びおの珠玉記事

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『超高層マンション』か『地べたを生きる家』か

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2008年11月17日の過去記事より再掲載)

高層マンションと一戸建て

イラスト:小野寺光子

今回は、『超高層マンション』か、それとも、『地べたを生きる家』か、をテーマにします。

お聞きする上で、まず最初にハッキリさせておきたいのは(毅然と)、Aさんはどっちの立場ですか。
わたしは「地べた派」です(強調)。町の工務店が建てる住宅は、地べたの近くに建てるのであって、せいぜい3階建て程度です。
その立場から、ご質問にお答えし、考えを述べることにします。
きょうは、素直ですね(笑い)。
ジャーナリストの、むのたけじさんが、人間に正しい生き方があるとしたら、それは自分の立場をハッキリさせることだと言われましたので…。
真正面から来ましたねぇ(笑い)。では、いずれ「超高層マンション派」の論客にも登場いただくとして。でも、ノコノコ町の工務店にやってきて、意見を述べる人が現れますかね? 違う意見・異なる見方・考え方あってのネットなので、そうありたいのですが。
現われてほしいですね。じっくりと話を聞いてください。
決して恐くありませんので、是非、どうぞ(笑い)。

しみじみ地べたを生きる。大事なのは人間的機能。

地べたを生きよう、という言葉は、町の工務店ネットが『住まいを予防医学する本』で打ち出した言葉ですね。
そうです。人は地べたに近いところで生活するのが幸せだと書きました。現実に、土地がないと家は建ちません。都市が好きで、都市に執念深く住もうというなら、広さは捨てなければなりません。小さな家の発想と、具体的な設計の手法が必要です。
また、都市を捨てるという発想に立てば、まったく違う見方が出てきます。こうしか考えられない、というのではなく、こうも考えられるということが大切です。
小さな家の発想として、壁を隔てた完全分離型の二世帯住宅はどうか、という案を聞きました。
ニコイチの家を建て、玄関部・出入り口または中庭(コート方式)に、大き目の土間を設える。そこだけが共有部分(公的資金を借りる場合は、双方の世帯が行き来できるように扉をつけることが義務付けられます。土間でも結構です)になる。あとは独立した家とする。

「大きな暮らしができる小さな家」です。
それぞれが出て行った、あるいは亡くなったあとは、一つの家の方に住み、もう一軒は借家にすることができます。親しい人に貸す場合、土間はそのままにしておいてよいでしょうし、壁で隔てるのもOKです。その程度の工事なら費用もそう掛かりません。
小さな家の発想と手法を駆使して建てる、壁を隔てた完全分離型の二世帯住宅はどうか、という案ですね、

あれは発想がおもしろかった。目からウロコというか。

あれについては、いろいろな声が寄せられていて、タウンハウスの新しいカタチだとか、この考えにはかつての「長屋」が持つ良さがあるとか、いろいろな反応、評価がありました。うれしい限りです。
高齢化社会になるというけれど、一つ屋根の下に住んでいる誼(よしみ)で、親子であれ、そうでない場合であっても、具体的に何がやれるわけではないけれど、気にはとめていてくれる、それはかつての「長屋」的なコミニュケーションの世界です。
二世帯の家が土間を挟んで住む。それぞれ独立しているけれど、土間を共有することで、そこが日々の出会いの場になります。土間は井戸端や、縁台があった路地の現代版です。
土間にテーブルを置いて、そこでお茶してもよいでしょうし、道具を持ち出して工作模型を作ったっていい。スキー板の手入れをしてもいい。そしてタタキの土間は、老人に子どもの頃の遊びの楽しさを思い起こさせます。
超高層マンションのコミニュケーション・ルームで、独楽(こま)を回せますか? 管理人からやめてくれ、といわれそうです。勘のいいオーナーが、竹とんぼをやろう、折り紙をやろうといっても、おしきせのものは長続きません。
地べたなら、どういうわけか記憶が蘇り、手が自然に動くようになります。小刀を使って竹とんぼを作る、その手業(てわざ)を子どもたちに伝えたいですね。昔の地域社会には、そういう場がありました。今はありません。なければ生むことです。
土間という仕掛けをつくるだけで、人が自然と何かしたくなるような、そんな空間がいいですね。二世帯住宅をいう以上、そんな空間をつくりたいと思います。その場合、広さとか、二世帯の生活の場との関係表現とか、設計がきわめて重要ですが……。
何かの事情で一緒に住めなくなることって起こりますよね。
もちろん、先のことは何が起こるか分かりません。将来、子どもたちが一緒に住んでくれればいいけれど、息子が仕事の関係とかで家を出なければならない事情が生じないとは限りません。最近は、長期にわたる海外勤務もあります。急にインドネシアに勤務とか、勤務が10年に及ぶとか。また近頃は、長男、長女の結婚も多いので、さまざまな事情で家を出ることになるかもしれません。そうなると家がぽっかり空きます。そういう場合は、人にお貸しすればいいのです。
二世帯住宅は、子どもの収入をアテにして住宅ローンを組む場合がありますし、場合によっては、賃貸の家賃と二重の支払いを必要とするかも知れません。
そのとき、二世帯のうち、一世帯分を収入型住宅に変更できるフレキシブル性があると、変化に対応できます。
分離型の構成とはいえ、住んでもらう人は、いい人を選びたいですね。
他人同士は、かえって遠慮が働くのでいい場合があります。また、他人どうしであっても、仲良く暮らせる空間をつくりたいですね。それが、いうところの「長屋」的な発想の家です。具体的には土間の設け方がポイントになります。
世知辛い世の中で、そんな理想的な、絵に描いたような家が、果たして実現できるのか、というご意見、見方もあるでしょう。たしかに現実は甘くはありません。それでも、どこか人間的機能が働く居住空間でありたいと思うのです。
これから超高層マンションについて述べますが、最初に結論めいたことをいわせてもらうと、超高層マンションに根本的に欠けているのは、この人間的機能だと思っています。

設計者にとっての、超高層×地べたの家?

超高層マンション

設計者にとって超高層の仕事はどうなのかしら?
超高層建築の方が、モニュメント(記念建造物)になる可能性が高いわけですが、最近は雨後のタケノコのようにニョキニョキ建っていますので、そうも言えなくなりました(笑い)。モニュメント建築は、設計事務所にとって決して悪い話ではありません。実入りも多いわけですし。けれども、若い人にとってはどうなのでしょうか。超高層建築は、同一の平面形を重ねることを基本にした仕事ですから……。
大学で建築を学んで、大手ゼネコンに入って、超高層ビルを3回担当すると、すぐに10年位経ってしまいます。若い時の10年は大きいですよ。ほとんど決定的といっていい。
若い人は低層建築をやるべきだというのが、評論家の松山巖さんの持論ですね。
松山さんは東京藝大で建築を教えているのですが、大手の会社に就職する学生たちをみていると、彼らはすごく不幸なんじゃないかと思うことがあると言ってました。アトリエは、収入は少ないけれど、血を湧き立たせるものがある、そういう歓びを自ら捨てていいのかと。大リーグに挑戦する選手のように、もっと自分を、目に見えないものに向かわせてほしいと。
近頃、目に見えるところだけで生きてる人が多いですね。
遠くをね、もっと遠くをみて仕事してほしいですね。
土地をどう読むのか、土地と向かい合わないと建築は見えてきません。また、現場をよく知っている監督や職人から学ぶ機会を持たないと、仕事は分かりません。超高層では、そういうことは学べません。
奥村昭雄さんは、京都の俵屋旅館を設計したとき、数奇屋大工の中村外二さんからいろいろ教えてもらったといっていますし、木曾三岳村に山荘を建てるとき、地元の大工さんから多くを教えられたと言っていました。永田昌民さんも同じようなことを言っていました。
若い方は、低層建築で経験を積んでほしいですね。超高層建築より断然おもしろいですから。自分がやっている仕事は小さくて、取るに足りないことだと思いがちだけれど、めげないでやってほしいです。
地べたに近い方が、多くを学べ、誇り得る仕事だと思うことです。

超高層建築って何なの?

かなり話が横道に逸れましたが、それでは、きょうのメインテーマであります、超高層マンションについてお話ください。
超高層マンションか地べたかと設題を立てましたが、超高層も、地べたを離れて建てられるわけがありません。地上に近い方か、遠い方かと考えてください。地べたを生きる家は、地上に近い方です。
超高層マンションは、そもそも経験が少なく、馴染みの薄い建築物ですので、何だかよく分かりません。その辺りからお話ください。
それではまず、世界のノッポビルの話から入ります。
完成している建物としては、台湾の「台北101」が一番高くて508メートルです。これはもうすぐ抜かれます。現在ドバイで建築中(2008年当時)の「ブルジュ・ハリファ」が800メートル以上の建物です。さらにこれを超える計画が立てられていて、サウジアラビアのジッダで計画されている「キングダムタワー」は、高さ1000メートルを超えるといわれています。
日本で最も高い(2008年当時)のは93年開業の横浜ランドマークタワー(296メートル)です。世界と比べると見劣りしますが、バブル期に立案された大成建設の「X-Seed4000」は、富士山(3776メートル)より高い4000メートルでした。
横浜ランドマークタワー

横浜ランドマークタワー(写真:photoAC)

4000メートルですって、それって打ち上げ花火? 現実可能なプラン?
現実可能なプランとして計画されました。800階建てで、100万人が暮らせる超高層建築。1階部分は直径6000メートルで、上の階ほど細くなり、全体として富士山型の外観になるとのこと。大型磁力エレベーターは200人乗り(乗客は下から頂上まで上がるのに35分間かかる)。ビル内部には、人工の公園など“自然の風景”を設け、ビルの用水は100%循環水を採用するというもの。敷地面積は優に6平方キロ。建造費は9000億ドル(当時のレートで150兆円)、工期30年が見積もられた。建造技術については問題ないとのことですが、天文学的数字の建造費がネックになったといいます。
建物の中の温度差とか、気圧とか、そんなことも問題になるのでは?
最低階と最高階では、温度も圧力もちがいますからね。技術的には解決済みだそうです。地震はピラミッド式構造だから大丈夫だと説明してますが、これだけ高いと台風の方が問題だそうです。
ほかにも大林組の2001メートル「エアロポリス2001」というのがあって、こちらは500階建て、30万人が居住できるというもので、工期は25年、総工費は46兆6300億円。場所も特定されていて東京湾の浦安沖。
ホラ吹き大会みたいね(笑う)。
ハハ〜ンですね(一緒になって笑う)。これらのプロジェクトを推し進めるため、当時の建設省が旗振り役になり、大手ゼネコンが99社が参加してハイパービルディング研究会がもたれました。
この研究会は2005年まで開かれていたそうで、事実上、90年代初頭のバブル崩壊で夢は潰えたというものの、これに執念を燃やす人が最近までいたということだね。
ほんとね(笑い)。これを国が後押ししたなんて、信じられな〜い。
まあ、超高層建築で思い浮かぶのは、ニューヨーク・マンハッタンのエンパイア・ステートビルや、9.11で崩壊した世界貿易センタービルだけど。簡単に歴史解説を。――くどくやらなくていいので。
ハイハイ、簡単に(笑い)。
そもそもを言いますと、高層建築の歴史は19世紀の終りに、シカゴの町で始まりました。シカゴで大火事があって、その復興で建設ブームが起こり、シカゴ構造と呼ばれる鉄骨構造の高層建築が登場します。1階から最上階まで同一の平面形を重ねる、現在の高層建築の原型といえる方式で、ホームインシュアランス・ビルや、リライアンス・ビルが建てられました。見に行きましたが、いかにもシカゴって感じがして、クラシックなものでした。
1900年代に入って、アメリカの経済の中心がニューヨークに移ると、ニューヨークはスカイスクレーパー(摩天楼)と呼ばれる高層建築が林立するようになります。エンパイア・ステート・ビル(102階)や、クライスラー・ビル(77階)などがその代表です。
エレベーターが、それまでの水圧式高速エレベーターから、電動機制御方式・ワードレオナード方式に変わったことも建物の高層化を促しました。この高層化の競い合いは、1929年の、ニューヨーク株式市場の大暴落に始まる大恐慌まで続きました。
アメリカが首位から陥落して、中国や東南アジア、中東地域へと移るのね。
エンパイア・ステート・ビルが完成した年は、大恐慌のさなかでした。テナントがなかなか入らず、「エンパイア・ステート」とは、「最高の州」を意味し、ニューヨーク州の別名なのですが、ニューヨークっ子はこれを「エンプティ(空っぽの)・ステート・ビル」と揶揄したそうです。
世界金融危機(カジノ経済の崩壊)を機会に、これと同じようなことが、これからドバイや上海で起こらないとは限りません。
こうした建築物は、その国の経済の爛熟期に計画され、計画と実行とは、しばしばズレがありますので、それが悲劇を生んだりします。
「X-Seed4000」も、もしやっていたら「バベルの塔」(実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまった塔。空想的で実現不可能な計画をいう)になっていたでしょうね、きっと。
「X-Seed4000」構想の絵と、ブリューゲルが描いた「バベルの塔」と似てません?
ほんとだ、似てる似てる。
この計画を立てた大成建設は、それでなくても今年赤字に転落したのですから。ドバイも、上海も、「兵どもの夢のあと」(芭蕉)にならなければいいのですが。
数百年単位とまで行かなくても、鳥の目になって、せめて30年単位程度でみるなら、その帰趨(きすう)は見えると思うのですが…。
以上は、超高層マンションに入るための導入部でした。

超高層マンションは、何故増えたのか?

ビル街

このところ、超高層マンションを、あちらこちらで見掛けるようになりました。何で急に超高層マンションが増えたのですか?
その前に、超高層の定義をしておきます。
高層(ビル)は、4〜5階までが中層、それ以上が高層。超高層は建築基準法では60メートル以上、業者のあいだでは100メートル以上、フロアにして25階以上のものを超高層と呼んでいます。
書籍名 定義
広辞苑(岩波書店) 15階以上または100m以上
マイペディア(平凡社) 100m以上
建築学用語辞典(日本建築学会) 15階程度以上
建築大事典(彰国社) 15階程度以上または100m以上
建築基準法施行規則 60m超
言われるように、このところ、東京・大阪・名古屋などの大都市で超高層マンションが目立つようになりました。これらは30階(約120メートル)、40階以上(約160メートル)のものが多くなっています。
07年末までに完成した超高層マンション(分譲)は403棟(不動産経済研究所)あります。その8割が2000年以降に建てられました。
超高層マンションが増えたなぁという実感は、これですね。
何故そんなに増えたかというと、容積率緩和による都市再生ブーム(ミニバブル)に原因があります。
難しい話になりそうですね(マユをひそめる)。分かりやすくね。
ここが肝心です。
2002年6月に、都市再生特別措置法が施行されました。この法律で、東京や大阪などに、都市再生緊急整備地域が指定されました。さらにそのなかに具体的な民間事業地区として都市再生特別地区が指定されました。
業者の側からは、実施するにはやりやすくしてよね、ということと、ちゃんと儲かるのか、ということが問題になります。
そこで、これまでは住民の同意を得る期間が3年程度必要だったものを、地方自冶体は6ヶ月以内に提案の応否を返答しなければならないようにしました。
民間デベロッパーの望みは容積率の緩和でした。容積率とは、建築物の延べ床面積の、敷地面積に対する割合をいいます。容積率が大きくなると、同じ敷地であっても、建物を大きく建てられるわけだから、民間デベロッパーにとっては旨みが増大するわけです。
都市再生特別地区では、「高さ100メートル超かつ延べ面積10万m2超」から、「高さ180メートル超かつ延べ面積15万m2超」へと、基準そのものが緩められました。
東京全体の概算容積率をみると、バブル経済絶頂期にあたる1985年から1990年にかけて、94.2%から102%増加しました。それが10年後の2000年には、何と132.5%へと跳ね上がりました。
でも、何故そんなに優遇されるようになったの?
バブル崩壊から、いかに立ち直るかが90年代中頃から日本経済のテーマになり、いろいろな規制緩和が取られるようになります。
容積率上限を600%までとし、日影規制の適用除外とする「高層住居誘導地区」が導入(1997年)され、同時期に、廊下・階段等を容積率の計算から除外する建築基準法の改正案も成立しました。
これによって、民間デベロッパーが息を吹き返しました。超高層マンションでやれば充分にペイするようになったのです。
これに拍車を掛けたのが小泉政権の誕生(2001年)です。
小泉さんは、経済の活性化を、財政再建をはかりつつ実現する政策に舵を切りました。財政支出はしない、だけど思い切った規制緩和を行うということで、次々に手を打ちます。
都市再生特別措置法の施行(2002年)も、その一つです。これまでの慣行を、大胆に破るもので、たとえば、ある民間デベロッパーが先行して取得した土地について、地区の3分の2の地権者を巻き込めば、この容積率が大幅な緩和されるようになりました。
仮に、地区内の3分の1の地権者の反対や、周辺住民の多少の反対があっても、よほどの問題がない限り、提案どおりの規制緩和が認められ、さらに強制収容も可能な事業施行者として再開発を進められる仕組みになりました。
業者に「治外法権」を与えてしまったようなものだといわれています。
こうした方式が、東京でいえば港区や江東区など臨海地区の超高層マンションにあてはめられ、品川、汐留、六本木、丸の内地区で開発されたオフィス&エンタメの複合施設などの大型高層ビルの建築を促すことになったのです。
六本木ヒルズ周辺

空地化が進む六本木ヒルズ周辺。ここにも超高層マンションが建つのだろうか。

むむー、なるほど、なるほど。
日本の街は、通りに面した表の敷地は商店、その奥の敷地は寺社や、お屋敷や、銭湯などがありました。こうした大きな敷地はマンションやオフィスビルの開発適地です。もともと日本の建築規制は、広い通りに接していないと容積率が制限されました。それで業者は、表通りのお店1軒を無理にでも買い取って、奥の大きな敷地とつなげ敷地が表通りに接した形にしたのです。バブル期に、ヤクザ者が跳梁跋扈し、地上げが激烈をきわめたのはこのためです。都市再生特別措置法は、つまりこれを、合法的にやれるようにしたのですね。
林立する超高層マンションは、その結果生まれたようなものです。規制緩和によって促された、ミニバブルのいうなら落とし子です。
ミニバブルの落とし子ですか。それで都市の一極集中が加速したのね。
米国のマイクロソフトは、人口56万人のシアトル郊外レドモンドにあります。スターバックスの本社や任天堂のアメリカ本社も、シアトルに置かれています。コカ・コーラやCNNの本社があるアトランタも、周辺に衛星都市があるとはいえ、本体は50万人に過ぎません。欧米では、分散的な都市形成をはかるのが当たり前とされ、とりわけヨーロッパは意識的に取り組んでいます。EUの本部はベルギーのブリュセルです。
これに対して日本は、東京へ東京へと、政治も経済も文化も、政府機関も民間の会社も集中していますからね。高度に過密化した東京で、もし直下型の大地震が発生すると、都市は機能マヒするといわれており、ここ10年、脆弱で偏った都市構造はより極まりました。
先日、兵庫県の知事が、関東で大地震が起こったら、その時は関西のチャンスだといって袋叩きに遭いました。バカな発言だとはいえ、弱点を衝いています。兵庫県知事は、始めバカなことを言ったという自覚がありませんでした。この知事がどうしてそう思ったのか、そこをマスコミが種明かしすればおもしろかったのに、こういう場合は非難だけで、日本のマスメディアにはエスプリがありません。

「高層難民」が生まれるかも?

高層難民

高層難民(イラスト:illustAC)

超高層マンションの背景はよく分かりました。それでは、具体的に住む側からの問題に移りたいと思います。
やっと本論に入れます。理屈の多い「びお」ですみません(笑い)。
「高層難民」という言葉をご存知ですか。
「帰宅難民」は聞いたことがあるけど。
まちづくり計画研究所の所長であり、技術士・防災士の渡辺実さんが出された本の題名(新潮新書)ですが、言い得て妙です。「高層難民」は、この人の造語です。
この本は、首都圏を襲う直下型の大地震では、超高層マンションの住人は大きな困難に見舞われ、「高層難民」となることを、明快に言い切っています。
首都圏に大地震が起こると、交通が遮断されて帰宅できない「帰宅難民」が生まれたり、避難所に入れない「避難所民」が出るといわれているけど、もう一つ「高層難民」が生まれるというのです。へぇー、と思いましたね。これは、阪神大震災でも起きなかったことです。
渡辺さんは、高層ビルが大地震に遭遇すると、停電になってエレベーターが停止、地上への移動が困難になり、高層階の人は身動きがとれなくなるといいます。
前に東京を襲った震度5強の地震で、6万台のエレベーターが停止しましたが、直下型が来たら、安全装置が働いて緊急停止するか、停電で動かなくなります。閉じ込められた人は大変です。エレベーターの扉は、中からは開かないようになっています。地震直後には、消防・警察のレスキュー隊は来てくれません。
つまり、その高層マンションに住んでいようがいまいが、たまたま高層ビルに居合わせたら、その人は「高層難民」になるのです。
けれども、閉じ込められなかったマンション住人も大変です。移動手段は階段ですので、高さを誇っていたことが仇になり、仮に30階のマンションを昇降しなければならないとしたら、これはもう絶望的。高層階で病人がでたら、誰が、どのように運ぶのでしょうか。
恐そうな本だけど、起こり得ることよね。
渡辺さんは、超高層マンション内で生き残るには、飲用水、食料、簡易トイレなど、一週間程度は電力が回復しなくてもいい備えを持つべきだといいます。
震度5の地震でエレベーターが止まったときの経験を読むと、非常階段がとてもイヤだったという感想があります。

「狭い階段室は天井に蛍光灯が一本、壁とドアは真っ白、外界はどうなっているのか?閉ざされた薄暗い空間の灰色の階段を登りながら、11-12階と縦に表示した階数を見て、ああまだかぁと深呼吸して、また登り、ようやっと18階の白い扉をあけ、見慣れた廊下のカーペットの縞模様にほっとして我が家へたどりつきました」

これを書かれた落合さんによると、2時間後にエレベーターは動いたけれど、何のアナウンスもなかったといいます。

「いざ地震という時のために、荷物をまとめておいたにしても、ここでは、ベランダから降りることもできず、あの階段室から逃げるには、先回は登ることに夢中でしたが、階段室で、停電になったら、非常の時のボタンは?あの扉が開かなくなったら?この超高層マンションでは、何もできない。非常に心細い気持ちでじっと揺れが収まるのを待つばかりでした」

超高層マンションの売り込みは、「絶対地震に強い」というものです
が、建物は破壊されなくてもエレベーターが止まれば「空中の孤島」になります。普段は、優越感に浸り切って生活しているかも知れないけれど、震災の時は、奈落の底へと突き落とされるのが、超高層マンションの住人だというのです。

エレベーターの会社はどう言っているの?
震度5の地震でエレベーターが止まったとき、エレベータ業者は、
「管制運転システムが作動した結果で、逆に言うと、システムが正常に働いていたということになる」
と説明しました。震度5未満の場合は、もより階に停止後、自動復旧します。しかし震度5以上になると、メーカーが目視点検後にリセットして稼動します。震度5のとき6万台が止まったんだけど、技術者は3000人ほどしかいなかった。もし、もっと大きな地震がおきて、もっとたくさんのエレベーターが止まって、瓦礫などで交通が寸断されたら、長い場合1週間ほど閉じ込められる可能性があります。
このレベルの地震が起きると、本地震に匹敵するような余震が頻発するというのが過去の例です。
エレベーター内に閉じ込められた1週間というもの、いわば宙吊り状態で余震を受けなければならないかも知れません。
ギャー! まさに「高層難民」、「空中の孤島」よね。
それに対する行政の対策は?
阪神大震災のあと、東京直下型地震の「被害想定」を東京都はまとめました。しかし、この想定では、阪神大震災で問題化した木造密集地対策が中心で、超高層マンション対策は入っていません。
この「被害想定」がまとめられたのは1997年です。先にも言いましたが、現在ある超高層マンション403棟(不動産経済研究所)のうち、その8割は、2000年以降建てられたものですからね。
ある危機管理コンサルタントは「20階以上に住んでいる人は、お手上げ状態だと覚悟した方がいい」と指摘しています。
行政は、本当は大問題にしたいのでしょうが、率先して規制緩和してきたので、今更マズイとは言えません。もしそれを言い出して、マンションが売れなくなったらどうするのだ、と業者からいわれかねません。マスコミも恐くて指摘できないようです。不動産会社から広告もらっていますし。腫れ物に触るな、大変なことになる、というわけで、要するにタブーとされています。
「びお」は広告貰っていないから、遠慮なくやれますね。
(わが意を得て)その通りです。

超高層マンションの毎日

住んでいる人のことも考えて、いいところも述べてくださいよ。
眺望がいい、ということでしょうか。
そりゃあ、遮るものがなければ、視界はいいにきまっています。東京からは富士山も見えるし、都心の夜景も見えます。大阪では六甲の山も、生駒山も、大阪湾も見えます。そこにいると、地上を見下ろし、優越感にひたれます。しかし、ひとたび曇るというと、視界はガスに覆われてゼロになります。窓という窓はグレー一色の世界です。
ムンクの絵のような顔になっちゃいますね。
前に上海の超高層ホテルに停まったことがあるけど、窓はガスに覆われていて、何も見えませんでした。地上に降りたら、小雨がぱらついているだけで、別に視界が悪いわけではありません。ガスに包まれて過ごすのは、いい気分ではありません。体験してみて、これはつらいと思いましたね、ハイ。
はなから貧乏性だから、ということもあるかも。
いわれればそうかも(笑い)。
ただ、晴れていて、穏やかな日であっても、外部に面した窓は開かないからね。そよ風を感じたくても感じられません。そんなところで子どもを育てていいのかって。超高層建築の数十階以上を住宅にすることを禁止している国もあるということです。
免震構造はいいけれど、微妙な揺れがイヤということを聞いたけど。
耳の敏感な人は冷蔵庫の音も気になるでしょ、あれと同じです。神経質な人は、微妙な揺れで「ビル酔い」を訴える人もいます。
揺れていても大丈夫といわれても、恐怖で引き攣りますよ。それを楽しめるというヘンな人もいるかも……。
オフィスの場合は働く世代が中心なので、まだしも環境適応をはかれますが、未熟な乳幼児・子ども、適応力が低下しつつある高齢者、そして胎児への影響を含めて妊産婦などは心配です。
高層居住による高さ感覚の喪失、出不精による親子の過剰密着、幼児の自発行動の遅行などの現象が指摘されています。これらが、居住者の人格形成にどういう影響を及ぼすのか、まだ何も分かっていません。
超高層建築は自家発電を持っているところもありますが、それ自体が故障する可能性もあります。そうなると糞尿の問題が出てきます。すべて水洗ですから、溜まると大変です。
「セキュリティーは万全」というのが、たいがいの売り文句だけど。
超高層マンションは入口でセキュリティーしていますので安全といわれますが、管理会社の防犯性や管理水準の高さに依存しているだけです。超高層マンションというと、入居者数もそれなりに多いわけで、その人たちが安全な人格者だという保証は何もありません。
仮に安全がキープされているとして、出入りはその分不便で、友達がひょこっと立ち寄りにくく、散歩をするにも、買い物にでるにしても、忘れ物をしても、スイッチを消し忘れたと心配になっても、数十階のエレベーターを、その都度、昇り下りしなければなりません。当然、子どもは出不精になるし、友達もつくりにくくなります。
幼児の基本的生活習慣における自立性の比較(単位:%)
項目 できる・ほぼ出来る
【低層群】
できる・ほぼ出来る
【高層群】
全くできない
【低層群】
全くできない
【高層群】
あいさつ 82 56 0 15
排 便 79 59 3 22
排 尿 82 59 5 22
手洗い 85 67 0 15
食 事 85 81 0 4
歯磨き 82 59 0 15
うがい 79 56 0 26
衣類の着脱 79 44 0 30
靴の着脱 82 48 0 22
かたづけ 71 52 3 19
手伝い 79 56 0 26
出典)中島、大野編『人間行動学講座第3巻 すまう 住行動の心理学』1996 朝倉書店
この調査結果をみると、低層に住む幼児に対して、高層に住む幼児は、自立性が低い結果がハッキリでています。これほど違うのか、と驚きました。衣服、靴の着脱、うがいなどのデータの違いは、高層階の幼児が外で遊ぶ時間や頻度が低いからです。
幼児が、超高層マンションのどこで、親子、子どもどうしで遊べるのか、想像しにくいでしょ。
いったい、どういう人が住んでるの? きっとセレブだろうね。
ある調査期間が調べたところ、家族構成は夫婦2人が目立ち、3世帯に1世帯の割合です。若い夫婦か60代のリタイア夫婦と言われる傾向が、データで裏付けられています。単身世帯では、女性のほうが男性よりやや多く、「シングル女性はタワーマンションが好き」という説を裏付けています。
超高層マンション居住者の家族構成(首都圏白書より)

超高層マンション居住者の家族構成(首都圏白書より)

女が一人で超高層(高級)マンションに住んでいるのって、ミステリアスで、カッコいいと思うけど、子どもが一緒だと、ちよっとね。
貧乏人の僻みかも知れません(笑い)が、セレブにはお金があるので、子どもが出来たり、住み難いと思ったら、別のマンションとか戸建に移ることができます。しかし、貧乏人(普通の人)は、イヤになったからといって、住まいを変えられません。少なくとも、貧乏人は超高層はやめた方がいいと思うんだけど。
このあと述べますが、補修や建て替えが必要になったとき、普通の人にとっては大ごとですが、セレブには問題はない。面倒だったら、さっさと別の住居を買って引っ越せばいいわけですから。
つまり、超高層マンションはセレブのものであって、お金もないのにセレブにあこがれて買うのは、無茶というか、愚の骨頂というか、人生を破滅させかねません。
結局『びお』は、普通の人の住宅の選択肢としては、超高層マンションはダメってことね。
ここで述べたことを覆してくれる論客に登場していただいて、反論・反駁していただきたいのですが、それがムリだとしたら、超高層マンションの分譲見学会に行った人に、ここで述べたことをぶつけていただいて、その結果の報告をしてもらえるといいですね。
超高層派からは、独断と偏見に満ちていると思われるかも知れませんが(笑い)、決して大ゲサに述べているつもりはありません。起こり得ること、心配とされることを述べました。今の技術はここまで来ているので、この点は問題ないということであれば、特に技術者の方にコメントいただきたいですね。匿名でも結構です。
大切なことは、情報公開――よく分かるということです。よく分かった上で、それでもそれを選択するのは自由です。成熟とは、選択の巾ですので。ただ、コマーシャリズムに踊らされて、下手を掴まされることだけは避けた方がいいと思います。

超高層マンションのスラム化と、やがてやってくる、大規模修繕問題。

壁の落書きやゴミ

一歩六本木ヒルズを離れると荒廃が進む六本木周辺

それでは最後に、一番問題とされている、超高層マンションの修繕及び建て替え問題について……。
この問題は、建築後10年以上、20年後あたりに顕在化されるもので、今のところ大きな問題になっていません。しかし、建物の劣化が進み、大規模な修繕を必要とするようになると、俄然、問題が深刻になります。住人の意識や立場の違いも、そのとき明るみにでます。
たとえば店舗もある複合用途の建物の場合です。修繕積立金は、専有面積の床面積に応じて徴収されます。ということは、店舗のオーナーは、マンション住人より高い額を払っていることになります。たいがい店舗は低層階にあり、修繕を必要とする箇所は風雨にさらされる高所に発生します。
大規模修繕を必要とする時期になると、この両者の利害は一致しなくなり、店舗側は不参加ということになったりします。
高層階の修繕は膨大な費用が掛り、工事も大掛かりです。ゴンドラを吊って修繕すると、それが費用全体の3割を占め、そんなに掛かるわけがないと言い出す人が出たりして、スッタモンダします。
修繕積立金の範囲でやれればいいのですが、郊外の超高層マンションで、廉価が売りでやったようなところは、この修繕積立金が足りなくなるかも知れません。
何事も相談してやらないといけないし。
建物管理組合が置かれても、意見の調整は容易ではありません。
先に挙げた店舗と住宅部分の所有者の利害の調整などを含め、全体合意をはかるのは至難です。普通の修繕でも、区分所有者と議決権の過半数の賛成を必要とします。修繕費の滞納者もいるだろうし、かといって売主系の管理会社に任せると、過剰な修繕をやられる可能性が高く、住人の中でそれに文句をいう人も出ます。
もう聞いているだけで気が重くなるわね。
もめ事を避けて、大規模修繕を怠ると、超高層マンションほど始末の悪いものはないといわれています。専門家が指摘する「スラム化の危険」です。大規模修繕は、準備に2年から3年、工事に1年を見ておいた方がいいでしょうね。
そこに今回のような金融危機が重なると、破綻物件も出るでしょうし、中古を買った人との意識差も生じます。超高層のこれからを語るのは、関係者であればあるほど気が重いといわれます。
大友克洋のSF『AKIRA』(アキラ)に出てくる世界みたいに、地上40階以上は空き室になって、そこに雑多な人が住みだしたりして……。
AKIRA

AKIRA(作・大友克洋)

大友克洋が描いたのは、殲滅された東京のサイバーパンクな錆色の世界でした。あの作品では、どうして殲滅されたのか、何故そうなったのかは、何も描かれていません。しかし、あの錆色の世界は不気味でしたね。超高層マンションがスラム化した場合、大友克洋の予見力は凄かったということになるのかも。そうならないように、人間は「地べた」に帰らなければ、と思いますね。

  

何だか重い話になりましたが、大切なことは、冒頭にいわれた「しみじみ地べたを生きる」ですね。
それでは、お開きとします。ありがとうございました。