びおの七十二候
第47回
蟄虫坏戸・むしかくれてとをふさぐ
蟄虫坏戸とは、春から夏にかけて、外で活動していた巣籠もり虫たちが、再び土の中に潜って穴をふさぐことをいいます。「戸を塞ぐ」というところが、おもしろいところです。春分の前の「蟄虫啓戸」と対になる言葉です。
巣籠もり虫たちの、寒さを恐れる感覚は鋭くて、たとえばカブトムシは、あっというまに土にもぐってしまうそうです。
オオクワガタも、やはり土や朽木の中に潜り込みます。オオクワガタは冬篭りするとき、エサを食べないといいます。腹をすかせた状態で冬眠に入るのです。
夏に野や山を徘徊していたヘビも、寒くなると土の穴に潜り込みます。ヘビは、秋のお彼岸に穴に入って、春のお彼岸に穴から出ると言われていますが、これは俗信です。実際には10月に入ってから穴に入るようです。
ヘビは穴に入るとき、どこからともなく集まってきて一つの穴に入り、お互いに絡み合って暖をとるそうで、その数、数十匹を超えるものもあるといいます。10月を過ぎて穴に入らないヘビを、穴惑いというそうです。
カエルも土に潜ります。
カエルは、自然の温度環境に合わせて体温を変化させる変温動物です。
秋が来て涼しくなると、もう動けません。土の中に入ってじっとして過ごしますが、秋早い時期の暖かな日には、土から出て日光浴する場合があります。秋が深くなると、本格的に冬眠に入って、翌春まで姿を現しません。
蟄虫ならぬ人の蟄居は、家にこもって外出しないことで、江戸時代には、公家や武士に科した刑の一つでした。出仕・外出を禁じ、1室に謹慎させられました。終身蟄居させる場合を永蟄居といいました。
蟄居の刑を受けたのは、渡辺崋山、佐久間象山、吉田松陰など。水戸藩主徳川斉昭、水戸のご老公は、将軍家定の継嗣をめぐって大老井伊直弼と対立し永蟄居を命ぜられました。
近くでは韓国の前々大統領だった金大中さん、最近ではビルマ(ミャンマー)のアウンサンスーチーさんが、蟄居の身に置かれています。アウンサンスーチーさんは、結構長く蟄居されています。
さて、この候は蟄虫坏戸なので、引き篭ることと、もう一つ戸を立てることの二つの意味があります。
この時季、かつて日本の家では、夏の簾戸を蔵い、障子や襖と入れ替えました。この行事は、季節に応じて生活を改める、一種の句読点の役割を持っていました。
障子や襖は窓ではなくて、戸です。よく戸を立てるといいますが、窓を立てるとはいいません。窓は開ける、閉めるといいます。
この二つは、本質的に違っていて、戸は壁でもあって、障子一枚であっても、向こう側の空間と隔てます。
石の家の住人は、障子や襖を壁だと思わないでしょうが、われわれはそこに結界を置きます。窓は石の建物では穿かれた穴で、穴を閉じれば、外からの侵入を防ぐことができるものをいいます。
窓に求められるのは、頑として侵入者を寄せ付けない強いしめつけです。
戸は「たてつけが悪い」とはいいますが、「しめつけが悪い」とはいいません。
戸は、閉めておいても開けておいてもよくて、どちらでも常態です。「開けておいてもいいよ」という約束事になっています。これに対して窓は、閉じておくのが常態です。特にドアは、閉めておくものです。
夏は開け放って開放的に暮らし、冬は閉じて熱が逃げないようにします。それが日本の住まいのフレキシビリティでした。ここにおいて、戸が大きな役割を持っていたのはいうまでもありません。
いずれにしても、この時季、日本人は一つの句読点を打つことで、生活を改めてきました。その一つに、襖をお蔵から取り出したり、障子を洗ったり、障子を貼ったりする行いがありました。今は、障子も襖も立てっ放しの家が多くなりましたが、長い歴史のなかで見て行くなら、ほんのついこの間まで、そういう行事が現にありました。
この候でご紹介した句は、主婦にとってそんな年中行事が、結構億劫であったことを表わしています。実によく気分が出ているとおもわれませんか。
これを詠んだ及川貞は、東京生れで、「馬酔木」同人。水原秋桜子の門人です。自在に闊達に、みずみずしく抒情句を詠んだ俳人として知られます。
これらの句、ほんとにいいですね。いいですねえ〜。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年09月25日の過去記事より再掲載)