町の工務店探訪④
全国には、特徴的な取り組みをしている工務店がたくさんあります。あの工務店、面白そうだけど、他の工務店と何が違うのだろう。そんな素朴な疑問に対して、それぞれの工務店の特徴を丁寧に調べて伝えたい。そこでびおでは、取材クルー(編集・ライター・カメラマン)を結成し、全国の工務店を訪ね回ることにしました。住まいづくりの現場、イベント、施主へのインタビューなどを通して見えてきたのは、地域の風土に呼応したその土地らしい工務店の姿でした。(企画=町の工務店ネット)
Vol.2 【事務所訪問】設計者と大工が共に働く
福岡・悠山想
悠山想の拠点は、福岡県朝倉市の町はずれにある。道路を挟んだ2つの敷地に、蔵を移築した事務所、工房、倉庫がゆったりと並んでいる。これでも手狭なのだそうで、倉庫を新たに建設中。空きスペースには材木が積まれている。さらには「壊すのが惜しいので、引き取ってほしい」と託されたという古民家がまるごと1軒置いてあったりもする。大らかなものづくりの拠点だ。
設計事務所はもちろん建築工事を統括する工務店でも、社内に大工を抱える会社はあまりない。材料を調達し、職人を確保し、スケジュールを管理するというマネジメントに徹するのが一般的な工務店のあり方だ。
ところが悠山想は違う。現在6名いる大工はすべて、悠山想の専属スタッフ。設立当初からの付き合いだというベテランから、昨年大学を卒業して入所した2年目の若手まで、多様な世代の大工が所属する。他に応援を頼む外部の大工が3名。計9名の大工たちで家を建てていく。設計スタッフは宮本さんを含めて4名。うち1名は宮本さんの次男の岳さんだ。現場監督や営業はおらず、設計スタッフが工事管理*1を行う。年間で建てられる棟数は最大6棟。2人一組の大工で、一軒の工事に約半年かけて進める。職人の手仕事の積み重ねでできているから、数をこなすことは難しいという。家づくり全体を丁寧に進めるこの体制はどのように育まれたのだろうか。宮本さんに話を聞いた。
「気の合った大工と、いい家をつくろうと方向転換した」
上写真/悠山想の発足当時から宮本さんと協働しているベテラン大工の矢羽田さん。
古材を手刻みで加工中。古材は固いので、慣れていないと扱えない。
表題写真/悠山想の事務所と宮本繁雄さん。熊本から移築した蔵を利用している。
——今の時代、木の加工はプレカットでなされるのがほとんどですが、悠山想さんは手刻みで加工されているのですね。
宮本 プレカットは同じ形の部材の量産に向いた技術なので、部材ごとにさまざまな加工が必要な伝統構法の場合、手刻みが向いていますね。それに、手仕事を大事にしたいという思いもあります。伝統構法は、裾野が広いのです。板金、障子、襖の引き手、家具まで含まれます。職人の裾野の広さは日本の文化のひとつ。土壁に使うスサ*2にしてもみじんスサ、麻スサ、わらスサなどいろいろと種類があって、うちはみじんスサは京都から仕入れています。
竹小舞を編む藁縄も造園用とは異なるえつり用の縄を使っていますが、これをつくっているところは福岡県に一軒しかありません。地域の素材や産業をまわしていく循環型、環境保全型の性質は、本来普通の民家に備わっていたものなんですね。
「恵比須町の家」和室の入り口。角にアールをつけた貝の口という手法の土の壁。
——なるほど、職人の手仕事を大切にすることが、日本文化の継承につながるのですね。でも、技術は伝統的ですが意匠は和風というわけではなく、特に新築の住宅はニュートラルです。
宮本 伝統を継承しているのは構法だけで、デザインは別なんです。誤解されがちなのですが……。
——職人の一流のお仕事が詰まっているのに、高級数寄屋に見られるような「敷居が高そう」な雰囲気は感じられません。
宮本 高級指向では広がらないですから。住宅メーカーと同じような金額で勝負しているので、大変です。
——住宅メーカーと変わらないとは驚きです。なぜその金額でおさめられるのですか?
宮本 さあ、なぜでしょう……。僕が貧乏しているからですかね(笑)。まあ、大工や左官、建具職人等が慣れているから早くできるとか、営業費等がほとんどとないからですかね。
——どうして腕のよい大工さんたちを社内に抱える工務店をつくられたのでしょうか。
宮本 当初は設計事務所を営んでいたのですが、今から35年ほど前、大工さんと不動産屋さんと知り合って、工務店をつくりました。時期がよかったのか急成長して、保育園や学校の体育館といった公共工事をするようになりました。
——当時と今とでは、やっていることが全然違うのですね。
宮本 仕事や会社の規模が大きくなると違和感を感じるようになり「気の合った大工さんと、自分が思ういい家をつくろう」と方向転換しました。28年前、39歳の頃ですね。
——古民家には元々ご興味があったのですか?
宮本 元々好きではあったのですが、35、6歳の頃に松本市を拠点に活躍する建築家・降幡廣信さんと知り合って、いろいろと民家再生事例を見せてもらいました。それで自分が今つくっている建物と古民家はどう違うのだろうと考え、伝統構法に踏み込んでいくようになりました。
——古民家再生の第一人者の降幡さんと、長い付き合いになるのですね。
宮本 現在の日本民家再生協会*3の設立にも参加しました。その協会の会合で東京に行くようになった頃『建築構法の変革』という本に感動して、著者の構造家・増田一眞さんのセミナーに参加しました。その後、増田事務所の当時のチーフの山田憲明さんを招き、限界耐力計算*4、許容応力度計算*5を学び、増田さんも福岡に招いて学び、伝統構法を理解していくうちに、大事なことが見えてきました。
大工と設計者の協働で、家づくりを進める宮本さん。伝統構法を理解する中で「大事なこと」が見えてきたという。Vol.3では民家に宿る構法の特徴と、阪神・淡路大震災や熊本地震といった災害にまつわるエピソードを聞く。
*1 工事管理 施工に必要な職人の確保や資材の発注を行い、工程を管理することで、いわゆる現場監督が行う業務。建築士が設計図通りに工事が行われているかを確認する「工事監理」とは区別される。
*2 スサ 塗り壁の土に混ぜる材料。ひび割れを防ぎ強度を高める役割を担う。ワラ、紙、麻などが材料。
*3 日本民家再生協会 1997年設立の民家再生、利活用、啓発・普及を行う組織。設立当時の名称は日本民家再生リサイクル協会。
*4 限界耐力計算 2000年の法改正で建築基準法に導入された。軸組の耐力のみならず変形による粘りなどを含めて総合的に評価するもので、伝統構法の耐震性を証明できるようになった。
*5 許容応力度計算 2000年の法改正前から適用されていた構造計算の方法。地震力や自重といった外力によって部材に発生する応力(物体に生じる抵抗力)が、その材料固有の許容応力度以下になるように計算する。