びおの七十二候
第66回
雪下出麦・ゆきわたりてむぎいづる
雪の下から麦いずるとは、何とお芽出度いことでしょう。
「冬至」に至るまでは、きびしい候が多くて閉口しましたが、ここにおいて明転され、新たなる年を迎えました。
あけましておめでとうございます。
麦は、小麦・大麦、ライ麦、燕麦など、外見の類似したイネ科食用作物の総称です。狭義には小麦と大麦のみを指します。これらはいずれも、中央アジアを中心とした乾燥気候の土地を原産地とするイネ科草本です。これらの土地には、野生種のムギによる自然の草原があります。
日本では、秋に芽生え、冬を越して初夏に顔を出す秋蒔きがほとんどです。外国では春蒔きの地域もありますが……。
小麦は、コメとトウモロコシと並び、世界三大穀物の一つ。古くから栽培され、世界で最も多く栽培されている穀物であり、世界の人口のほぼ半分を養っています。年間生産量は6億トン近くに及びます。
わたしの小さい頃には、あちらこちらで麦畑を見ることができました。
冬の畑といえば麦でした。それを近頃とんと見掛けなくなりました。アメリカに依存した(というよりアメリカの穀物戦略に巻き込まれた)ことにより、日本から麦畑が失われたのです。
今の食糧事情のなかで、日本にもっと多くの麦畑をと思うものの、第一に種子が失われているとのこと。日本の麦は、梅雨期に実らなければならないそうで、雨に降られても穂から発芽しない種子が求められるということです。これに対して、外国の麦は雨にあうと穂が発芽します。この種子では、日本で栽培しても収穫がおぼつかないのです。
つまり、日本の麦は弥生時代から、長い栽培の歴史を持つことで、裏作としての早熟生や耐病性を育て、そういう特性を持った、日本独特の種子だったのです。
ここ10年、小麦、大麦ともに、日本での栽培が少しずつ増えていますが、総量としてみると、圧倒的に輸入のものが占めています。麦畑の風景を取り戻すには、まだ時間が掛かりそうです。
毎年のように食糧問題が何かと話題になっています。多分、今年もいろいろ起こることでしょう。それは日本の農業の根本に問題があるからです。何事によらず、根本がおかしければ、現象は表皮を破って、いろいろなカタチをとって噴出しますので……。
さて、元旦の句は高浜虚子です。
この句は、俳句の王道を行く句といってよいでしょう。大空はどこまでも青く、白い羽子が上へとのぼりつめ、落ちようとする、その一瞬をとらえた句です。バドミントンの羽根もそうですが、のぼりつめて、一瞬の静止に充満があり、そこから踵を変えするように、くるりくるりと落ちます。羽子板を持つ者は、この一瞬の充満をとらえながら、地上へと舞い降りる羽子をとらえ、息を整えて打ち返すのです。この静と動の繰り返しに、羽子板の醍醐味があります。
そういえば少年時代に、好きだった近所の女の子が、晴れ着を着て、華やかな羽子板を手に静と動を繰り返すさまに、何だか胸騒ぎを覚えたことがあります。ぼくは独楽を回しながら、遠めにそれを見ていたのでした。この句は、正月の空の青さと共に、そんな記憶を鮮やかに思い出させてくれます。
『若きウェルテムの悩み』のゲーテに、「時よ、その翼をとどめよ」という言葉がありますが、この言葉には一瞬に永遠をとどめようとするゲーテらしい思いがこめられています。鷹羽狩行の解釈によると、この句で虚子は、大きい青空と一点の白い羽子のコントラスト、そのとき羽子は、まるで白妙のようにみえて、それを一瞬、大空にとどめよ、といっていて、それはゲーテの言葉と重なるといいます。
白妙とは、栲のしろさをあらわす古語です。「白妙の衣ほすてふ天の香具山」などと万葉の歌に、しきりに詠まれた「白妙の衣」です。この古語を、羽子に持ってきたことによって、この句は優雅な世界に止揚されます。たった一語、古語を用いることで、青空に清らかにとどまる、万葉の白妙が印象づけられます。虚と実の見事な昇華です。
目出度い正月の、恥ずかしいほどに目出度い句といえましょう。
このような目出度い句がある一方、
などという、何とも怜悧な、あるいは愉快な句もたくさんあって、こうした句もあって正月はたのしいのです。
こちらは虚子と同じ目出度い句です。富士山が翼を持って羽ばたくような、そんな壮大な夢を持って一年を過ごしましょうよ、という句です。
よき一年でありますように
(2009年01月01日の過去記事より再掲載)