びおの七十二候
第57回
金盞香・きんせんかさく
冬が訪れる立冬の末候は、金盞香=きんせんかさく。
金盞とは、黄金の杯のことで水仙の異名。香として、咲くことを意味しているのは、水仙の香りをあらわしています。水仙の咲く様を金盞銀台というように、華やかな感じを受けますが、冬の寒さの中、背筋を真っ直ぐに伸びて、楚々として咲く姿は凛々しいものがあります。
垂線は水仙なのよ、と言った女性がいました。間違ったことがきらいな人で、真っ直ぐな人でした。そういう自分の生き辛さを「垂線」に言い、でも冬なのに「水仙」は咲いているのよ、負けないで、と言いたかったのかも知れません。星野立子の句は、花のうしろの蕾ということに、水仙の花の性格が凝縮されていて、いいなと思います。
みんな水仙という花が、寒中に屹立して咲いていることを知っています。「水仙や」というアタマは、みんなそのことを知っているでしょ、ということを言っています。その上で、「花のうしろの蕾かな」と星野立子は詠むのです。蕾は可憐さを表しますが、ただの可憐ではない、ある種のつよさみたいなものが表現されています。
水仙の属名は、「ナルキスス」で、麻酔のギリシャ語です。水仙の球根には、アルカロイドのナルシチンが含まれていて、それが麻酔状態を引き起こすというのです。
水仙の地下にある鱗茎に、花の芽ができるのは7月頃です。夏の暑い時期に花芽が発達し、冬の低温を得て開花に向かいます。そこがこの花の「神秘」であって、水仙の花言葉は「神秘」であり、名前の由来は、水さえあれば仙人のように枯れないからというものです。
水仙は、まことに生け花に似合った花で、桃山時代から用いられてきました。つまり、生け花の創生期から、ずっと好まれてきた花です。
野生群落地では、越前海岸と淡路島がよく知られています。栽培地では、南房総が知られています。
水仙を詠んだ句で有名なものを挙げておきます。
この句の詠み手、星野立子は、1903年(明治36)に、高浜虚子の次女として東京に生まれました。句を作りはじめたのは、結婚後のことで、めきめきと頭角をあらわします。やがて「ホトトギス」同人となり、それからというもの、中村汀女とともに女流俳句を担い、橋本多佳子、三橋鷹女を加えて、タ行の名前ということで「4T」といわれるようになりました。
星野立子の句は、自然や日常生活を、女性らしいみずみずしい感性でとらえていることです。これは天賦の才といっていいほど見事なものです。
たくさんの句を挙げましたが、どれもいいでしょ。これらの句を詠んで思うことは、高浜虚子が愛した娘だなぁ、ということでした。
虚子は、立子の句を
純粋な情感の天地に住まっている立子の句は自然が柔らかくその懐にとけ込んでくるように感ずる
山本健吉は
ありふれた日常語の使用や軽い口語的発想は、立子の一つの特徴をなすもので、虚子の句が持っている即興詩的一面を、立子は承けついでいると言えよう
と述べています。
1984年、立子は鎌倉にて80歳で亡くなりました。
星野椿は、立子の長女、高浜虚子の孫です。
2004年の秋に、鎌倉文学館で開かれた初の星野立子展のタイトルは、「天才少女のスローライフ」というものでした。
(2008年11月17日の過去記事より再掲載)