びおの珠玉記事

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「いのち」を価値軸にした家を

東日本大震災から12年が経ちます。耐震、エネルギーといった問題だけでなく、都市と地方の関係、地方の産業の問題などさまざまな波紋を起こしたこの震災を経て、今また原発頼りのエネルギー政策が進められようとしています。世論もエネルギー高を背景にそれを是認しかねない様相です。喉元過ぎれば熱さ忘れる、の極みと言えないでしょうか。12年前に私たちがどう受け止めていたのか、当時と、その後に記したものを再録します。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2015年03月11日の過去記事より再掲載)

東日本大震災の発災から満4年となり、この日ばかりは、追悼行事やさまざまな検証記事・番組などが組まれています。
けれど、当サイトも含めて、震災のことを取り上げる機会は減っています。

日本赤十字社に寄せられた義援金は、震災直後から2011年度末までの合計で約3146億円が集まりましたが、2012年度は約118億円に、2013年度は約50億円に、2014年度は2月の時点で約29億円と減少しています。
寄付金額だけですべては推し量れませんが、善意や関心が薄れている人がいるあらわれといえます。

ことは被災地への関心だけでなく、暮らし方やエネルギーといったことへの関心にも及んでいます。
あちこちで見かけた「節電」は、いつのまにやら見かけなくなりました。その動機と仕組みにムリがあったのでしょう。

東日本大震災をうけて、私たちは「びおハウス」の運動をはじめました。

以下は、『「いのち」を価値軸とする住まいづくりへ』と題した、びおハウス運動をあらわした言葉です。

2011年3月11日に起こった東日本大震災で、多くの「いのち」が失われました。津波で家を流失し、また原発事故の被災で寄る辺を失った人は、「いのち」は残されたものの、今も痛苦の日々が続いています。
哲学者の梅原猛さんは、この震災をいみじくも「文明災」だといいました。建築技術の粋を集め、壊れないと信じられていたコンクリートの堤防が崩れ、また安全だった筈の原発がメルトダウンしたのですから…。
私たちは、3.11後に「びおハウス」と名づけたプロジェクトを立ち上げました。頭に冠した「びお=bio」は、ギリシャ語の”bios”(生命の意)を語源とする言葉です。
この言葉を「いのち」と訳するなら、その「いのち」は、地球が与えてくれる空気・水・食料・エネルギーによって条件づけられています。「文明」は、それらを人為的に生み出したかに見えますが、それは幻想です。どんなに巨大な照明でも一隅を照らすだけで、到底、太陽の昼光には敵いません。
エネルギーについて見ると、地球の平均気温は15℃です。まずまず住むに足りる環境を与えられています。私たちが建築実践を通じて分かったことは、考え方や住まい方、そして建築の工夫によって、「自然室温で暮らせる家」を実現することが可能だということでした。
暮らしに「旬」を取り戻すと、食べるものがおいしくなります。季節の色でおしゃれしたくなります。雨だれや、鳥のさえずりや、秋の虫の合奏に耳を澄ましたくなります。「いのち」を価値軸にすると、見えなかったものが見え、聴こえなかった音色が聴こえてきます。
私たちは、「エコ」を声高にいうのでなく、軟らかく、しなやかに自然を受け入れたいと思います。そしてエネルギーを多消費することなく、快適な住まいを生むことが、結果的に「エコ」になるのだと思います。
エネルギーのことは大事だけれど、エネルギー問題を解決するために家を作り、暮らすわけではありません。

これまでの人の営みは、エネルギーを大量に投入すること、消費することで快適が得られる、という不文律がありました。
省エネというのが、どこか我慢のニュアンスを持っているのもそのためです。

けれど、技術も知恵も進歩しました。我慢もせず、無駄なエネルギー消費もせずに暮らせる家が生まれています。

建築家・半田雅俊さんと佐賀・住工房プラスアルファによるびおハウス「佐賀の家」は、NPO法人家づくりの会による「第3回 家づくり大賞」で、エコロジー賞を受賞しています。

梅の花

2015年3月11日。何かを我慢したり、声高に叫ぶのは、なかなか続けられないものです。
「いのち」を価値軸にして、見えなかったものを見て、聴こえなかった音色を聴こう、しなやかに自然を受け入れよう、とあらためて呼びかけます。