「ていねいな暮らし」カタログ
第37回
「丁寧な暮らし」をめぐる解釈
——『暮しの手帖』
1ヶ月あいてしまいました。この間に、新型コロナウイルス対策をめぐり、世の中の雰囲気はガラッと変わってしまいました。私自身も、自宅にこもりながら効率よく買い物をする方法を考え、大学の授業の遠隔化に備える日々を送っています。この2ヶ月の間に、トイレットペーパーやティッシュの買いだめが起こり、マスクを自作する方法が共有され、何がウイルス対策に効く/効かないといったさまざまな情報が飛び交い、「自粛」や「3密」という言葉がよく聞かれるようになりました。言葉や情報の移り変わりの早さを感じます。
「ていねいな暮らし」に関する本連載は、日本各地で作られているその土地の暮らしを綴ったローカルメディアと初期『ku:nel』との共通点を考えるところから始まりました。連載の構想段階から頭の中では、「いつか取り上げなければ」と考えていたのが今回から数回にわたって取り上げようと考えている『暮しの手帖』です。『暮しの手帖』は言わずと知れた70年も続いている暮らし系雑誌の「老舗」であり、初代編集長花森安治のもとに、戦後の混乱の中をどう生き抜くか、本当に生活に必要な情報とは何かを考え刊行された雑誌です。この後の数回は、「現代と同じような」とは言えないですが、社会全体が混迷を極めていた時に創刊された『暮しの手帖』における「暮らし」の描き方について概観しながら、その変遷について考えをめぐらしてみたいと思います。
『暮しの手帖』にまつわる最近の話題と言えば、2020年1月に出された『暮しの手帖』で「丁寧な暮らしではなくても」というコピーが掲げられたことが挙げられます 1。Twitterなどでこのことに言及するのをいくつも見ましたし、この号から編集長に就任した北川史織氏のインタビュー記事も既に出ています 2。私自身は、「ていねいな暮らし」という言葉自体が、ここ数年はあまり聞かれなくなったようにも思っていたので(だから、この連載を始められたということもあります)、今回のことで、この言葉がどのように人々に受け取られていたかを知る機会になりました。
「丁寧な暮らしではなくても」のコピーに対する反響は、主に次の三つに大別できます。
①北川編集長の「編集者の手帖」の内容に寄り添うもの。「丁寧な暮らし」という「ラベル」を気にすることなく、それぞれに「暮らし」があるという考え方への共感。
②「丁寧な暮らし」(という言葉やライフスタイル)自体を批判的に捉えた上で、このコピーに同調するもの。
③「丁寧な暮らし」という言葉を広めた原動力とも言える『暮しの手帖』元編集長の松浦弥太郎氏のことを引きつつ、「丁寧な暮らし」コピーの変遷を問おうとするもの。
北川氏自身も、このコピーを表紙に掲げることに勇気がいったと書いています 1。「丁寧に暮らすこと」自体を揶揄するつもりはなく、一方で「丁寧な暮らし」という「ラベリング」に対する疑義もあって、このコピーが生まれたということです。この号の「編集者の手帖」は、『暮しの手帖』の始まりからずっと記されている「これは あなたの手帖」なのですから、との言葉で締めくくられているように、「あなた(=自分)」の思うままに使ってよいと続けます。
「丁寧な暮らし」という表現には、「伝統」や「慣習」に紐づけられた生活における「正しさ」のようなものがあること、そしてこの「正しさ」は取り上げられる題材や写真、レイアウトの画一的なところにも現れているように思い、私自身もこの連載を始めたところがありますから、北川氏がこのように言いたくなることや、②や③の言いたいこともわかる気がします。ただ、「丁寧な暮らし」という表現自体は、21世紀に入ってから出てきたものと考えているので、70年の歴史を持つ『暮しの手帖』は枠外と言いますか、別の次元にある暮らし系雑誌と位置付けていましたから、今回のコピー(とこのことに関する盛り上がり)は意外なことでもありました。(つづく)
(2)『暮しの手帖』編集長インタビュー・前編 丁寧な暮らしではなくても…『暮しの手帖』新編集長に聞く、話題のコピーの真意 https://wotopi.jp/archives/98030、『暮しの手帖』編集長インタビュー・後編 いろんな人のいろんな暮らしのそばにありたい…『暮しの手帖』が目指すもの https://wotopi.jp/archives/98047 2020年3月12日参照