実践でしかない。
シェアの実績へ向けて
学生時代からの土地の利用のシェアがテーマだった。例えば、住宅設計では、土地境界区分から離れて、面積の持ち分に応じた合理的区分と同意したルールによって、互いに従前の区分よりは、良くなる提案をし、卒業時には小広場的な場ができる新たな区分の提案もしてみた。いずれも地権者や、当時の町長さんや役所の方々とも話す機会も得たが実現はしていないが、その後、地区計画的なルールづくりの実践や街並み形成のお手伝いや共同出資事業の機会の経験を得た。そして、ここ10年は、防災とともに利のある総合的な地下基盤構想や、記念広場構想、また3.11の経験では、臨海部の環濠的市街地構想などの共同出資事業の実現を問いかけている。
道はまだまだだが、先の見えない時代の中、農業や水産業もこれまでの縦割りの無駄や不合理が問われている昨今だから、生き残るためには、従前の区分を超えたシェアが必要となろう。これからを見出すためには、古くから今に存続している里や街にあるわかち合った知恵やルールや、ある種のシェアを知っていくこともヒントになるに違いない。
(2016年07月07日の過去記事より再掲載)