まちの中の建築スケッチ

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横浜山手のエリスマン邸
——公園の中の洋館

2009年に6か月、ニュージーランドのカンタベリー大学に滞在する機会があって、緑の中の建物たちをスケッチした。全部で26枚、平均すると週に1枚描くことができた。いままた、月1枚ペースであるが楽しんでいる。当時、1800年代後半の木造の館のいくつもが、市の所有になっていて、綺麗に修復され活用されていた。小川のほとりや公園の中にあって暖炉や喫茶コーナーもある。モナ・ベイルと呼ばれる建物には大学から自転車に乗って20分ほどで行くことができ、何度も通ったことを思い出す。日本にもこういう形で多く残されて活用されると良いのにと、思ったりもしたのであるが、今回は横浜の山手地区にそんな洋館を見つけた。
学生の頃から、港の見える丘公園などには何度か訪れていたのであるが、建物はあまり意識していなかった。(財)横浜市緑の協会で出している「横浜山手洋館マップ」には、明治から昭和初期までに建てられた7軒ものおしゃれな洋館が紹介されている。
エリスマン邸は、大正の最晩年、関東地震の直後に建てられたものである。設計はアントニン・レーモンド。同じ山手地区にあったものが、マンション建設で取り壊されそうになったのを横浜市が手に入れて、1990年に元町公園の中に移築している。そして、移築の際に地下にホールが新設され、また1階の厨房スペースも少し広げて食事・喫茶ができるようにしてある。

エリスマン邸

外を回り、正面を避けて側面からスケッチすることにした。大き目のガラス戸のサンルーム外側のデッキには鉢植え、テーブルや椅子もある。手前に大きな二股の欅があり、その枝振りには夏の勢いがあった。外壁は、2階は下見板の横張で、1階は縦張になっている。1階の開口部には庇もあるので、屋根からの樋は、1階の庇をコの字型に迂回して落してある。
スケッチの後は、緑を眺めつつランチも楽しんだ。山手地区でも一番高いところではないかと思うが、遠景は緑が深いこともあり、横浜の市街はほとんど見えない。周辺も素敵な住宅が立ち並んでいる。表札を見ると、今でも外国人が少なくないようである。
住宅ということになると、はじめは個人の所有であるが、立派な館ほど維持管理が大変なので、代替わりの段階で持ち続けることが難しくなる。ニュージーランドでも同じようにその家の持ち主の歴史が説明されていた。木造でも維持管理されていれば100年くらいは問題なく使える。そして、まちとしてもその家が社会資産と思えるようになると市の所有にして、レストランやカフェ、さらにはコンサートなどもできるようにすることで、そのまちにとってなくてはならない建物になる。そんなエリスマン邸に出会えたということだ。
2階の資料室には、東京のパレスサイド・ビルを設計した日建設計の故林昌二氏が、アントニン・レーモンドの建築から学んだ話や、逆に第2次大戦中には、アメリカに帰って、焼夷弾の威力を確かめる軍の実験に協力をしていたということで、人としては許せない思いをもっていたという話を新聞記事に見つけた。
長い時間を経ている建築には、多くの人の人生や価値観が刻まれている。おそらくは、横浜に限らず、長崎、神戸といった江戸時代からの港まちでも、明治以降のいわゆる外国人居留地では、今日までそれぞれに歴史の物語があることを想像する。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。