びおの珠玉記事

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麦秋―夏に向けて、麦に注目

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2010年05月21日の過去記事より再掲載)

小麦畑
二十四節気の「小満しょうまん」に入りました。
小満とは、万物がしだいに生長して天地に満ち始める、という意味です。
もともとは、麦の穂が実り、少し満ちてきたということをさしていたそうです。

この頃になると、山野は緑に満ち、農家では田に苗を植える準備などを始めます。
また、小満の七十二候の初候・次候には、卵からかえった蚕が桑の葉を食べ始め、紅花が盛んに咲く、とあります。

そして、小満の七十二候の末候は、「麦秋至むぎのときいたる」です。
江戸時代、文化5(1808)年に刊行された『改正月令博物筌』には、「小満の日を麦生日といふ。晴天なれば麦大いに熟す」とあります。
小満は、麦の季節でもあるのです。
麦の穂が熟し、麦畑は黄金色に色づきます。

古くからの大切な食糧

日本では古くから、麦は五穀のひとつとして、米に次いで大切な食糧でした。
(五穀とは、米・麦・あわ・豆・きびまたはひえのことをいいます。)

日本へ麦が伝わり、栽培が始まったのは、弥生時代だといわれています。大陸の農耕技術とともに、朝鮮半島から伝わりました。

「古事記」(712年)には、「牟岐」として麦が登場し、五穀や養蚕の起源として次のような話が書かれています。
――スサノオノミコトがオオゲツヒメに食べ物を求めたとき、オオゲツヒメは鼻や口、尻からさまざまな食材を取り出して、調理した。それを見たスサノオノミコトは、汚い物を食べさせようとしたと思い、オオゲツヒメを殺してしまった。すると、殺されたオオゲツヒメの体から蚕・稲・粟・小豆・麦・大豆が生まれた。カミムスビノカミがこれらを取らせて五穀の種とした。

小麦

麦は、水田で育てる稲(米)とは違って、畑でつくることができます。
そのため、丘や台地など水を引きにくく水田にできない土地でもつくられましたし、また、秋に米を収穫した後の田に種をまき、冬を越して、初夏に取り入れる方法(二毛作)でもつくられてきました。

昔から、麦と菜種なたねは代表的な冬の作物として、日本の田畑を守ってきたのだそうです。
冬、畑に何もつくらないでおくと、特に太平洋側では、強い風で、作物を育てるのに大切な畑の表面の土が飛ばされてしまったりするのですが、麦や菜種を植えることによってそれを防ぎました。
また、春に麦の間に野菜を植えると、麦が寒さから守ってくれ、生育がよくなりました。
そして、収穫後の麦わらは、敷きわらや堆肥の材料になって土をよくします。
春になって麦が青々と茂り、菜種の黄色い花が咲くと、それは見事な景色だったのだそうです。

麦の栽培時期

日本での麦の栽培は、もちろん地域によって異なりますが、秋から初冬にかけて種をまき、冬を越して、初夏に収穫する、というのが主です。
秋まきの麦は、冬の低温の時期を過ごさないと、穂が出ないという性質があるのだそうです。

小麦は寒さや乾燥に強い植物で、小さな葉を出して冬を越しますが、冬の間はあまり伸びません。
暖かい春になるとぐんぐん伸びて、5月頃には穂に花をつけ、実を結びます。
実が熟してくると、穂は茶色になり枯れ始めます。
そして、小麦が熟す頃、稲の田植えの時期を迎えるのだそうです。

麦のおおよその栽培時期を地域ごとに見てみると、次のようになります。

地域 種まき 収穫
北海道春まき 4月 8月
東北・北陸 9月 7~8月
東北・北陸 9~10月 6~7月
関東 11月 6月
東海・近畿 11月 5~6月
中国・四国 11~12月 5~6月
九州 11~12月 5~6月

『そだててあそぼう[7] ムギの絵本』(吉田 久 編、農山漁村文化協会、1998年)より

5~6月頃にかけて、(北海道を除く)多くの地域で麦の収穫が行なわれるようです。

麦秋

この初夏の麦の刈り入れの季節を、「麦秋」または「麦の秋」といいます。
いずれも初夏の季語です。「麦秋」は陰暦四月の異名でもあります。

「麦秋」は一般的には「ばくしゅう」と読むことが多いかと思いますが、「むぎあき」とも言います。
「あき(秋)」と聞くと、春夏秋冬の秋、季節の秋を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
しかしこの場合、「あき(秋)」は、さまざまな穀物が成熟する時、収穫の時を意味しています。
口語では、「秋」とは元来、収穫を祝う田の神祭に関係した言葉で、季節の秋の意味は二次的なものなのだそうです。

「麦の秋」「麦秋」という言葉は、それで、初夏なのに「秋」と言うのですね。
「むぎあき」に対して、稲(米)の取り入れ時を「こめあき」とも言うのだそうです。

麦の種類

さて、一口に「麦」と言っても、いろいろな種類があります。
日本では、小麦・大麦・燕麦えんばく・ライ麦を総称して「麦類」と言っています。

また、日本で多く食用にされている小麦・二条大麦・六条大麦・裸麦はだかむぎを「四麦よんばく」と言うことがあるそうです。
これらが、どのように食用にされているか、見てみましょう。

 
小麦

小麦は実の外側の皮がかたくて、水を吸いにくく、皮を取り除くと中の実が崩れてしまうため、粉にして食べます。すりつぶして粉にし、ふるいにかけて、皮(ふすま)などを取り除きます。
ふすまは家畜の飼料になります。

小麦にはいろいろな性質の品種があります。
原料の小麦によって、小麦粉は大きく強力粉・中力粉・薄力粉に分けられ、用途に応じて使い分けられます。

こうして小麦の大部分が小麦粉となり、パン、麺類、お菓子などに用いられています。

パンは、食パン、ロールパン、調理パン、菓子パン…言わずもがなですが、実にいろいろなパンがあります。ピザの生地も小麦粉からできていますよね。

麺類は、うどん、そうめん、中華めん(ラーメン、焼きそば)、パスタなど。
蕎麦も、ねばり気を出すために小麦粉を混ぜることが多いです。

天ぷらやから揚げにも小麦粉をまぶしますし、お好み焼きやたこ焼きにも小麦粉を使います。
餃子やワンタン、中華まんの皮などにも小麦が使われています。
お麩もそうです。

お菓子についても、ケーキ、クッキーなどのさまざまな焼き菓子、カステラ…等々。
さらには、洋菓子だけでなく和菓子も。まんじゅうの皮も小麦からできていますね。

こうしてみると、私たちは毎日、何かしら小麦を食べているのではないか、という気がします。

二条大麦
主にビール、焼酎、ウイスキーなどの原料として用いられます。
ビールやウイスキーは、大麦を発芽させたもの(麦芽)を使ってつくります。

枝豆とビール

六条大麦
主に麦ごはんや麦茶に使われます。
また、醤油や味噌、麦こがし(はったい粉)などの原料ともなります。
麦ごはんは、蒸した大麦の粒を押しつぶして乾かした「押し麦」を米に混ぜて炊くことが多いです。
麦茶は、大麦を炒ったものです。

裸麦
大麦の一種で、脱穀すると簡単にえい(穀粒を包んでいる皮)がとれることから「裸麦」と呼ばれています。
主に麦ごはんや麦みそに使われています。

麦味噌

その他、燕麦はオートミールや朝食用のシリアルなどに、ライ麦はライ麦パン(黒パン)、ヲウォッカ、ウイスキーなどに用いられます。
大麦、燕麦、ライ麦は、家畜の飼料としても重要です。

こうして見てみると、麦が私たちの食生活に欠かせない、とても身近で重要な存在であることに、改めて気づかされます。

麦の自給率

昨今、食料自給率の問題が叫ばれていますが、私たちの食生活に欠かせない麦も例外ではありません。

2008年の自給率は、小麦14%、大麦10%、裸麦123%、大・裸麦計11%です。
裸麦(大麦の一種)については単独で見ると数値は高いのですが、大麦と裸麦を合わせた自給率は11%となっており、小麦と状況はあまり変わりません。裸麦単独での需要が少ないということでしょう。

麦の自給率は、1960(昭和35)年から2008(平成20)年にかけて、次のように推移しています。

麦自給率の推移

かつて、小麦は40%を、大麦は100%を超える自給率、という時代があったのですね。

私たちの生活に特に関わりの深い、小麦について見てみます。
かつて、日本では小麦の生産がさかんでした。水田の裏作として、多くの地域で栽培されていました。
麦も米と同じように「麦価ばっか」が政府により決められ、それに従って取引されていました。

しかし、戦後、麦価が低く抑えられたため、麦をつくる農家が減り、生産量が減少していきました。米に比べ、麦については保護にあまり力が入れられませんでした。

また、戦後、私たちの食生活の変化に伴い、小麦の消費量が増大しました。それと同時に、安い小麦が大量に輸入されるようになり、日本の小麦生産は壊滅的な状態に陥りました。
パンやパスタの原料となる強力粉用の小麦の栽培は、日本の風土に適していなかったということもあったようです。

そして、自給率が少しずつ低くなっていきました。
最もひどい時期には4%に落ち込みました。
しかし、1978(昭和53)年を境に回復し始め、その後は10%前後を推移しています。

近年では、小麦の生産量や自給率は少し増えてきています。
減反政策を背景に転作が奨励され、農家が水田に麦や大豆、蕎麦など、米以外の穀物を栽培するようになったのが理由の1つとされています。現在では、小麦の生産は、畑作のほか、稲からの転作(表作)が中心です。
また、輸入された小麦にはポストハーベスト使用の不安などもあり、食の安全に関心が高まる中で、国内産の小麦を求める消費者の声も強くなっています。小中学校の給食にも、国内産小麦を使ったパンや麺類を導入する動きが出てきているそうです。

しかし、それでもまだ小麦の自給率は14%程度です。

▼参考
農林水産省 日本の食料自給率
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html

夏に向けて、麦茶に注目

さて、5月も下旬、暖かくなり新緑も目に眩しく、季節はだんだんと夏に向かっていることを感じるこの頃です。

夏に飲むものといえば、麦茶ですね。(ビール、と思われる方もいるかもしれませんが…。)
大麦を炒ったものを煎じて作る、夏の飲み物です。
茶色で、独特の香ばしい香りと、すっきりしていて飲みやすいのが特徴です。

麦茶

日本では、大麦を炒って飲料にする風習は、緑茶が普及するよりずっと古くからあったといわれます。「麦湯」と呼ばれ、戦国武将たちも好んで愛飲していたそうです。
江戸時代末期には、町人衆の気軽な飲み物として、街頭で売られていたようです。『寛文見聞記』には「夏の夕方より町毎に麦湯といふ行燈を出し、往来へ腰懸こしかけの涼台をならべ、茶店を出すあり、これも近来のことにて昔はなかりし也」と書かれています。
また、炒り麦(麦茶)を買って、家庭で麦茶をつくるようになったのは明治中頃からだとされています。

それでは、麦茶が夏に飲まれるのは何故なのでしょうか。

まず、原料である大麦は初夏に収穫されるため、とれたての新麦を炒って麦茶にして飲むのがおいしい、ということが挙げられるでしょう。

また、

  • 香ばしい香りとすっきりした味わいが暑い夏に好まれる
  • 刺激の強いカフェインやタンニンを含まないため、赤ちゃんからお年寄りまで誰でも、また眠る前にも安心して飲める
  • ミネラルや食物繊維が豊富に含まれている
  • (他のお茶も同様ですが)清涼飲料水と違い、保存料・甘味料・酸味料・香料等の添加物が一切含まれていない

これらも、麦茶の魅力です。
そして、麦茶には体を冷やす働きがあるので、暑い夏の水分補給にぴったりだと言えます。

さらに、近年、麦茶には、胃の粘膜を保護する作用、血流を改善する効果、発ガン性物質を消去する効果、抗酸化作用などがあることがわかってきました。

さて、家庭で麦茶をつくる際、かつては粒の麦茶が使われていましたが、現在ではティーパックのものを使うことがほとんどではないでしょうか。
パックの中には、砕いた大麦が入っています。

パックの麦茶は、粒のものと比べて、香ばしさや香り、うまみが落ちる傾向にあるようです。
香りについて言うと、粒を砕くときに摩擦熱で香りが飛んでしまう、砕いた後も空気に触れる面積が大きいために香りが逃げやすい、ということがあるようです。
そう聞くと、粒の麦茶が気になります。

ちなみに、6月1日は「麦茶の日」です。1986(昭和61)年に、全国麦茶工業協同組合によって定められました。
6月は麦茶の原料である大麦の収穫が始まる時期であり、麦茶の季節の始まりでもあることから、6月はじめのキリの良い日を記念日としたのだそうです。

夏に向けて、麦ごはんに注目

麦ごはん

麦ごはん(七分搗きの米に押し麦を混ぜて炊いたもの)

次に、麦茶と併せて、麦ごはんにも注目したいと思います。
麦ごはんは季節を問わず食べるものではありますが、やはり新麦の季節ですので。

俳人の高木晴子さんは「ちょっと黒っぽく炊き上がった麦飯の蓋を取った時の匂いは、やはり夏の思い出につながっている。」と書いています。

麦ごはんにして食べるのは、大麦です。
大麦は食物繊維、ビタミンB1やB2、カルシウム、鉄などを豊富に含んでいます。
消化器系の機能を高め、消化吸収を助ける作用があるので、便秘予防や食欲増進の効果が期待できます。大麦自身が消化酵素を含んでおり、非常に消化がよいのも特徴です。
そして、体内の熱を鎮め、口の渇きを止める働きもあるとされます。夏に食べるのに適していると言えるでしょう。

以前は、調理の手間がかかる大麦は敬遠されていましたが、現在では炊きやすく加工された「押し麦」や「丸麦」などが浸透したこともあり、大麦の豊富な栄養が改めて見直され、注目されています。

押し麦は蒸した大麦の粒を押しつぶして乾かしたもの、丸麦は精麦したあと縦二つに割ったものです。
麦だけで炊いて食べてもいいですが、これらを米に混ぜて炊くことが多いようです。

日本人は昔から、穀類をそのまま煮炊きする粒食の食文化を持ち、これを主食としてきました。
穀類は重要な栄養源として、生きるために欠かせないものでした。
昔、農家の多くは米を作っていましたが、米は貴族や上流階級の食べ物でした。一般庶民は盆や正月などのハレの日に米を食べる程度で、普通は麦、稗、粟、黍、蕎麦などを食べていたといいます。これらは一般庶民の食物として定着する一方、健康食としての一面も持っていました。
ちなみに、徳川家康も、健康のために麦飯を好んで食べていたそうです。

米が一般に多く食べられるようになったのは、明治以降のことです。

明治時代、海軍の軍医であった高木兼寛は、当時軍隊内部で流行していた脚気かっけの撲滅に取り組み、ある種の栄養素の欠乏が原因だと考えて、軍艦の乗組員に白米の中に大麦を入れた麦飯を食べさせたところ、長期の航海でも脚気の発病者が一人も出ず、海軍は脚気の撲滅に成功したのだそうです。
このことにより彼の予防法が広く世界に認められたのですが、その後、ビタミンが発見され、脚気はビタミンB1の欠乏により起こることがわかりました。

私たちが今、普通に食べている白米だけでなく、古来より大切にされ食べられてきた栄養豊かな麦、そして玄米や雑穀を、改めて見直し、毎日の食事に取り入れてみませんか。

新麦がとれ、暑くなり体力を消耗するようになるこれからの季節は、麦を食べ始める絶好の機会かもしれません。

▼参考
楽しく学ぼう大麦のこと「大麦探検島」 大麦食品推進協議会
http://ohmugi-tanken.com/
*麦ごはんだけでなく、大麦を使ったいろいろなレシピも掲載されています!

参考資料
・そだててあそぼう[7] ムギの絵本(吉田久 編、めぐろ みよ 絵、農山漁村文化協会、1998年)
・調べてみよう わたしたちの食べもの② 小麦(板倉聖宣 監修、小峰書店、1999年)
・これからの食料生産 とれたて産地情報① 米・麦・大豆(高橋永一 監修、文研出版、2004年)
・自給力でわかる日本の産業 第2巻 小麦・野菜はどこからくるの?(学習研究社、2009年)
・日本大歳時記(座右版)(水原秋櫻子ほか 監修、講談社 編、講談社、1983年)
・日本型食生活の復権!玄米・雑穀のご飯とおかず(小林節子 著、グラフ社、2001年)