びおの珠玉記事

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もっと太陽熱を!

2023年2月現在、電気やガスといった生活インフラの大幅な値上げが続いています。政府による負担軽減策も動き出しましたが、本質的な解決にはなっていません。この記事は、2012年に発表されたものではありますが、自然のエネルギーを素直に使う、ということを訴えるため、再び掲載することといたしました。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。(2009年02月04日の過去記事より)

太陽

Photo:NASA Goddard Laboratory for Atmospheres

太陽光発電だけに目が向けられるだけでいいのか?

日本が2020年までに、どの程度の温室効果ガスを減らすべきかを検討する政府の中期目標検討委員会が開かれ、政府系研究機関の試算をもとに、90年比で6%増〜25%減を目指す選択肢が示されました。
6%増で太陽光発電を現状の4倍の130万戸、4%減で太陽光を320万戸、15%減で太陽光を660万戸、風力発電を現状の10倍まで、25%減で太陽光を1770万戸、再生可能エネルギーの比重を13%に伸ばすという計画です。
これまで日本の経済界の「最大導入ケース」は4%減でした。一方、国際気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、温暖化の影響を最小限に抑えるためには、先進国全体で25%〜40%削減する必要があるとのシナリオを示していて、ドイツは40%の中期目標を掲げました。
この検討会自体は、オバマ新政権が打ち出した「グリーン・ニューディール」(緑の内需)に便乗する動きといわれ、これを伝える新聞論調は「日本の出遅れ感は否めない」としています。また、民主党は「緑の成長戦略調査会」を発足させ、次期総選挙マニフェストに、太陽光パネルの全戸設置を盛り込む計画を立てています。
いずれにしても、太陽光発電の設置拡大は、一種の国是のように活発化されることが予想されます。そこで考えたいのは、太陽エネルギー利用は光発電だけなのか、太陽熱があるではないか、その利用の促進をもっとはかるべきだと「びお」は考えました。
というわけで、きょうは「もっと太陽熱を!」という特集を組みます。

人類は、太陽エネルギーを使い切れているだろうか?

太陽光発電と太陽熱利用というのは、何が違うのですか?

太陽熱エネルギー(Solar Thermal Energy)利用とは、太陽光のエネルギーが熱に変換された状態をいいます。単純な話、窓から太陽光が入って、それを浴びると暖かく感じますね。つまり、太陽光はすぐさま太陽熱に変換されているのです。外は氷点下の寒さでも、ガラスを通してお日様が降り注いでいるとホカホカと暖かいのは、太陽光が熱に変換されているからです。

では、太陽光と太陽熱の利用効率の違いは何ですか?

太陽エネルギーの利用効率は、植物の光合成で0.2%〜2%に過ぎません。技術が進歩した太陽電池は20%まで利用効率を伸ばしています。しかし、熱源としてそれをダイレクトに利用すれば、約80%位まで利用することができます。

太陽光利用を代表する技術として挙げられるのは、光発電ですね。

いや、まず我々は太陽光によって、昼夜を含めて2万ルクスの照度を与えられていることを知っておきたいと思います。太陽は、地球を明るく照らしてくれている星であって、どんな人工的な照明器具を持ってしても、この太陽の明るさにはかないません。

あまねく地表を照らす、天照大神(あまてらすおおみかみ)ですね。

そう。太陽神は、ギリシア神話のアポロン、エジプト神話のアテン、インカ神話のインティ、中国神話の火烏、アイヌ神話のトカプチュプカムイにも出てきて、世界どこにもあるんだね。もし太陽がなければ、この地球はまったく違う星になったことは間違いない。

次々と、でましたね(笑い)。

まあね(笑い)。一つ一つ詳しく解説したいけど、やめときます(笑い)。

聞きたいけど、別の機会にね。

手塚治虫の『火の鳥』は、中国神話に基づきながら、人類にとって太陽神とは何だったのか、その姿を捉えています。
太陽は地表をあまねく照らすだけでなく、地表を暖めてくれています。この地球は、酷暑・酷寒の地もありますが、平均15℃の地表温度を与えてくれています。これはどんな巨大な暖房装置を以てしてもかなわないことです(笑い)。我々人類は、まずもって生存するに足りる温熱環境を、太陽熱によって与えられていることを、改めて確認しておきたいと思うのです。

分りきった話なんだけどね。

いや、分っているようで分かっていない話なのです。
というのは、我々は太陽から与えられている明るさや温度の足りない分を、電気や石油でまかなっているのであって、ほんとうの主人公が太陽であることをみんな忘れているのです。

ほんらい電気や石油は脇役なのに、まるで主人公のように振る舞っていると。

そうです。太陽エネルギーは、地表1㎡あたり約1キロワットも降り注いでいます。それだけのエネルギーを太陽から貰っているのです。いくら石油を燃やしても、どんなに原子力発電を行っても、そんなエネルギーをつくり出すことは所詮ムリです。

逆立ちしてもムリよね(笑い)。

そう(笑い)。太陽こそ創造主であり、太陽が生み出している環境を十分に理解した上で、何が不足かを考え、それを補うという気持ちで向かえばいいのです。
石炭、石油などのエネルギーを支配した期間は、人類6000年の歴史のなかでみれば、たかだか200年程度に過ぎません。これらは、もともと太陽を缶詰したエネルギーですが、これを燃やすと汚れが発生します。それによって、この200年間で地球環境そのものを脅かすまでに至っています。
化石燃料を燃やす時代は、これから数十年の間に終焉をむかえることになるでしょう。

電力会社は、クリーンな原子力エネルギーを言っていますが。

発電に危険が伴い、放射性廃棄物を出す以上それを処理しなければならず、そのどこがクリーンといえるのでしょうか。原子力の科学者は、この地球に、永遠に燃え続けるもう一つの太陽を生むのだと思って始めたのでしょうが、どうしょうもないゴミと、危険と背中合わせの技術が、そういつまでも続くとは思えません。化石燃料が約200年の歴史だとすると、このエネルギーは、もっと短命で終わるんじゃないでしょうか。そんな予感がします。

原発

1.2号機を廃炉解体して、別に6号機を計画している浜岡原発。
廃炉解体されるものは、更地に戻すのに20年間掛るという。

人類のエネルギーの大半は、薪や炭や鯨油、菜種油など、それぞれの地域から得られるエネルギーを細々と用いて、太陽エネルギーで得られる不足分を補ってきました。それが6000年も続いたのです。

でも、もうそこには戻れませんよね。

人類は20世紀文明を享受し、どっぷり首まで漬かっていて、今の便利さから抜け出せませんからね。けれども、その文明に最も授かったヨーロッパ諸国が、温室効果ガスの濃度を産業革命が始まった頃までに戻そうと動き出しました。そして、オバマのアメリカが「グリーン・ニューディール」を打ち出し、ヨーロッパに協調する動きをみせています。
  この図表は、アメリカ合衆国エネルギー省の管轄下にある、オークリッジ国立研究所(英: Oak Ridge National Laboratory、ORNL)がまとめたもので、「びお」でも、何回か掲載しているものだけど、これを見ていると、人類が石炭や石油を掘り出したことが良かったのかどうか、地球のほかの生物に対して、人類は原罪を背負ったように感じられてなりません。200年でこうなったのだから、CO2の濃度を産業革命が始まった頃に戻そうというのは、至極、当然のことだと思います。

燃料別にみる世界の二酸化炭素排出量

燃料別に見る世界の二酸化炭素排出量
全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト(http://www.jccca.org/)より

信じられないような曲線を描いているのね。

この大合唱の中で、日本でも太陽光発電利用を高めようという動きがでてきたのです。この大局に認識の違いはありませんが、ではどうすればということになると、いろいろ違ってきます。太陽光発電を、という今の日本の動きも、この文脈の中で起こっていることです。
しかし、何で民主党までが太陽光発電一辺倒なのか、そこがよく分りません?

電気に変換するだけでいいのだろうか?

高圧線

ほんと、太陽光発電ばかりが強調されていますよね?

太陽熱はどこに行った、という感じです。太陽熱に取り組む側のパワー不足もありますが、太陽エネルギーが持つ根源的な力を、最も素直に表現できる太陽熱に、もっと目が向けられるべきです。
太陽熱利用は、最も古くから用いられてきた太陽エネルギーの利用形態であり、どこでも誰でもエネルギーを熱に変換するのが容易です。エネルギーを高効率に利用する光発電に行く前に、日常の生活の中に太陽熱を取り戻すべきです。
太陽熱技術を進めるメンバーは、何で、太陽エネルギーを電気に変換することだけでいいのか、と言えないのか。そこを衝けば、太陽熱の有効性がもっと浮かび上がってくるというのに。

太陽光発電の難点は何ですか?

電気は送電線を必要とするということです。太陽光で発電して、送電線なしで電気を利用する自立的・分散的なやり方があり、それが実は現実的なのに、電力会社はもちろん、日本の政治も行政も送電を前提にしていて、集中型形態と利用を是としています。ということは、地震や何かで送電線(ライン)に支障が生じると、末端がアウトになることが起り得るのです。

ライフラインの断絶ね。

そう。阪神淡路大震災で、須磨の水族館の魚が大量に亡くなりましたが、あのとき水槽が壊れたわけではありませんでした。電気が止まって酸素が送られなくなっての惨事でした。
地震で電気が止まると、マンションではエレベーターが止まります。超高層マンションではエレベーターに閉じ込められる人が発生し、「超高層難民」が出ます。調理器も何もかも「オール電化」が進んでいるということは、そのすべてが使えないということです。お湯も沸かせませんし、暖も採れません。すべてを電力会社の送電に頼っていると、そこが途絶すると、すべての機能を失います。それが電気の持つ危うさです。
もう一つ電気で思い出すエピソードは、もうかなり昔の話になるけれど、湾岸戦争の時、日本のクウェート大使館で起った事件です。あの時、電気が止められて冷房が作動せず、中にいた大使館員は死の苦しみを味わいました。ガラス張りの建物で、冷房がないと大変なことになるのは明らかなことだけど。

何でクウェートで、あんなガラス張りの建物を建てたのかしら?

考えてみると、あのあたりは数千年来、チグリス・ユーフラテス文明の時代から人は居住してきたのであって、冷房なんてものはここ数十年来のものです。あの時、マスコミは救出劇に追われて、そのことをどこも指摘しなかったけど、ほかならぬ産油国で起ったあの事件の本質に迫り切れなかった弱さは、日本そのものの底の浅さというか、根本的な弱さになっています。
その後、東京藝術大学の益子義弘研究室がイラン調査隊を組織して、ペルシャの土の家を、熱的性能を含め、いろいろな角度から掘り下げられ、一冊の本(百の知恵双書『湖上の家、土中の家』農文協・刊)にまとめられましたが、土の居住文化の知恵を理解していたら、あんなバカなことにはならなかったと思います。日干し煉瓦が持つ材質性、空気が持つ物理的性質、水の効用など、実に豊かな居住文化が、あのあたりにはあったのです。木が乏しいので、床に極上の布、ペルシャじゅうたんを用いたのもステキでしたが……。益子調査隊は、ペルーのチチカカ湖の湖上の家や、スペイン、ベトナムの家も調査していますが。

太陽エネルギー利用は「用途」が問題?

PC

パソコンには「電気」が必要だが、生活に使うエネルギーの7割は、電気を使わなくても済む「熱」である。

一度、益子先生にお話をお聞きしたいですね。

ぜひ、ぜひ。脇道にそれないで、話を戻しますね(笑い) 。
わたしは、電気に変換することを否定するものではありません。電気は、とても高度なエネルギーで、パソコンの普及一つとっても、これから、もっと必要とされるエネルギーです。けれども、電気エネルギーだけで全部まかなおうとする発想法はいただけません。先に述べたように、電気が途絶えたら、それでアウトなのですから。

実際問題として、消費者はエネルギー問題の「蚊帳の外」に置かれていて、よく分らないというのが現実です。

これまでエネルギーは、石油産業や原子力関係者など、主として供給側(産業側)から語られてきました。利用者は消費する側に一方的に立たされ、立ち入る余地が与えられずにきたのがエネルギー問題です。供給側が情報の一切を握り、その真相はしばしば秘密のベールに包まれてきました。

安全性とか、テロ組織に情報が流れてはいけないということで、非公開が目立ちますよね。

現代社会は、エネルギーを支配するものが一番強いと考えられ、それは戦争の火種になり、そのことによって悲惨な現実が惹起されています。確かに、人類はエネルギーなしで生きることはできません。
  ただ、分かっておきたいことは、我々は別に石油を飲みたいわけでも、危険な原子力が好きなわけでもないということです。まして、その支配のために戦争が起こることなど望んでいません。

そりゃあそうですよ。

消費者はそこで居直ればいいのです。欲しいのは石油ではなく暖房であり、冷房であり、給湯であり、パソコンを使えることだと。
もう一つ分っておきたいのは、パソコンに必要なエネルギーを除いては、どれも低レベルなエネルギーだということです。暖房は20℃〜25℃あればよく、冷房は外気温より5℃程度低ければ快適であり、給湯にしても40℃〜50℃あればいいのです。しかも、それらはゼロからではなく、太陽エネルギーによって引き上げられ、また、太陽エネルギーの変種である風によって冷やされた熱の上に、少し足したり引いたりして利用しているだけのものです。

これらの熱エネルギーが、家庭用エネルギーの大半を占めているとか?

ほぼ7割を占めています。これらの低レベルなエネルギーは、わざわざ太陽光発電して使わなくても、もっとダイレクトに使えます。このような考え方を「エンド・ユース・アプローチ(End Use Approach)」といいます。

最終的な用途の側からエネルギーを考える、と理解すればいいのかしら?

ご名答。自分は、どういうエネルギーを必要としているのか、どういう用途に用いるかをハッキリさせると、エネルギーの性格が見えてきます。IT機器が普及して、高度な電気エネルギーの必要が高まっていることは確かです。テレビや冷蔵庫、照明などの熱源も、電気エネルギーが必要です。煮炊きに、薪や炭を利用する手もありますが、まあ都市(またはLP)ガスか、電磁調理器を利用する人が少なくありません。しかし、暖房や冷房、給湯まで、すべて電気エネルギーでなければいけないかというと、そうはいえません。

それらは太陽熱で行けるのではないかと。

そうです。太陽熱だけでなく、風の利用があり、バイオマス・エネルギーがあり、樹木による蒸散熱利用もあります。これら再生エネルギーの利用を高めると、すべて太陽光発電にして電気に変換しなくても、相当までやれることが分かってきます。過度に電気エネルギーを用いなくても、バランスよく、緩やかなエネルギー利用が可能となるのです。それを分かることが大事です。

太陽光発電は、太陽電池の製造に要するエネルギーも掛かりますしね。

そうです。それだけでなく、送電線によるロスもあります。それでも現代生活は、電気エネルギーに頼らざるを得ない側面を持っています。それを無視しても通れません。家庭用エネルギーの中で3割程度は電気エネルギーを必要としており、その分を太陽光発電すればいいのです。それ以上、発電できれば売電すればいいわけだけど、光発電の固定価格制が採られていない日本では、コスト・パフォーマンスが悪いので、その家庭が必要とする電気エネルギーの量だけ発電するのが現実的です。