「ていねいな暮らし」カタログ
第28回
Instagramと『KINFOLK』が生み出す
「トーン」
これまで、さまざまな暮らし系雑誌や地域文化誌を見ながら、これらの雑誌に掲載される写真の特徴についても語ってきました。「ましかく写真」という言葉を使って、中心の取りやすさゆえに写真が「美しく」見えやすいのではないかということを指摘し、ポラロイド写真のような懐かしい風合いをもった「日常」が切り取られてきているという話をしてきましたが1、このような写真を端的に表すならば「Instagramっぽい写真」で伝わるものかもしれません。
Instagramは2010年にサービスが始まりました。複数あるフィルターを使って写真を加工し、投稿することができるSNSとして非常に人気の高いアプリケーションです。2015年までは、すべての写真を正方形にするという決まりもあり、写真ありきのコミュニケーションという意味で、ビジュアルに特化したものと言うことができます。ケータイにカメラ機能が備わってから、スナップ写真で撮られる対象が変わってきたと言われますが、Instagramが写真文化にどのような変容をもたらしているのかについて分析したのが、前回の終わりに紹介したレフ・マノヴィッチらの研究です2。
マノヴィッチは、「インスタグラムが「日常」の新しい基準を定めた」(マノヴィッチ 2018:85)と言います。Instagramで共有されるものは「広告や雑誌のように過度に洗練、制御されたイメージではなく(略)とりとめのない瞬間(non-essential moments)」であり、「彼ら(筆者注 Instagramユーザー)が他の多くの人々と共に作り出した、既存のカテゴリーから外れた現代の文化的テーマや人工物は、独自の座標を持った別の空間にあり、私たちはそれを記述していく必要があると感じている」(同 2018:63)
言わんとしているところが伝わるでしょうか。もちろん、すべてのInstagram写真に通じるというわけではないですが、Instagramに投稿される写真とは、「とりとめのない瞬間」で、それは意図して撮られた/撮られていないといった指標とはまた別の「独自の座標」をもつものとマノヴィッチは言います。
この説明を強調する上で参照されるのが、雑誌『KINFOLK』です。スローライフを体現するようなある特定のコンテンツや撮り方(コーヒーカップや机上を真上から撮る写真など)がInstagramと組み合わさることで、あるトーン=視覚的言語を生み出しているとマノヴィッチは言います。視覚的言語という言葉が難しく聞こえるならば、(ライフ)スタイルと言い換えてもよいかもしれません。この意味で、『KINFOLK』とInstagramは相互補完的な関係をもつと言えます。『KINFOLK』が「撮影する価値のあるもの」の例を読者に示し、そのような「トーン」を読者たちがInstagramを使って表現し、共有、確認しあう中で、スローライフ的ライフスタイル像が広く共有されていく。(言うまでもなく、これらのイメージが『KINFOLK』発信であるのか、Instagram発信であるのかは誰にもわかりませんが)
私自身は、『ku:nel』と地域文化誌との比較を通じて、マノヴィッチらの言うところの「トーン」的なものについて考えていましたので、この傾向は日本に限らず世界的にあるものなのだなという思いを強くしました。『ku:nel』は増刊号時代を入れると、2002年に始まっているので、Instagramよりもだいぶ前からこの「トーン」が始まっているとも言え、日本におけるルーツはどこにあるのだろうかと改めて考えるきっかけにもなっています。
(1) 「ていねいな暮らし」カタログ 第9回「ましかく写真」の魅力とは−『カメラ日和』
https://bionet.jp/2018/02/08/teineina-camera-biyori-2/
2019年6月16日参照
(2) レフ・マノヴィッチの論考については、CCライセンスのもとに個人ページに公開されてもいます。 http://manovich.net
2019年6月16日参照
※今回の引用は、右記からのものです。『インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』(レフ・マノヴィッチ著、共訳・編著:久保田晃弘、きりとりめでる)