“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第10回
「バディ」に出会う
先週、フィンランド人の友人夫妻が7歳の娘を連れて日本に来た。めいっぱい荷物を詰めたスーツケースを5個抱えて、成田空港に現れた。観光旅行ではなく、夫妻が日本での共同研究に参加するために1ヶ月半滞在する。日本に来るのは、今回が初めてだ。到着するやいなや、小銭を入れるとカプセルトイが出てくる自販機にくぎづけになっていた。彼らは、共同研究の相手先の大学の、郊外にあるキャンパス内のゲストハウスに滞在することになっていた。ゲストハウスといっても、一般的な賃貸のアパートと同じようなつくりの建物の1室だ。間取りは2DKで、寝具や冷蔵庫など生活に必要な最低限の家具が備えつけられている。キャンパス内にあるので、外国からの留学生や研究者はここに滞在すれば、移動に時間がかからず、勉強や研究に打ち込める。ところが、到着翌日、彼らから次のような連絡があった。「このゲストハウスに1ヶ月半滞在するのは無理なので、都心にある外国人向けのシェアハウスに移る」。理由は、娘のサラが孤独になってしまうからということだった。翌々日、彼らはもうそのシェアハウスに移っていた。サラは早速、シェアハウスのオーナーの娘と友達になって、近所に遊びに出かけたと夫妻は喜んでいた。急展開でどうなるかと心配したが、報告を聞いて胸をなでおろした。
たしかにあのままゲストハウスにいたら、サラにとって日本滞在は、とても退屈で寂しい思い出になっていたかもしれない。私は子どもの頃に、親の都合で1年間アルゼンチンに滞在したときのことを思い返した。自分の望みで来たわけではない国で、居場所を見つけるのは大変なことだ。私の場合は、スペイン語しか通じない現地の小学校に、初のアジア出身の生徒として編入学した。周りの子たちも私も、共通言語がないので、互いにどうコミュニケーションをとっていいかわからなかった。担任の先生が身振り手振り、絵などを使って、私とコミュニケーションをとろうとしてくれたものの、私は孤立感にさいなまれて1ヶ月ほど登校拒否した。その後なんとか登校を再開したときに、担任の先生が新たな策を講じてくれた。先生は、クラスの学級委員的な存在の優秀でおだやかなエウヘニアという子を、私の世話係に任命した。私はその日から、彼女の隣に座ることになった。エウヘニアは、私が言葉や生活に慣れるまで、根気よくサポートしてくれた。授業中は、とにかく彼女に言われた通り、彼女のノートを見よう見まねで写し書きした。それを数ヶ月間続けるうちに、徐々にスペイン語でコミュニケーションをとれるようになり、学校が楽しくなった。エウヘニアのサポートがなかったら、私のアルゼンチンでの生活はまったく違うものになっていただろう。
調べてみると、アルゼンチンで私の担任の先生がしてくれた「世話係」を任命するという方法は、「バディ制度」と呼ばれ、いろいろなところで実践されているようだ。「バディ」は英語で「相棒」の意味である。ベルギーのメヘレンという町は、「バディ制度」で移民や難民の受け入れに成功しているという(※1)。移民や難民が町に移住してくると、役所がボランティア登録している住民とのマッチングを行い、バディを紹介する。設定された交流期間中、バディとなった住民は移住者の相談に乗ったり、語学を教えたり、互いの文化を知り合うためのさまざまな交流を行う。これによって移住者が町で孤立することなく、住民に受け入れられ、居場所を見つけ、安心して生きられるようになるのだという。たった一人でも、そばにいてくれる人に出会えたら、世界は違って見えるのかもしれない。サラがフィンランドに帰国する前に、話を聞いてみようと思った。
※1 参考:“ベルギー最悪の街”を変えた“世界一の市長” その秘策とは?
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0516.html