びおの珠玉記事
第210回
日照権の日
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2015年06月27日の過去記事より再掲載)
1972年の6月27日は「日照権は法的に保護するのに値する」と最高裁が判断した日です。弁護士の五十嵐敬喜さんによって日照権と通風件が主張され確立した裁判として知られています。
日照権は、憲法25条(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。)や憲法13条(すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。)に根拠を求める権利です。
日照関連の問題は、大きくは建築基準法による規制と、いわゆる日照権の2つにわけられます。
前者は建物の斜線制限、日影規制などによって高さを規制していて、これに違反している場合はそもそも違法建築となります。
建築基準法上は遵法でも、周辺で日照が奪われて権利が侵害された、という場合に日照権という概念が使われます。
ただこれも、日照が減ったら全て日照権を盾に要求が通るか、というと、必ずしもそういうわけではありません。日照権の係争では「受忍限度」という言葉が使われます。
「受忍」とは、またなんとも仰々しい言葉です。不利益・迷惑を受けても耐え忍ぶ、という言葉で、まことに日本らしいといえばらしいのですが、受ける側にしてみると、忍べと言われても、なぜ自分が悪いわけでもないのに我慢しなければならないのだ、というものです。
一方で、加害者(日照権の場合は、影になる建物を作る側)からすれば、ルールを守って作るものだからいいではないか、という言い分があります。
こうして、係争になると「受忍限度」がどのぐらいかを、いろいろな要素から争うことになります。もともとそこに暮らしていた、という時間の長さや、どのぐらいの時間日照が失われるのか、建物は遵法か、そして加害建物、被害建物それぞれの性質も問われます。加害建物が公的なものなら受忍限度が引き上げられたり、被害建物が住宅ではなく商業建築であれば、また判断が変わります。
固定価格買取制度がはじまってから爆発的に増えた太陽光発電は、そもそも売電による収入を見込んでいるものも多いですから、日照阻害による係争も増えそうですね。
別に日照権で係争を行おう、というススメではありません。
いろんなことで、私たちの暮らす環境は変化します。例えば、以前にお伝えした、日本は本当に暑くなっているのか、というお話です。
都市部の気温上昇と湿度の低下は、人為的なものです。だとすると、家が暑くなったのは周辺の建物のせい。じゃあ受忍範囲を超えた! と文句がいえるかというと、この場合は相手も定かでないし、自分だってその一員だし、受忍せよ、ということになるのでしょう。
けれど、たとえば隣にあった森が宅地に開発された、という場合はどうでしょうか。
緑は地域に景観と微気候をつくります。冬の風を遮ったり、夏には木陰を作ったり、蒸散効果で気温を下げたりします。
そういうものが、急に失われてしまったら。自分の持ち物でない植物がなくなった、ということで係争に持ち込むなんてナンセンスかもしれませんが、環境悪化を招く、という点では動物を原告にした訴訟もあります。
多かれ少なかれ、建物を建てるということは、周辺になんらかの影響を与えます。けれど、出来る限り、もとの環境に近づけておく、ということは、作り手と住まい手の責任だと思います。
明治神宮には、およそ70万平米の森が広がっています。
東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせて100万平米ですから、その大きさがわかります(東京ドームと比べると、約15個分)。
明治神宮の森は、100年ほど前に人工的に作られた森です。もともとは大部分が農地や草地でしたが、明治天皇崩御を追慕する声に応えて神宮が建設され、境内が植林されました。
この時に用いられた木は献木がほとんどで、北海道から沖縄まで、どころか、当時日本領だった樺太から台湾まで、各地から10万本もの木々が献木されたといいます。
植栽は50年後、100年後、150年後の変化を考えた予想林想図が作られて、100年後にはカシやシイを主体とする極相林を目指して各種の木が配置されました(時の内務大臣、大隈重信は、杉林にすべき、と主張していたそうですが、もしあれだけ広大な杉林が都内にあったら、どうなったでしょうね)。
果たして、現在の神宮は極相林となり、タヌキが暮らし、カワセミが番い、オニヤンマが飛んでいます。2013年の生態調査では、2840種類の静物が見つかり、中には東京23区では絶滅した思われていた種や、新種も含まれていました。消えていった植物もあれば、新しく生えてきた植物もあります。こうした事情や写真は「生命の森 明治神宮(講談社)」に詳しいです。
極相林の中心部は、林冠に比べると光は10%程度しか当たりません。植物は、みな日照権を求めて上へ、あるいは横へ広がります。あるいは、暗い場所というニッチで生息することを選んだ種もあります。
明治神宮の森は、もともとあった森ではないし、全国からの木で遺伝子攪乱もされています。とはいえ、都会には類まれな環境で、多くの生き物が生息しています。
けれど、多くの地域では、動植物の種類は減る一方です。そういうことの「受忍限度」は、もう超えているように思えます。